弟の結婚式騒動はエライ目にあったけど、それこそ後始末は任せただ。継母から親父をとりなしてくれの泣きが入ったけど、トコトコ教の黙って見送るジハドを喰らわせてやった。自分が蒔いた種は自分でなんとかしてくれだ。
へぇ、今日は新神戸トンネルなんだ。てっきり六甲山トンネルだと思っていたのだけど、気分転換かな。こっちで行くと六甲山越えは無い代わりに丹生山塊越えの岩谷峠が待ち受けてるのは仕方がない。
岩谷峠を越えるとなだらかな丘陵越えになり、二つ子町の交差点を右に曲がるよな。ここもなかなか快適なカントリーロードなのだけど、出て来るのは市之瀬の交差点。ここを左折するとフラワータウンに入れるんだ。
めんたいパークの看板がある交差点を左に進むと、六甲北有料道路の出口の交差点に出れる。ここをまた左折してニュータウンの道を走って行くと国道一七六号なんだよな。時間は六甲山トンネル越えの方が早いはずだけど、こっちから回る方がモンキーには合ってる気がする。
「コメダでモーニングや」
待望の朝食だ。と言ってもトーストとコーヒーと卵ペーストだけだけどね。ここから国道一七六号を北上。この時間帯なら楽勝だ。篠山口駅の西側を通り抜け、篠山川を越えたところで、
「今日は右に入るで」
捻ったな。この道は三和にも通じてるのだけど、栗柄峠を越えて春日に行くんだろ。鐘ヶ坂峠を越えるより気持ち遠回りになるかもしれないけど、柏原から氷上の市街地を回避できるメリットはあると思う。なにより空いていて気持ち良いのよ。
前から不思議だったのだけど、栗柄峠だって多紀連山を越えられるし、鐘ヶ坂峠とか、瓶割峠とか、佐仲峠に較べるとなだらかだと思うんだ。だってだよ、篠山からは宮田川を遡る道だし、
「宮田川のリバーサイドツーリングみたいなもんや」
緩やかに栗柄峠がある栗柄に登って行くのだけど、ずっと田んぼは川沿いにあるし、栗柄にも集落があるぐらい。この道は最後に鼓峠って言う険しい峠を越えるのだけど、鼓峠まではだいたいそんな感じだったはず。
栗柄だって栗柄峠を越えて杉ヶ谷川を下って春日に下って行くのだけど、あそこだってそんなに険しいって感じじゃないじゃない。それだったら多紀連山を越えて奥丹波に入る峠道としてもっと使われても良いと思うんだけど歴史的にはどうなの?
「なんも書いてへんかった」
峠名の由来が栗柄にある倶利伽羅不動にちなんだぐらいしか見つからなかったのか。コータローが調べた範囲で言うと、どうも昔からあんまり使われていないみたいで、
「杉ヶ谷川が通じてる言うても、栗柄峠のあたりは川のとこは通れんかったで良さそうやねん。そやから山越えの峠になってるねん」
春日から栗柄に行く最後の部分がとにかく険しくて、昔の人でも敬遠したんじゃないかって。現在は県道として整備されていて、ちょっとした峠道ぐらいの感じだけど、そういう目で見てみるとかなりの険路だったに見えなくもないぐらいかな。
栗柄だけど地形というか地理的には興味深いところではあるらしい。宮田川は東から流れて来て篠山に流れ、杉ヶ谷川は北から流れて来て春日に流れて行くのだけど、
「宮田川は太平洋に流れ込むし、杉ヶ谷川は日本海に流れ込む中央分水界になっとるねん」
中央分水界とは日本海と太平洋に流れ込む川をわけるところみたいだけど、多紀連山がそうなるみたいで、
「そやから水分かれ街道ってなってるんやろ」
栗柄峠を下って行くと春日ICに着くのだけど、春日中学校の角を一本東側に入るんだ。こうしておけば道の駅の駐車場にも入りやすいのはあるけど、
「春日ICの出口の東側に出れるやん」
この時間帯なら問題ないと思うけど、春日ICの出口の交差点って混むんだよ。あそこまで行けば信号渋滞だと思うもの。
「設計ミスや。そのうち改善されるんちゃうか」
そのうちがいつかは生きてるうち単位かもね。という訳でもないけど生理現象の解消のために道の駅に寄った、
