ツーリング日和17(第7話)神戸アート工房

 シナリオの総点検と見直しでオフィス加納の通い詰めの時期があったんだけど、お蔭で今は顔パス状態になっている。あそこのセキュリティは固いなんてもんじゃないのだけど、身内扱いになればアポ無しでもフリーパスで入れるってこと。そりゃ、

『四葉先生』

 こんな待遇になってるからね。先生と呼ばれるのはあんまり嬉しくないのだけど、他に呼ばれようがないと言われればそれまでだ。オフィス加納は映画のスタジオ撮影にも使われるけど、あそこは写真の聖地とまで呼ばれる写真スタジオでもある。

 そりゃ、日本どころか世界でも指折りとされるフォトグラファーがゴロゴロいるもの。だから当たり前だけど写真のスタジオ撮影も常に行われている。通ってみてわかったのだけど、写真のスタジオ撮影にもセットがいるのよね。

 セットも映画ならある程度の期間は使われるのだけど、写真の場合は撮影が終了したら入れ替えになるんだよ。そりゃ、そうなるとは思うのだけど六人もプロがいるから、その入れ替え作業が年がら年中行われてるぐらいの感じになっている。

 というか、あるスタジオでの撮影と並行して次の撮影のためのセットの設営が常にあるぐらいだ。それも二か所、三か所と同時進行してる時もある。それだけのスタジオ数があるのも驚かされるのだけどね。

 そのセット設置を請け負っているのが神戸アート工房だ。世間的には無名だけど、業界内では超が付く有名会社だ。その技術力、企画力、実行力は日本一とされてるぐらい。そりゃ、オフィス加納の要求を満足させているのだからタダ者じゃない。だから、

『難しい仕事は神戸アート工房に』

 これが業界のフレーズみたいになっている。アリスはクランクインしてからも撮影現場の見学をさせてもらってるけど。これが噂の神戸アート工房の仕事振りかと感心させられている。

 アリスが撮影現場だけではなく、セットの設置みたいな裏方仕事まで見せてもらっているのはシナリオの参考のため。これはそのうち裏方仕事のシナリオの依頼があるかもしれないのもあるけど、それよりアリスのシナリオからどんな風にセットが組まれ撮影されるかも知りたかったのが大きいんだ。

 シナリオに沿って映画は作られるけど、実際にはどうしてるのかを知るのは勉強にも参考にもなるんだよ。元寇映画はコンペだったから、あんまりその辺のことを気を使わずに書いたけど、普通は現場の現実に縛られまくるのがシナリオだ。

 ぶっちゃけ予算だ、限られた予算と撮影期間で仕上げるのが求められるから、良かれと思って書いても、現実に出来る事とのすり合わせでボロクソ言われる事も良くあるもの。

『現場を知らんのか』
『家でも建てる気か』
『どうやって撮るつもりだ』

 これぐらいは優しい方だものね。元寇映画はシナリオコンペだからプロットからすべて考えたけど、普通は色んな制約を監督やプロデューサーと擦り合わせながら書くことが多いもの。

 オフィス加納に行く時のアリスは干物女でも干物女なりに気合を入れて装ってた。だってあそこは誰に会うかわからないところじゃない。映画に出演する女優さんや男優さん、さらにはグラビア撮影のアイドルとかモデルとかの有名人がゴロゴロいるものね。


 サキ監督に神戸アート工房のことを聞いたこともあるのだけど、オフィス加納も昔は自前でセットも作っていたそう。

「加納ビルを建て替えた時に手が回らなくなったかな」

 そもそも建て替えた理由がフォトグラファーが増え過ぎたからだって。ビルを建てた故加納先生は自分が一人かせいぜいもう一人ぐらいで撮るのを想定した規模だったそうだけど、二代目の麻吹先生になってから・・違うでしょ、オフィス加納の二代目は星野先生だ。

「ああそれか。形の上ではそうだけど、二代目はツバサ先生と言うか、オフィス加納が出来てからずっとツバサ先生だよ」

 なに言ってるのかわからない。この辺はあれこれ内部事情があるのだろうけど、

「とにかくアカネはまだしも、マドカもタケシも独立せずに専属契約で残ってしまったものだから、手狭になりすぎて今のビルに建て替えざるを得なくなった。建て替え前なんてスタジオにフォトグラファ―の行列が出来たぐらいだったもの」

