ツーリング日和19(第11話)奥丹波蕎麦街道

 名前呼びの件は結局押し切られてしまった。こんなもの御坂さんと呼ぶだけでも緊張ものなのに名前で呼べと言われても困るのだけど御坂さんは、

「だから御坂さんじゃなくてチサって呼んでくれるって言ったでしょ。ほら練習よ」

 いやいや、そう言われたって、

「ほら、チサって呼びなさい」

 チサさん。

「さんはいらないよ」

 福知山からは引き返したのだけど、その途中で名前呼びを強制されてシドロモドロ。あれこれあったけど、

「もう。今日はさん付で許してあげるけどチサも名前呼びするからね」

 エェ、ボクまで、

「当たり前でしょ。片方が名前呼びで、片方が苗字呼びの方がよほどおかしいじゃないの」

 これ以上は逆らえなかった。そうそう今日のツーリングは福知山まで北上するのが目的だったけど、もう一つは蕎麦を食べるのもあるんだ。篠山の時にも蕎麦を食べたけど、どうも丹波では蕎麦屋が増えていてレベルも高いらしいとか。ボクもウドンより蕎麦派だしチサさん・・・どうにも呼びにくいな。

「約束を守るのが友だちよ」

 はいはい、チサさんも蕎麦好きみたいなんだよな。篠山周辺でも美味しい蕎麦屋はあるみたいだけど、篠山のさらに奥には、

「奥丹波蕎麦街道がある」

 そういう名前で売り出しているみたいだけど、街道ってするのはちょっと無理があるな。街道ってイメージは同じ道路沿いに軒を並べてるとか、点在していても距離はそんなに離れていなそうなものだけど、

「たしかに。あれはストリートじゃなくゾーンだね」

 それと今日も朝の七時にツーリングをスタートしてるけど、三田から福知山まで一時間半ぐらいになる。三田でモーニングを食べて出発したのが八時半ぐらいで、福知山城には十時過ぎに到着してるから、

「だから十時半ぐらいに福知山城を出発すれば蕎麦屋にバッチリだ」

 蕎麦屋に限らず飲食店は十一時ぐらいの開店が多いから、それぐらいに到着する計算なんだ。どうも人気店みたいだから十二時とかに行ったら大行列が待ってそうだもの。奥丹波蕎麦街道に名を連ねているのは七軒ぐらいあるのだけど、

「やっぱり木琴、そばんち、三津屋妹尾かな」

 ユーチューブでも良く紹介されてるのがこの三軒で、

「木琴はパス」

 パスの理由はかなり離れていて今からなら昼時になってしまいそうなのもあるけど、

「変わり蕎麦はどうしてもね」

 そこまで変わり蕎麦じゃないけど、カモの出し汁で食べるのがチサさんは気に入らないみたい。

「そばんちもね」

 そばんちで紹介されることが多いのが三色辛味大根ぶっかけそばなのだけど、

「おろし蕎麦よりそばつゆで食べたい」

 消去法で残ったのが三津屋妹尾になったぐらい。もっとも他の店も食べに行くつもりだけど、最初に選んだのが三津屋妹尾になったぐらいだ。三津屋妹尾に行くにはまず福知山から氷上町に戻り、

「ゆめタウンの方から上がるのね」

 他にもルートはありそうだけど、それが一番無難で迷いにくそう。この道は丹波の森街道ってなってるけど混んできてるな。それとだけど、三津屋妹尾は丹波の森街道からさらに入り込んだところにあるんだよ。

「入るところの看板は覚えてきたから任せといて」

 グーグルマップで見たのか。あれもあれで味があると言えば味がありそうだけど、もうちょっとマシなものにしてくれないかな。この道をひたすら走って行って蕎麦屋の看板を見つけて曲がるだけだけど、

「ちょっと遠すぎない?」

 う~ん、バイクにナビ積んでいないのはこういう時に辛いな。距離は少々あったはずだけど、なにせあのショボイ看板だからどこかで見落としたかも。初見の道は楽しいけどピンポイントの曲がり角を探すのは大変なんだ。

 本来なら曲がり角に着く前の目印みたいな店とか、工場みたいなものを下調べしておくべきだったのだけど、サボってた。どうしよう、どうしよう、一度停めてナビを確認すべきなんだけど、

「あそこだ」

 助かった見落としそうだった。ここを曲がるみたいだけど・・・う~ん、川を渡って直進だろうけどまさに田んぼの中の道だ。

「幟だ。『そば』って書いてある」

 こっちに曲がるみたいだな。この角を入るみたいだけど、これは狭いわ。前からクルマが来たらバイクでもすれ違えそうにない。突き当りが店だけど、

「停めるの怖いよ」

 駐車場も斜面になってるものな。ボクのモンキーもチサのダックスもサイドスタンドしかない。センタースタンドがあっても斜面に停めるのは怖いけど、サイドだけならなおさらなんだ。だからってわけじゃないけど玄関の前のまだ平らそうなところに停めさせてもらおう。

