西国巡礼で二十七番札所の書写山円教寺の次は二十八番の成相山成相寺です。円教寺は姫路にあるのですが成相寺は宮津です。ずっと気になっていたのですが、円教寺から成相寺への巡礼ルートはどうなってるのだろうがありました。
円教寺からは夢前川に沿って北上したのは間違いないでしょうし、夢前から福崎に行き市川沿いを北上する但馬街道を歩いたのもまず間違いないはずです。生野峠を越えて和田山に出るまで地形的にも別ルートであったとはまず考えられません。
問題は和田山から宮津にどこを通ったかです。もし地図を見れたら見て欲しいのですが、和田山から宮津となると頭を捻りそうになると思います。
今なら国道九号で由良川の方に出て北上しそうですし、漠然と江戸時代もそんな感じじゃないかと考えていました。もしくは出石の方まで回って岩屋峠から加悦谷に入るかもぐらいです。
ですが全然違いました。和田山から梁瀬を通り現在の国道九号、江戸時代の山陰街道で夜久野峠までまず登ります。ですがそのまま東に進まずに北の方の小坂峠を目指します。
小坂峠を越えると国道426号になります。これは福知山からなら登尾峠を越えて出石に向かう道で私も出石の皿そばを食べに行く時に使いますし、バイク乗りも集まって来るところです。
巡礼道が出るのは登尾峠の北側になりますが、そこから少し南に進み外れ東に進みます。神懸峠を越え与謝峠の北側ぐらいに出て、現在の国道176号から成相寺を目指していたようです。

このお地蔵さんですが、右側に読みにくいと思いますが、
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なりあいみち
蛇足ですが翌日はまず成合寺に参詣し、次に籠神社をお参りした後に天橋立を渡って宮津に行っていたと想像しています。おそらく宮津で一泊し、翌日は普甲道で大江山を越え次の札所である舞鶴の松尾寺を目指したぐらいです。
蛇足の蛇足ですが、宮津に向かったのは札所である成相寺があったからにはなりますが、もし成相寺がなかったらどうかです。そうなれば山陰街道で福知山を目指すことになるかもしれませんが、それでも宮津に寄っていた気がなんとなくします。
だって天橋立があるじゃないですか。西国巡礼は信仰の旅ではありますが、一方で物見遊山の側面もしっかりあります。ここまで来てるのに天橋立を果たしてパスするだろうかぐらいです。ただそうなっても、この巡礼道を通ったかどうかになるとお手上げです。
なかなか風情のあるツーリングでしたが、今は地元の人しか走ってないようで、バイクすら殆ど会いませんでした。