「福知山まで千草のためのトイレはあらへんし」
トイレと言うな。蛍を見に行くところと言え。
「いつの時代のお姫様やねん」
現代に生きるコータローの嫁姫だろうが。文句あっか。道の駅から国道一七六号でもある水分かれ街道を北上するのだけど、ここはまずまずのカントリーロード。
「カントリーロードつうより田舎の道やけどな」
同じだろうが。この道もやがて塩津峠にさしかかる。峠と言うほど気合の入る道じゃないけど、歴史的には古代山陰道から分かれた丹後支道時代から記録に残る由緒ある峠道になる。地名に塩ってあるけどやっぱり日本海からよね。
「瀬戸内海より近いやろ」
宮津ぐらいの塩を運んでたんだろうな。塩津峠を下るとそこは京都府であり福知山でもある。高架の道に入るのだけど、
「重複国道もやめてくれんかな」
御意だ。あんだけナンバリングがあるのだから別々の道にして欲しいよまったく。今走ってるのは国道一七六号だけどこれは国道一七五号との重複国道なんだよね。これが高架道路に入れば、
「国道九号とも重複するんやけどナビ上では国道一七六号になっとるわ」
この三重複国道は牧川を渡ったところで、左が国道九号、右が国道一七六号になるのだけど、重複時の代表国道の命名規則ってないの?
「知らんけど、国道九号を東から走って来たやつは、ずっと国道九号やと思うとるで」
重複国道だから間違いじゃないけど道を覚える方は災難だ。牧川を渡ると今度は由良川沿いの道になり宮津街道ってなってるな。江戸時代はこっちだったの?
「宮津街道はややこしいねん」
宮津に向かう道は律令時代からあった丹後支道があったはずなんだけど、これは、
「曲がるで」
国道一七互号から重複を外れた国道一七六号になるはずだって。これは与謝峠を越えて宮津に向かう道になるけど、どうもこの道は後に廃ったみたいなんだって。その代わりに平安時代から良く使われたのが普甲道らしい。
これがどこを通っているかだけど、福知山にも元伊勢神社があるのだけど、そこから大江山を越えて宮津に行ってたらしい。これが江戸時代に宮津の殿様が参勤交代に使うには険し過ぎるとして、もう少し西寄りに新普甲道を切り開き、普甲道は元普甲道と呼ばれたとか。
どうもだけど平安時代から江戸時代ぐらいまでは、新と元の普甲道を宮津街道と呼んでて往来に使ってたみたいなんだよ。
「そこんとこもはっきりせえへんねん。中世ぐらいまでは与謝峠がメインやったともなってるけど、和泉式部が元普甲道で宮津に行った記録があるらしいねん」
由良川沿いの道が今は宮津街道になってるけど、これは明治以降の話なんだって。うん、たしかにややこしい。聞いててもさっぱりわからなかった。ここはシンプルに考えて、古代は由良川沿いを下れなかったから大江山を越えようとして道を作ったんだろうな。
丹後の国府は宮津にあったとは推測されてるけど、その場所が特定されてないとはね。それでも宮津が重要な都市であったのは間違いないだろ。江戸時代だって北前船が寄港していたし、古代は大陸への玄関口の一つだったはず。
「西国巡礼かってハイライトやったと思うで」
二十八番札所の成相寺もあるけど、なんてったって天橋立がある。そりゃ、見たいだろ。今だって日本三景の一つだ。もうすぐ安芸の宮島に続いて二つ目の日本三景にモンキーの轍を刻めるぞ。
国道一七五号も以前は酷道だったそうなんだ。今の宮津街道がメインになったから整備がひたすら後回しにされてたんだろうな。でも今は整備されて快適だ。昔は難所だったはずの与謝峠だって、
「なんだ坂、こんな坂や」
そこまでじゃないけど、これなら苦戦じゃないだろ。与謝野町にも道の駅があるから休憩だ。でもここって、
「かつては飲食店もあったそうやが、京都縦貫道が出来て野菜売り場だけになっとるらしい」
クルマとか小型じゃないバイクならそっちを走るだろうな。わかっているけどなんか悔しい。