 それにしてもディープな店だ。だってだぞ、中心街からこれだけ離れていて、なおかつ車道からこれだけ入り込んだとろにあるもの。

「それでもあれだけ取り上げられているから期待しても良いかも」

 店は風情があると言うより、民家を借りただけに見える。玄関を入ると上がり框になっていて、こっちの座敷みたいだ。広さは六畳間を二つ繋いだぐらいで広縁が付いてる。広縁側と壁側にテーブルがあって、真ん中に一つあるのは掘り炬燵のテーブルみたいだ。

「行列が無くて良かったね」

 駐車場は一杯だったものな。壁側の席に座らせてもらって、

「相乗りサバ寿司セット」

 奥丹波の蕎麦の特徴らしいものとして十割蕎麦が多い気がする。今日頼んだ相乗りとは十割蕎麦と二八蕎麦が一緒に盛られたものなんだ。鯖寿司はオマケかな。最後に蕎麦湯も楽しんで帰路についた。

「一七五号で帰るのね」

 帰り道でさっきの蕎麦の感想を話していたのだけど、

「合格だけど・・・」

 それはボクもそうだったけど、思わぬ蕎麦談議に。

「やっぱり二八だと思うのよ」

 蕎麦はそば粉を練って作ったものだけど、そば粉には麺をつないだり腰を持たせるグルテンが入ってないから、つなぎとして小麦粉を混ぜるのがポピュラーだ。二八蕎麦とは二割が小麦粉って意味だけど蕎麦通と言われる人は十割蕎麦を珍重するものね。

「珍重する理由は十割蕎麦を提供する店が少ないとか、蕎麦の香りを理由にする人が多いけど、香りは関係ないと思うのよ」

 八割より十割の方が蕎麦の香りは良くなるだろうけど、

「たった二割でそこまで差がつくと思わないもの。香りで差がつくのは蕎麦の実の質が大きいはず」

 蕎麦は香りが失われやすいから保管の方法だけでも差が出るし、そば粉を挽く時にも熱は大敵とかされてる。だから機械じゃなく石臼で挽いたものが良いとはされてるはずだけど、

「熱が大敵とか言いながら最後は茹でちゃうけどね。そうしないと食べられないからそこは仕方ないとしても、蕎麦の香りを決めるのは八割か十割じゃなく蕎麦の実の質だと思ってる」

 言われてみればそうかも。今日だって食べながら十割と二八で差なんか感じなかったもの。

「麺としての質を考えると二八が上よ」

 十割も腰はあったけど、

「あれは腰とかじゃなくて硬いのよ。だから十割の方が太かったじゃない。二八みたいな細さじゃボソボソで千切れるからのはずよ」

 これも極論だけど二八の方が作りやすいのは間違いないと思う。

「そこだけど十割はいくら頑張っても最高の二八の麺に及ばないはずなのよ。粉の差は絶対のはずだもの。唯一勝てるのが二割だけ多い蕎麦の香りになるだろうけど、差なんてわかった?」

 とか言いながら、

「このチサの二八優位説を覆す十割蕎麦を見つけるのが目標」

 美味ければ文句ないか。通には通のこだわりもあって良いし、こだわりを考えずにその時に美味しいか、美味しくないかで判断するのも良しだよ。

「コウキの方が割り切ってるな。でもそういう考え方は好きよ」

 ガ~ん、蕎麦談議に衝撃を受けたのじゃなくボクが名前呼びされたこと。それも敬称抜きの呼び付けはインパクトが強すぎる。ボクだってそう呼ばれた経験はあるけど、

「違うでしょ。結婚して夫婦になれば当たり前になるけど、そうじゃなかったら新鮮でしょ。ねぇ、コウキ」

 息が止まりそうだ。たったそれだけでこれだけ距離感が変わるものだったか。

「でしょでしょ、夫婦で気にもならなかったのは、そんな距離感が日常になってしまってるからだよ」

 その通りだけど、どうしてそこまでして距離を近づけたいのだよ。

「唐櫃のホテルで頑張るためじゃない」

 唐櫃のラブホは遠慮しとくとして、

「B&Bでも良いよ」

 どうして滝野のラブホなんだよ。人をからかうのはエエ加減にしてくれ。

「ところでさぁ・・・」

 それは良いけど本当に良いの?