バーで飲んでる時に女神どもが来て、突然タケシに大仕事をさせる話が出ちゃったんだけど、
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「ツバサ先生、甲陵の競馬大会の仕事ですが」
「競馬じゃない障害馬術だ」
似たようなものなのに、こういう細かいところにツバサ先生はこだわるな。
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「タケシにさせるのは無毛です」
「うん、アイツのアソコはまだ生えてないのか」
そんなもの知るか!
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「えっと、間違えました無法です」
「アイツが乱暴者とは思えないが」
あれっ、なんだっけ、
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「無謀と言いたいのだろ」
わかっているなら余計な手間を取らせるな。
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「また潰してしまいます」
そしたらツバサ先生は椅子から立ち上がり、窓の方に向かい背中越しに、
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「アカネは成功した」
「マドカさんも上手く行きましたが、それ以外は全部失敗じゃないですか」
「そう思うか」
ツバサ先生は振り返り、
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「結局二人しか本物はいなかったのだよ」
「えっ」
「加納志織時代からずっと弟子を育て続けてる。弟子は可愛いものだ。可愛いからプロにしてやりたかった。だから、あれこれやってみた。でもな、わかってしまった事がある。プロになれる者しかプロにはなれないのだよ」
これだけ真剣で寂しそうな顔のツバサ先生は珍しい。
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「それって才能」
「そうだ、それに尽きてしまうのがプロの怖さだ。フォトグラファーは職人じゃなくて芸術家なのがキモだよ。カメラと言う道具を使って描くアートなのだよ」
「じゃあ、芸術の才能だけ見て弟子を選べば」
ツバサ先生の顔が思いっきりガチだ。
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「写真はカメラ好きにしか出来ないアートだ。芸術センスがあってもカメラに興味がなければ出来ない」
たしかに。芸術家の第一志望がフォトグラファーじゃないもんな。むしろ下の方かもしれない。
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「しかもだ、カメラは素人が楽しむにはお手軽な機械だが、プロが使うとなると話が変わる。わたしがプロになった頃から較べても、プロとして求められるテクの水準は飛躍的に高くなっている」
これもたしかに。カメラのお仕着せ仕様の写真じゃプロの価値はないもの。それを見下ろすような写真を撮ってこそのプロだよ。ツバサ先生がプロになったのは八十年ぐらい前だけど、カメラがあれこれ進化した分だけ、プロに求められるテクは高くなってるだろうな。
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「麻吹つばさになってからとくに強く感じてるが、プロのテクを覚えるだけで力尽きる者が多くなって来てる気がする。ここも言い換えれば、テクを覚える才能がないと覚えきれないとして良い」
なんとなく言いたいことはわかる。
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「テクを覚える才能と、アートの才能は必ずしも一致しない。いや、一致しない者がほとんどだ。これは経験させられた」
なんとなく、そうらしいのはアカネにもわかってきてる。
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「その中でアートの才能の持つ者の見極めは」
「アカネならわかっただろう」
ツバサ先生。それは、それは、まさか、
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「うちで最後にプロになったのはマドカだ。アカネも見ていたからわかるだろうが、あれがプロになる才能の輝きだ」
アカネが見たのはマドカさんだけだし、当時はそこまで思わなかったけど、それ以降の弟子に較べたら桁外れに輝くものがあったもの。逆に言うとプロになれるのはマドカさんぐらい輝くものがないと無理って事になる。
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「アカネなら気づいてるだろう」
「えっ、あの、まあ」
「やはり化物だな」
ツバサ先生だけには言われたくない。ついでに女神どもにも。
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「その通りでイイと思う」
「じゃあ、アカネたちがやってることは」
「ほとんどが無駄になる」
ツバサ先生はしばらく黙り込んだ後に、
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「才無き者を縛り付け、貴重な人生の時間をここで浪費させてしまった。ずっと前から気づいていたのにだ。わたしのやっていることは罪深すぎる」
あっ、ツバサ先生の目に涙が。違う、絶対違う、これはツバサ先生が間違ってる。
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「そんなことはありません。人生に無駄な時間などありません。ここで努力して、フォトグラファーになれなかった経験も大事な時間です」
オフィス加納の弟子は熱いハートを燃やし続けないと勤まるもんじゃない。そこまで全力を尽くして挫折するのは悔しいと思うけど、全力を尽くしたからこそ見えて来るものがあるはずなんだ。より自分の才能に合ったもの、適したものを。
オフィスはその場を提供してるんだ。それも本気でフォトグラファーを育ててるんだよ。これはツバサ先生だけじゃない、サトル先生だって、マドカさんだってそう。どんなに忙しくても弟子の育成には一切の手抜きはしないんだ。
オフィスで過ごした時間は無駄なんかじゃない。貴重な人生経験を積んでるんだ。これだけはアカネは譲らない。
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「アカネも言うようになったな」
だからアシスタント段階で逃げ出した弟子はともかく、そこをクリアして頑張った弟子たちのツバサ先生に対する慕い方は半端じゃないんだよ。そりゃ、もう正式には弟子じゃなくなってるけど、そう人生の師匠みたいな感じ。
懐かしそうに遊びに来たりもあるんだけど、そんな時にツバサ先生は、それこそ抱きしめるぐらいの勢いで歓迎するんだよね。オフィスでフォトグラファーになれなくても、他の分野でなんとかなってたら、心の底から嬉しそうな顔をするし、困ってることがあれば、どんなに忙しくとも時間を割いて相談に乗るんだよ。
これはサトル先生に聞いた加納志織時代の話だけど、最後に弟子にしたサトル先生のためだけに、六年前に閉めてたオフィスを復活させてるんだ。その時に掃除のために、昔のスタッフに声掛けたら、声をかけなかったスタッフまで飛んで来たんだ。
それだけじゃないよ。掃除に呼ばれただけなのに、勤めていた職場を退職して、全員がオフィスへの就職を頼み込んだそうなんだ。六年だよ、しかもその時に加納先生は八十歳になってたんだよ。
アカネもマドカさんも、独立せずにオフィスの専属契約のままなのも同じ理由で良いと思ってる。みんな、みんな、ツバサ先生と一緒にいたいんだ。一緒に仕事がしたいんだ。同じ時間を過ごしたいんだ。
ここまで偉大な師匠が他にいるものか。ツバサ先生と過ごした時間は無駄どころか、人生の宝物になってるんだ。アカネも心の底からそう思ってる。なにかあるとマルチーズにしたがる点を除いてただけど。
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「それは言い過ぎだ」
ツバサ先生は椅子に深々と座り直し。
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「とにかくタケシにはチャレンジさせてみる」
「タケシはやってくれるはずです。サキ先輩みたいな例外もいたじゃないですか」
「そうだな、あれはわたしには見えず、アカネが見つけ出したからな」