ツーリング日和16(第25話)居酒屋

 武藤課長は審査会議が長引き、山之内市長を長時間拘束してしまっただけではなく、明日の延長戦の出席までさせなければならない羽目になり、会議後も関係部署への根回しに走り回されました。ようやく一段落がつき原田プロデューサーと居酒屋へ、

「私も脚本を読んでは見たのだが、悲しいが素人だ。二つの作品の本質的な差がわからんのだ。まあ、漠然と製作費がかかりそうなぐらいはわかるが」
「風祭作品なら十億円ってところだ。もちろんこだわりだしたら際限なく増えるが、それぐらいで撮れるはずだ」
「それは前にも聞いているし、その線で予算獲得にも動いておるが四葉作品らどうなんだ」

 原田プロデューサーはビールをグイっと飲み干して、

「五十億円は欲しい。これだってスタート価格みたいなもので、最終的に百億円オーバーになっても不思議とは言えない」
「おいおい冗談だろう。バベルの塔でも建てるつもりか」

 元寇博の映画も当初企画からの変遷があります。これも当初はパビリオンで三十分程度の紹介映画ぐらいだったのです。短編だからサキ監督に依頼となり、今もそうなっています。サキ監督の招聘を推薦したのが原田プロデューサーです。

 ところが企画は迷走します。この辺は元寇博開催自体に市民の反対の声が根強いのもあったかもしれません。どちらかと言わなくても添え物企画であった元寇映画が目玉企画に成長してしまったのです、

「市長の意向もあったからな」

 パビリオンでの上映映画ではなく元寇博の宣伝映画にしたいです。宣伝映画であるから話題作りのためにシナリオコンペを提案したのも原田プロデューサーです。これだって風祭光喜の参加があってこれで決まりと思っていた武藤課長でしたが、すんなり決まるはずの審査会がああなってしまったのは心外も良いところです。

「サキ監督は風祭作品では転ぶとしていたが、あれはどういう事だ」

 原田プロデューサーはまたビールをグッと飲み干してから、

「少し違うな。風祭作品なら良くてトントン。これも褒めすぎか。赤字は出るが広告費の範疇に収まるぐらいだ」
「四葉作品ならどうなんだ」

 原田プロデューサーはしばらく沈黙し、

「あんなものを読まされるとは夢にも思わなかった」
「悪いと言う意味か」

 原田プロデューサーは唇をグッと噛みしめて、

「あのシナリオには日本映画の夢が詰め込まれている。映画を志した人間ならわかるはずだ。いつの日かあんな映画を撮りたいと思うのが映画人だ」
「そんなに凄いのか」
「ああ、凄すぎて日本と言う枠を越えてしまっている。だからオレも審査会では風祭作品を推した。大阪シネマの田中社長もそうだろう。あれはな、風祭作品が優れているからじゃなく、四葉作品なんて撮れるはずがないの諦めだよ」

 今日の審査会を思い返す武藤課長ですが、会議が進むほど当初は風祭案を推していた原田プロデューサ―も田中社長も態度が微妙になっています。

「日本だって大作映画を撮ってるじゃないか」

 原田プロデューサーは寂しく笑って、

「あんなものが大作なものか。低予算で背伸びしまくった貧相な作品だ。四葉作品に匹敵する作品となると・・・」

 思わぬ作品の名が出て来て驚く武藤課長に、

「あれが撮れたのは奇跡のコラボだ。黄金期の日本映画の資金力、世界でも指折りの大監督の執念、これに世界的名優が奇跡的に結集したから撮れたのだ。もうそんな力は日本の映画界にはない」

 武藤課長が責任者になったのは映画通と言うより映画好きだったからはあります。武藤課長も日本映画は好きですが、いわゆる大作に良い作品がないのは同意せざるを得ません。

「もう撮れないのはわかっていても、撮りたいと思うのが映画人だ。サキ監督があそこまで推す気持ちはよくわかる」

 ここで基本的な疑問が武藤監督にあります。サキ監督は短編映画の名手ではありますが、長編の実績がありません。そんなサキ監督に長編を撮らせて良いのかどうかです。

「撮れるはずだ。サキ監督は短編しか撮っていなし、普段はCMとかビデオグリップとかだ。だがどれもそのクオリティは高い、いや別格として良い。アメリカのミュジーシャンからもいくらでも引き合いがあるぐらいだからな」

