ツーリング日和16(第24話)会議室

 ここは福岡市役所の会議室。元寇博記念の映画シナリオのコンペの審査が行われています。コンペには多数の応募があり、既に一次審査、二次審査を経て最終審査の段階に入っています。

 出席者は福岡市側からは山之内市長と企画担当責任者の武藤課長、他にはプロデューサーの原田、配給元になる大阪シネマの田中社長、そして監督のサキです。司会役の武藤課長は、

「・・・最終審査に残った五作品のうち、風祭作品と、四葉作品に絞らせてもらって宜しいでしょうか。御異存がなければ、残った二つのどちらかの作品がグランプリと準グランプリになります」

 とくに反対意見が出ることも無く、風祭作品と四葉作品の二択が審査されることになります。まず口火を切ったのがプロデューサーの原田、

「私は風祭作品を推したい。さすが風祭先生の作品だけあって、よくまとまっているし、映画化という面からも良く考えられている作品だ」

 これにつづいて武藤課長も、

「風祭作品は元寇全体がまとめられており、評価できるもとして良いかと思います。四葉作品も悪いとは申しませんが、元寇の半分もないではありませんか」

 田中社長も、

「元寇映画で時宗が登場しない作品など考えられませんな」

 このコンペはかなり変則な応募法を取っており、まずコンペへの参加を申し込み、それから作品を提出する事になります。ここで主催者側も驚いたのですが、当代随一のシナリオライターである風祭光喜が応募してきたのです。

 風祭光喜の応募は審査に大きな影響を及ぼします。及ぼすも何も『これで決まり』の流れが出来上がり、審査員もグランプリを選ぶのではなく、準グランプリ以下を誰かにするかに重点が置かれることになります。

 そりゃ、風祭光喜へはまともに依頼するだけでも難しいぐらいです。まさかの応募をしてくれたのですから、諸手を挙げて歓迎の雰囲気です。そのためか今日の予定も午前中に審査は終了し、午後からコンペ結果の記者会見のスケジュールが組まれています。

 ところが監督のサキは風祭作品に賛成していない雰囲気を最終審査で示します。武藤課長も本当は五作品から風祭作品をまずグランプリに選び、後は準グランプリ以下の審査に入る腹積もりでしたが、

「私は四葉作品を推します」

 こう断言されグランプリ審査を二作品に絞らざるを得なくなっています。もっとも武藤課長にしてもシナリオの出来を評価するほどの能力があるわけでなく、原田プロデューサーが風祭作品を推したので同意した程度です。

 それ以前に風祭光喜と四葉アリスではネームバリューが違い過ぎます。武藤課長は名前も聞いたことがない四葉作品を、あれほどサキ監督を推す真意が理解出来ないところがあります。

 ここもですが最終審査の前に武藤課長、原田プロデューサー、田中社長の間で事前の相談があり、ここで風祭作品をグランプリにする話がまとまっていたからです。あくまでも四葉作品を推すサキ監督に対して、

「弘安の役がないじゃないか」
「そうだクライマックス抜きの作品など評価の対象にならん」
「それもだぞ、時宗抜きの元寇映画などあり得るか」

 こういう声が出ますがサキ監督は一歩も退く気配がないのです。武藤課長はなぜここまでサキ監督が四葉作品を推すのか理解できないところがあります。風祭作品を推す理由がもっともだとしか思えないのです。

 風祭作品は、まず元皇帝のフビライと幕府執権の時宗の海を挟んでの心理戦が展開されます。そこから文永の役になりますが、これはナレーションプラスアルファ程度であっさり流し、再びフビライと時宗の心理戦から弘安の役の勝利になるぐらいの流れです。

 一方の四葉作品は異色として良いかもしません。フビライどころか時宗もナレーション程度しか登場しません。そしてひたすら描かれるのは文永の役であり、ラストさえ合戦の後に苦い勝利を噛みしめながら終わってしまいます。

 その代わりみたいなものですが、四葉作品はこれでもかのクライマックスシーンを積み重ねます。対馬の戦い、壱岐の戦い、そして博多での決戦です。二つの作品の差はあれこれありますが重点を置いているのが、

 ・風祭作品・・・弘安の役
 ・四葉作品・・・文永の役

 こうなっているとしても良いかもしれません。どうせ作るのなら二つの戦いを取り入れたいですし、それよりなにより弘安の役が入らない元寇映画などありえないぐらいの見方です。サキ監督は、

