ツーリング日和16(第32話)メガヒット

 公開前からあれだけ揉めたら注目はされてたけど、公開されるや空前とも言える大ヒットになったんだ。映画館は連日長蛇の列と言いたいけど、今は予約による座席指定システムが多いから、都市部では長蛇の列は出来なかったな。

 その代わりみたいにネットでは悲鳴があがっていた。見たくても予約がなかなか取れないんだよ。だから映画の座席予約がプレミアになって転売屋が暗躍して、それへの対策とかが取られる騒ぎになってたものね。

 そういうのは不祥事になるけど映画人気をさらに煽る結果になったのは間違いない。どうしても映画を見たいとばかりに地方の映画館に押し寄せたんだよ。地方の映画館となると昔ながらの当日チケット売りも珍しくないじゃない。

 それこその長蛇の列が果てしなく出来上がり、前日どころか、前々日からテントを持ち込んでの泊り込みって状態になったのよね。それはそれで迷惑な状況だから整理券を配って対応しようとしてたけど、今度はその整理券の奪い合いのイタチこっご状態になってたもの。

 都市部の映画館も手を拱いていたわけじゃなかった。あれも話題になったけど、マルチスクリーンの全スクリーンを割り振ったところが出て来たんだ。そこまでやるかと思ったけど、なんと右に倣えするところが続出し、一時はこの映画しか日本で上映してないとまで言われたぐらい。

 ここまでの観客動員になったのが、それだけ出来の良い作品だったのはもちろんだけど、二度、三度、四度と見たくなるからともなってる。見れば、見るほど新発見のある映画とも言われてる。

 これはさりげない伏線が無数に散りばめられているのもある。アリスもかなり盛り込んだけど、サキ監督なんて役者のなにげない仕草一つにまで仕込んでるものね。これらはあくまでもさりげない伏線だから、気づかなくても映画は十分楽しめるんだ。でもそれを見つけられたらより深く楽しめるぐらいかな。

 そのために、どれだけの伏線があるかの発見競争がネットでトレンドになり、それを見てまた見たくなる循環になってた。だって、それを踏まえて見たら、もっと面白かったの情報が溢れてたし、その伏線を気づかずにこの映画を語るななんて出てたもの。

 だから出て来たよ。いわゆる伏線解説本ってやつ。これも笑ったら行けないけど、週刊売り上げベストテンの半分ぐらい占めてたもの。ここまで来れば社会現象そのものになり映画のタイトルにもなった、

『蒙古襲来』

 これは流行語になってる。そのままで使う時も多いけど、少しもじって、

『〇〇襲来』

 これはどこでも使われていた。たとえば学校の教室に先生が入って来るのは、

『教師襲来』

 抜き打ちテストなんかあれば、

『テスト襲来』

 お腹が減れば、

『空腹襲来』

 こんな感じ。とにかく何かが来ればすべて襲来って誰もが口癖のように言ってるもの。寝坊して母親に叩き起こされたら、

『オカン襲来』

 これは受けてたな。国内のヒット、いや大ヒット、いやいやここまで行けばメガヒットは確実なんだけど、日本の社会現象にもなっている映画は海外の関心も集めたんだ。最初はアメリカだったそう。あそこは懐が広いところだから、海外の話題作品の上映みたいな形で最初は始まったと聞いている。

 そこから火が着いて上映館が増え、増えた上映館から、途轍もないスケールの、途轍もない迫力の映画だとの評判が広まったぐらいかな。それに目を付けた大手の配給会社が上映館を増やしたらどっと観客が押し寄せる大ヒットになったぐらい。アメリカで火が着けばヨーロッパにも飛び火し、さらに世界に広がって行った感じぐらいだと思う。


 映画のメガヒットは、元寇博も救ってる。元寇博は福岡市が主催の地方博だけだけど前評判は良くなかったんだ。そりゃ、元寇の舞台は博多だけど、どうしてそれをテーマにした博覧会をやる必要があるんだって疑問だ。

 だから福岡市民にも不評で反対中止運動も根強くあったし、それに乗っかる議員も頑張ってたのよね。実際のところ、元寇博も開催した時点の人気はイマイチだったんだ。だから追加の展示が行われた。

 ここも話としては逆立ちしてるところがあって、もともとのもともとはPRというか元寇博の紹介のための短編映画をメインパビリオンの一角で上映する予定だったんだよ。それがあそこまでの超大作映画に膨れ上がっちゃったじゃない。

 だから映画関連の展示に変更はされてたんだ。ところがあの果てしもない撮影延長があったじゃない。元寇博開催後にずれこんでしまったから、開き直って目玉展示に変更してるんだ。この辺は元寇博の不評もあるのよね。

 映画こそ上映していないけど、主要なセットを再現してるんだ。そこにはオフィス加納に作られた少弐屋敷のセットも全部持ち込まれている。それだけじゃなく、合戦シーンのセットまで再現されている。あれは撮影の時に壊されたり、燃やされたりしてるのも多いから持ち込んだじゃなく再現なんだよね。

 さらに再現された元軍のジャンク船もある。これがなんと三十艘もあるんだよね。これだって当初はサキ監督が三百艘をすべて再現すると頑張ったらしいけど、さすがにムチャが過ぎるとして、原田プロデューサーが値切りに値切って三十艘にしたのだとか。それでも三十艘だよ。

 このジャンク船は海に浮くどころか航海も出来る。撮影の時には、対馬から、壱岐、さらに博多まで航海させてるんだもの。これはさすがに仕掛けがって、エンジンも組み込まれている。これもサキ監督は渋りまくったけど、それだけのジャンク船を操縦できる乗組員を集めるのは無理だと説得されたらしい。