 大きく広くなってスタジオの数は問題なくなったそうだけど、今度は撮影のためのセットが追いつかなくなったのか。そこで麻吹先生はアウトソーシング、日本語で言えば外注の方針を打ち出したのだけど、

「なかなか思い通りに行かなくて苦労されてた」

 こういう業者もいくつかあるのだけど、

「アカネなんてムチャしか言わないし」

 アカネとは渋茶のアカネこと泉先生の事だ。そうそうサキ監督は麻吹先生の一番弟子だった人で、フォトグラファーとしては芽が出ず動画に転向した人。だから麻吹先生には先生呼びするけど、後輩弟子は呼び捨てになってる。

 もっとも先輩風を吹かす高慢な人ではない。どちらかと言わなくても姉御肌で面倒見が良い人で、泉先生たちにも慕われてるのが見てるだけでわかるのよね。

「サキが姉御肌? だったらツバサ先生なんか極妻になっちゃうよ」

 それは会ってわかった、それもともかく泉先生は典型的な天才肌みたいなんだけど、

「アカネは日本語が苦手だからね」

 どんな苦手だよ。とにかくぶっ飛んだ発想でセットの希望を出すそうだけど、その要求の仕方がトンデモだそう。たとえば、

「で~んと山があって、川が流れて、そこには魚がピチピチ跳ねて、リスやタヌキやキツネが顔を出して、鳥も飛んでるとかね」

 ロケに行けと思うけど、ロケに行ったって山と川はあっても、そこに魚や動物がタイミングよく出来て来るはずがないから、わざわざスタジオ撮影にしてるからだって。ちょっと待て、本当に川を流して、魚を泳がせて、鳥を飛ばさせたとか言わないよね。

「そうさせてた。あんなもの良く作ったよ」

 そのレベルの要求を当たり前にするのが泉先生みたいだ。

「マドカだって、あんな上品そうな顔をしてるのに容赦なしなのよね」

 マドカとは白鳥の貴婦人と呼ばれる新田先生、アリスも紹介されたけど、茶道、華道はもちろんのこと、礼儀作法は小笠原流で、和歌も詠めて、フルートまで吹けるそう。典雅とはこういう事かと思うほどの立ち居振る舞いが自然に出来る人なんだ。そうだね、日本に貴族がまだいるのじゃないかと思わせてしまうほどの人だ。

「マドカはキッチリしてるからね」

 セットを一目見て、その配置、色合い、照明の配置から、少しでも気に入らないところがあると根こそぎ列挙して直させるそう。

「修正はミリ単位とか、〇・一度単位ぐらいに思えば良いよ」

 ひぇぇぇ、そんなとこまで直させられたら、

「そういうこと。大手とか、老舗って呼ばれるところでもクレームの嵐で音を上げた」

 だから神戸アート工房に頼んだのか。

「それも違う」

 外注が思う通りに機能せず麻吹先生も困り果てたそうなんだ、

「そういうツバサ先生が一番厳しかったのだけど」

 どんだけ! そんな麻吹先生のところに売り込みがあったのが神戸アート工房だったことになるのか。それだけの自信があったのだろうな。

「それも違う。当時の神戸アート工房は新興も良いところだったんだよ。その点でツバサ先生も悩んだそうだけど、熱意に負けてやらせてみたぐらい」

 最初はトラブルもあったそうだけど、短期間でそれぞれのフォトグラファーのクセを掴んで満足できる結果を叩き出したそう。オフィス加納での成功は業界を驚かせたそうなんだ。そりゃ、そうだろう。どこがやっても合格点はもらえなかったものね。

 オフィス加納での成功は神戸アート工房の飛躍にもなったそう。それだけの対応力、技術力があると誰もが見るもの。オフィス加納の仕事を中心に各方面にも手を広げ、今じゃ誰もが認める有名会社だものね。


 元寇映画の少弐屋敷のセットも当然のように神戸アート工房が請け負ったのだけど、あれってなんなのよと思うほどのものだったんだ。サキ監督のこだわりも炸裂したのもあるから、建設途中にもこれでもかのチェックが入ってた。

 サキ監督のこだわりは、生活感と、それにともなうこなれ感なんだけど、それが肉眼でなくカメラを通った時にどう映るかなんだよね。それこそ床板一枚から、金具の一つまでこだわるのよ。なるほど、こんな調子で写真のセットの方も指摘が入るのだとわかったけど、これに即座に対応できる神戸アート工房はやっぱりすごい会社だと思ったよ。