小豆島へのフェリーは三宮のフェリーターミナルから出るのだけど、これが八時半出航だから八時までに到着する必要がある。
「行くぞチサ」
「アイアイアサー」
女がすべてそうだなんて言う気は毛頭ないけど元嫁のお出かけ支度は長かったんだよな。女の方が身支度に時間がかかるのはわかるし、なんだかんだと持って行く荷物が多いのは理解してやらないといけないのだろうけど、何度もウンザリさせられたし、そのうち大喧嘩になってお出かけ自体が消滅してしまったぐらい。
それにくらべるとチサは手早い。ボクより早いのじゃないかと思うぐらいの手際の良さなんだ。三宮フェリーターミナルは税関の奥にあるのだけど、
「ここから宮崎に行くフェリーも出てるのか」
手前がジャンボフェリーで高松と小豆島に行くけど、奥は宮崎フェリーの乗り場になってるらしい。係員の人の誘導に従って待っていると乗船の順番が来たみたいで。
「いよいよだね、なんかドキドキする」
係員さんの誘導に従ってランプウェイから船内に。前に前にと案内されてここで良いみたいだな。ローギアに入れてエンジンを停止するのか。
「こうやってバイクを固定してくれるのね」
ボクも初めて見た。そこから階段で船内に。
「これは立派だよ」
ホントだ。まずは居場所を確保しないとな。2Dってとこが自由席になっていてボックス席を陣取れた。
「デッキに出ようよ」
三宮からの出航シーンを楽しんで、
「朝はゴメンね」
なに言ってるんだよ。朝食は時間が中途半端だからここで食べようと決めたじゃないか。
「だって養ってもらってる居候みたいなものだから朝食ぐらい用意しないと」
準備や片付けに手間と時間がかかるじゃないか。ボクはここでうどんが食べたかったの。
「変わったうどんがあるね」
だよな。ボクは島うどん、チサはオリーブうどんを食べて、
「なにかフェリーで食べると特別感があるね」
ボクもそう思う。特別感と言えば、
「チサは経験ないな。コウキはあるの」
残念ながら。なんの話かだけど新幹線のビュッフェとか食堂車のこと。家族旅行の時に行きたいって言ったけど親父は、
『高くて不味いだけだ』
それはそうなんだろうけど、行けなかったとなると行きたくなるのが人情だ。
「もう無くなっちゃったのよね」
そうだった。失われた経験というか、
「夢と消えちゃった」
新幹線もひたすら進化してるのだけど、
「旅情というか、アミューズメント感は乏しくなったかな」
そんな感じはする。まあ、あれは観光というよりビジネス用だものな。
「あれも乗ってみたかったな」
トワライトエキスプレスだろ。あれも夢と憧れだったよな。
「あら、コウキの憧れはチサだけじゃなかったのね」
比べるな。
「あれも瑞風になったけど高すぎるし、行き先だってタダの周遊列車じゃない」
それは言えてる。トワイライトエキスプレスは北海道に行くのもロマンだったもの。
「乗れるときに乗って経験しときたかった」
そう思う。だからこれからたくさん経験しよう。
「期待してる。じゃあまずコーヒーとジェラートにしようよ」
そこからか。もちろんOKだ。もっとも楽しむと言っても三時間ほどなんだ。
「次へのステップでしょ」
バイクでのフェリーの乗り方は覚えられたものな。坂手港に十一時四十分に到着して、
「どうするの」
そんなものマメイチに決まってるじゃないか。もっともマメイチと言ってもコースの取り方でバリエーションがあれこれあるみたい。だからまずはシンプルに北上して国道四三六号を目指す。
「ここだね」
そこから時計の反対回りに走って行く。
「わぁ、シーサイドロードだ」
結構アップダウンがあるな。
「こっちにもフェリー乗り場があるよ。これは姫路からなのか」
道は小豆島の東岸を北上してから、今度は北岸を西に向かって走って行く。
「サイクリストの人も多いね」
ここも聖地の一つらしいからな。
「フェリーにもサイクルピットがあったものね」
あれはなんだと思ったよ。ちょっと一休みしよう。
「長い名前の道の駅ね」
大坂城残石記念公園か。
「こんなところから運んでたの?」
ああそうだ。日本は石垣になるような石が少なくて、墓石とかお地蔵様まで使ってるところもあるらしいからね。屋形崎のあたりから土庄にショートカットするルートもあるけど、マメイチだから海岸線沿いにルートを取って土庄へ。
「ここってエンジェルロードって言うの?」
計算通りだ、潮が引いて道が出来てるぞ。ここはね、トロンボ現象と言うらしいのだけど、潮の満ち引きで向かいの島まで道が出来るんだよ。世界的にはモンサンミッシェルが有名かな。さあ行こう。しっかり手を繋いで、
「こうなってるんだ。あれっ、まだ行くの」
ここは弁天島になるのだけど、島を回れば、
「うあっ、次の島にも繋がってるんだ」
終点が大余島になるだけど、ここはYMCAの所有地だから入れない。でもね、ここまで来たのに意味がある。
「なになに?」
大切な人と手を繋いで渡ると願いが叶うんのだよ。
「なんてロマンチックな」
そうだよ、ボクにとって世界一大切な人はチサだし、チサとの願いは唯一つ。もう逃げっこ無しだ。ボクと正式に入籍して結婚しよう。チサと結婚して残りの人生をかけて幸せにするのがボクに与えられた使命だ。
「本当にチサで良いの。性奴隷にされてパイパンの烙印まで刻まれてるんだよ。売春婦だってやってたし、前科だってあるのよ。そんな女がコウキに相応しいはず・・・」
あるに決まってるじゃないか。あのな、ボクみたいな平凡人がチサみたいな聖女と結婚できるなんて普通ならあり得ないだろうが。
「だからチサは聖女じゃないし、どれだけ穢れてるかわからないぐらいだもの」
最後の晩餐って知ってるか。ダビンチの絵の方だけど、あそこにイエス・キリストの彼女が描かれるてるだろ。
「それってマグダラのマリア」
そうだ。マグダラのマリアは売春婦だったとさえされてるけど、イエスによって七つの悪霊を排除してもらい、さらに結婚までしてる説がある。ボクはイエスじゃないが、チサの中の悪霊を追い払える力があると信じてる。
「コウキ・・・」
泣くなよ。チサには笑顔が似合うのだから。笑ってOKしてくれ。
「チサはコウキと結婚します。愛して、愛して、愛し抜くことを誓います」
カバンから取り出した赤い紙にチサは手を震わせながらサインしてくれた。神戸に帰ったら二人で出しに行こう。
「婚姻届は二度目だけど色んな契約書にサインさせられた。奴隷契約書にまでサインした女は珍しいと思うし、売春婦の契約書だってかなりレアよ」
もうその話は、
「どの契約書もチサが男に体を開き、チサの体を縛り付けるものだった」
縛り付けるって・・・ボクはそんなことは、
「してるよ。婚姻届ってコウキにだけ体を開く契約書でもあるじゃない。でもこんな嬉しい契約書がこの世にあるものか。これがチサのする契約書への最後のサイン。死んだってあの世まで追いかけるし、生まれ変わっても必ず見つけ出してやる。チサは、チサは幸せ過ぎる・・・」
もう涙でボロボロじゃないか。なんとか泣き止んだチサは、
「今夜は二度目の初夜ね」
ああそうだ。忘れられない夜にしよう。チサこそどんな境遇に置かれても穢れることがない聖女、この世で最高の女だ。