 もちろん映画で使われた衣装や、鎧兜、その他の小道具の展示も行われている。それだけのものがあれば、映画を見てファンになった連中が押し寄せないはずがない。出演者によるトークショーもあったけど、元寇博のゲートが開いて一時間後に入場制限がかかってたものね。


 これだけのメガヒットだからアリスもウハウハだろうと思うかもしれないけど、そんなに単純な話にならないの。まずだけど観客収入とは関係がない。これはシナリオライターだけじゃなく、監督も、出演者も、撮影に関わったスタッフも同じ。

 もらえるのはいわゆるギャラだけだ。ギャラも撮影に直接関わった者は撮影延長で増えたけど、シナリオライターが手に出来たのは今回ならコンペのグランプリ賞金だけ。こういうシステムになっているのはあれこれ経緯があるけど、興行が失敗しても責任を負わないぐらいには言える。

 じゃあ、じゃあ、他に収入はまったくなかったかと言えばそうじゃない。シナリオにだって著作権はあるのよね。いわゆる印税収入ってやつ。脚本を直接売るわけじゃないけど、映画関連グッズの売り上げには印税が発生するものがある。

 わかりやすいのならビデオ販売。とりあえずDVDなら一・七五%が公定価格だけど、ネット配信でも手取りとしては似たようなものかな。それに関連書籍の販売にも印税は発生するんだ。こっちの方は販売会社との交渉次第で差があるぐらい。

 これがどれぐらいになるかだけど、DVDが二千円として三十五円だ。それだっけって思われそうだけど、一万本で三十五万円で、十万本で三百五十万円になるのよ。百万本以上は勝手に計算してくれ。モロモロ合わせると結構な金額になってくれた。


 収入も嬉しかったけど、このメガヒットでアリスが手にした一番大きなものは地位かな。シナリオライターの世界も芸能界と同じようなもので序列がある。おおよそだけど、トップ、セカンド、サード、その他ぐらいのグループに分かれてるぐらいに思ったら良いと思う。

 上のグループに上がるのに資格試験は無くて、すべて実績と人気で決まる。上のグループになるほどギャラ単価が上がるだけでなく、俗に言う良い仕事にあるつけるんだ。逆に下に行くほどドブサライみたいな仕事に目の色を変えないといけないぐらいと言えばわかってくれるかな。

 このフループ分けだけど、ぶっちゃけ定員が決まってるようなものと思ったら良いと思う。この辺は仕事の数の需要と供給の関係みたいなもので、アリスがブレークしてトップグループの座を占めれば、誰かがその座を追われると思えば良い。

 完全なる競争社会でトップの座に長年君臨しても、その才能に衰えが見られたと見られたら、たちまち追い落とされてしまう。それぐらい競争も激しいけど、その代わりの報酬も巨大ぐらいの関係だ。

 こういう世界に身を置いたら、誰でも上を目指す。というか目指さない者は燻るだけになり、誰も知らないうちに消えてしまう。だからトップフループの座と言っても保証もされないし、その座を狙うものはウヨウヨいる。アリスだってウヨウヨしながらチャンスをずっと窺っていたもの。

 だからトップグループに入れたら、次に狙うのはトップの座。そうナンバー・ワンを目指すのがこの業界だってこと。こういうチャンスは最大限に活かさないといけないって事と思ったら良いかな。

 相手を蹴落とすとまで言わないけど、抜き去るのに躊躇や同情は不要なんだよね。これは人には才能の限界があるからなんだ。晩年に至ってもトップグループの座を維持する怪物みたいいな人がいるけど、そうでない人の方が殆どなんだ。

 才能の限界がいつ訪れて枯渇してしまうかなんて自分でもわからない。短期間で燃え尽きることだっていくらでもある。だからチャンスがあれば少しでも上の座を目指して掴むのがルールみたいなもんだ。

 アリスだっていつの日か追い落とされる日が来る。その日までは全力疾走で駆け抜けるしかない。そこで追い抜いてしまった人なんて、気にしていたら始まらないシビアな世界だもの。

 ただね、いくらトップグループになったからと言って、世間的には無名なんだよね。あの映画だって出演者や監督はもてはやされても、シナリオライタ―の名で注目する人はよほどの映画オタクぐらいかな。それぐらい裏方仕事なのがシナリオライターでもある。

 それも別に構わない。そういう世界と思って飛び込んでるし、別に有名人としてチヤホヤされたくもない。風祭みたいなのは例外も良いところだってこと。だいたいだよ、顔も知られる有名人になったところで、良いことなんて殆どないじゃない。

 外を歩くだけで気を使わないといけなくなるし、なにをしても有名人がやることとして注目されてしまう。これだけネット社会になってるというのは、見ようによっては監視社会にいるようなものだもの。

 いわゆる有名人はそのリスクを払っても有名であることがゼニに直結するけど、シナリオライターが勝負するのはシナリオだ。いくら顔が売れても良いところは少なくて、むしろ邪魔になるだけ。

 もっともシナリオライターと名乗りながら、ヌエのような芸能人になってる人もいるけど、あれはあれで一つのサバイバル法ぐらいに思ってる。もっともああなればシナリオライターじゃなく、単なる芸能人だけどね。

 そんなことはともかく、バリバリ書くぞ。だってだって、依頼される仕事が、ずっとずっとやりたかった物ばかりだもの。こういシナリオを書くのがアリスの夢だったし、シナリオライターの夢みたいなものだ。