「たしかに風祭作品は元寇全体を手際よく詰め込んでいるぐらいの評価は出来ます」
「それならば・・・」
「私の発言中です。黙っていてもらえますか」

 口を挟みかけた原田プロデューサーを黙らせ、

「元寇は映画にしろ、テレビドラマにしろ鬼門であるのは御存じでしょう。風祭作品では従来の轍を踏むだけになります」
「だからと言って四葉作品には時宗すら出ないんだぞ」

 先走った話になりますが、原田プロデューサーは主役を時宗と考え人選にも入っているだけでなく、出演の下交渉にすでに入っているぐらいなのです。これは風祭作品が選ばれるのを確実視しているのもありますが、

「仮に四葉作品を撮るにしても、製作費をどう見積もっておられるのですか」

 三回にも渡る合戦シーンとなると製作費は鰻上りになります。CGを使う手もありますが、それでもの費用が必要です。それと原田プロデューサーが見るところ、合戦シーンだけではなく他のシーンもCGではなく人を使った方が効果が上がるとしか思えません。

 ただここも人を使えばそれで良しではなく、人を使うだけの膨大とも言える時間と予算が必要なのが想定されます。こんなものまともに撮っていたらどうなってしまうかです。映画ビジネスで製作費をどれぐらいにするかはどれだけ重要な事かです。これにサキ監督は、

「製作費? なんの話でしょうか。コンペの応募条件には一言たりとも書かれていないではありませんか。無ければ制約なしに応募してきて当然かと」
「それは建前としてそうですが、ここは日本であり、製作費用は国内で回収する必要があります。いみじくもプロとして応募するなら配慮して当然のはずです」

 プロデューサーとして求められるのは製作費用の回収になります。これが出来てこそ一人前と言えます。今回も製作資金を提供するのは福岡市ですが、興行全体のプロデュースを請け負ってる立場から、リスクを小さくしたい気持ちがあります。

「映画興行は水物です。予算をかけても転んだ作品などいくらでもあります。ですが映画には予算が必要です。これだけの題材の映画をケチって作ってヒットする要素などないと存じます」

 ここで山之内市長が、

「サキ監督に聞きたいのだが、四葉作品の良いところはどこなのかね」

 サキ監督は大きく息を吸ってから、

「これまでの元寇作品は言い方は悪いですが、時代劇の延長で作られています。とくに古い作品は神風神話の呪縛の中ですからとくにです。ですが四葉作品は違います」
「どう違うのかね」
「四葉作品が描いているのは叙事詩です。たとえるならばトルストイの戦争と平和です。戦争と平和はナポレオンの侵攻に対するロシア民族の勝利を謡っていますが、四葉作品は元寇と言う国難に立ち向かった勇者たちの叙事詩なのです」

 それでも文永の役までしか取り上げて無い点を聞かれると、

「たった二時間程度の作品に求めすぎです。無理やり二つとも取り込もうとするから元寇映画は鬼門なのです。弘安の役なぞ、この映画がヒットすれば必ず続編が作られます」
「せめて弘安の役にスポットを当てるべきだと思うが」

 サキ監督は莞爾と微笑みながら、

「四葉作品が優れているのはそこです。弘安の役など、石垣にしがみつき、小舟で元船を襲撃するシーンぐらいしかないではありませんか。そして最後は台風です。そんな散漫な合戦シーンなど撮りたくありませんし、誰が見て感動すると言うのでしょうか」

 山之内市長は何かを感じたようですが、原田プロデューサー、田中社長、武藤課長は風祭作品推しです。議論はひたすら平行線をたどり、昼休憩を挟み、三時の休憩を挟み夕方に近づいてもまとまりません。

 武藤課長は困り果てます。実際の映画を撮るのはサキ監督です。サキ監督が気に入らない風祭作品を採用して良い映画を撮れるとは思えません。とはいえ、じゃあ四葉作品でOKかと言われると、元寇全体を考えると偏り過ぎています。

 こうやって紛糾した時の収拾法はいくつかありますが、この場でどれを使ってもシコリが残りそうです。それだけでなく会議の流れもおかしくなっている空気さえ感じます。こうなればやむを得ません。

「ここまで議論を尽くしても意見がまとまりそうにありません。委員の先生方には御迷惑かと存じますが、ここで今日の議論は打ち切りとし、一晩考え直して、明日続きとさせて頂きたいと思います」