 業界の内情に疎い武藤課長は驚くしかありませんが、

「サキ監督がいるのはオフィス加納だぞ。あそこは日本一の写真スタジオで、あそこに所属しているプロは世界でも指折りのフォトグラファーだ、武藤課長でも麻吹つばさ、泉茜、新田まどかの名前ぐらい聞いたことがあるだろう」

 光の魔術師、渋茶のアカネ、白鳥の貴婦人ぐらい武藤課長も知っています。

「あそこで動画部門をイチから立ち上げ、今日にいたるまでその座を譲る気配さえないのがサキ監督だ。サキ監督が撮れなければ日本の他の誰も撮れないだろう」

 加えて名画となりうる条件を話します。

「悪魔のように細心に天使のように大胆にはゲーテのファウストにあるものだが、映画もそうだ。映画とはシーンのつなぎ合わせで作られるが、シーン毎にいかに細心に作り込めるかがある。サキ監督ならそれが出来る」

 これは武藤課長にもわかります。本当の名画とはどのシーンを切り取っても名場面なのです。ですが製作費が五十億円とか百億円となるとあまりにも無謀です。福岡市の予算規模が二兆円ぐらいはあると言うものの、そこから百億円を捻出なんて出来るはずが・・・

「だから風祭作品を推したじゃないか。けどな映画は興行なんだよ。いくら予算をかけようが回収すれば良いだけの話だ」
「その目途は?」
「公開しないとわからないのが映画興行だ。もっともそうやって回収リスクを怖がってひたすら小さくなったのが日本映画だけどな」

 ワールドワイドに展開してひたすら大きくなったのがハリウッドになります。そんな事より、このまま明日の延長審査会になれば四葉作品が採用されてしまうかもしれません。そんな事になったら、

「ああそれか。風祭作品ならサキ監督は降りるよ」

 それも困りますが、

「そうなればオレも悪いが降ろさせてもらう」

 この段階で監督どころかプロデューサーまで降板となれば映画にケチが付くだけです。武藤課長は、

「サキ監督なら撮れるのか」
「日本でサキ監督以外に撮れるものはいない」
「資金の回収目途はどうなんだ」
「ちゃんと撮らせれば回収できるはずだ」
「製作費はどうするつもりだ。五十億円とか百億円なんか市議会を通るものか」

 原田プロデューサーは焼き鳥を食べながら、

「それをなんとかするのがプロデューサーだ。四葉作品を撮るのなら、映画人としてこれまで積み重ねたものをすべて使い尽くす。それだけの価値のあるシナリオだ」

 原田は続けて、世界の映画史上に残る名画は多かれ少なかれ無茶をして撮った作品が多いとし、

「プロデューサーはまさに死ぬ思いをしたとされている。だがな四葉作品を撮るのなら喜んで命を削らせてもらう。たとえ死んだって後悔なんかするものか。こういう作品に巡り合えるのを映画人なら夢見ているのだよ」

 ふと見ると原田プロデューサ―の目に涙が、

「やっと、やっとだぞ。これだけの作品に巡り合えたのだ。これから死ぬまでにもう一度なんてあるとは思えない。これをプロデューサー冥利と言わずになんとする」

 ここで武藤課長の脳裏に浮かんだのが山之内市長の態度です。はっきりとは言明はしていませんが、市長の心は四葉作品に傾いている気配があります。

「市長は四葉シナリオの意図がわかったんじゃないかな。今回の映画は福岡の元寇博のための映画、いや九州人が元寇を撮らせる映画だよ」

 武藤課長も見えて来ました。審査会議のメンバーはすべて博多っ子なのです。これはそういうメンバーにしたのもあります。四葉作品は文永の役に絞って描いていますが、それは九州の武士を主役にするためなのです。

 今回の映画の意図は元寇博の宣伝のためもありますが、九州の武士が当時世界最強の元軍を撃破した事もテーマのはずです。その戦場になったのが博多なのです。元軍に勝ったの九州人、いや博多っ子の誇りのはずだと思えるようになってきたのです。

「そういうことだ。それもだ、桁外れのスケールのシナリオだ。これを映画化できるのは九州人、いや博多っ子だけだと思う。市長もそこに注目している気がする」

 武藤課長も腹を括る覚悟を固めました。

「名作とされる映画はたとえれば聳える山を登るようなものだ。そりゃ、苦難の連続になるだろうけど、それを登れる機会に巡り合える事なんて滅多にない。オレは登ってみせるぞ」