ツーリング日和16(第23話)主役は誰だ

 フェリーを下りたら神戸だ。楽しかったし、仕事のためにもなった。コトリさんたちに感謝だな。一人で行っても、これだけの収穫があったかと言われると、絶対になかったと思う。さて旅行代金の清算をしないといけないけど、

「ユッキーとも話をしたんやけど、アリスのコンペに協力する事にしたわ」

 協力はしてもらったよ。

「賞金もろたら、奢ってもらうでエエは」
「頑張ってね」

 ちょっと、そんな金額じゃないよ・・・颯爽と走り去っちゃったじゃない。ホントに良いのかな。それにしても不思議な二人組だった。何者だったんだろう。なにか最後に元気までもらった気がする。とにもかくにも家に帰ろう。

 旅行の洗濯やら荷物の片づけを適当に終わらせて、シナリオのプロットを考えてた。コトリさんたちも言ってたけど、元寇物って駄作がとにかく多いのよね。つうかヒットなんて知らないぐらい。

 でもさぁ、素材としては悪くないはずなのよ。迫りくる元帝国の脅威と迎え撃つ日本だし、博多で大決戦もやってるじゃない。そう、クライマックスシーンも迫力満点になるはずなんだ。

 でも元寇物は転ぶ。その原因だけど、今度の旅行でなんとなく見えてきた気がするのよね。映画であれドラマであれ主役の存在感はヒットを左右する。魅力的な主役が活き活きと活躍しないとヒットなんかするわけがない。

 元寇物で主役となれば時宗になってしまう。そりゃ、歴史の教科書にも元寇勝利の立役者として出て来るぐらいの有名人だからだ。でもね、でもね、時宗は歴史とか政治では主役かもしれなけど映画とかドラマの主役では断じてない。

 コトリさんが上手いこと言ってたな。時宗主役で元寇やるのは、源平合戦を頼朝主役でやるようなものだ。時代の主役は頼朝だったかもしれなけど、頼朝主役の源平合戦なんて小説にすらないのじゃないのかな。

 源平合戦の頼朝は存在感こそあっても脇役だ。とくに合戦場面で主役になり活躍するのは誰がなんと言おうと義経だ。義経が縦横無尽に活躍して平家を破るから絵になるんだ。だからドラマならまだしも、映画では時宗は登場する必要もないぐらいだと思う。

 そうだよ時宗を出演させちゃうと鎌倉のシーンが必要になるし、鎌倉のセットを作ったりすれば、もったいなから鎌倉のシーンに尺を取られちゃうじゃない。時宗なんか出るだけ邪魔だ。

 けどね、時宗を除外しちゃうと主役がいなくなるのも現実的にある。歴史ドラマで便利なのは登場人物の名前が周知のものであるのよね。戦国時代がわかりやすくて、信長、秀吉、家康だけでなく有力武将の名前だって誰もが知ってるぐらい。

 これはそれだけ映画にしろ、ドラマにしろ、小説にしてもヒットするから量産されて、脇役クラスも有名人が量産されてるからなんだ。これに対して元寇はヒットしないから時宗ぐらいしか有名人がいなくなっている悪循環だ。

 そうなると新しい主役を作るべしだ。元寇は元と日本の戦争だけど、日本は全日本軍ではないんだよ。当時最強とされた坂東武者は時宗とともに鎌倉で後衛やってるだけだもの。戦ったのは九州の武士が主力だ。

 これも弘安の役になると四国の武士もかなり参加してるはずだけど、それでも主力は九州の武士だ。九州の武士の軍団の主役は九州の武将から出すべきだ。そうだよ、今回のコンペだって九州の武士が元軍を破る話を求められてるはずなんだ。

 そうなると少弐景資が主役だ。知名度が低いのがネックだけど、そんなものこの映画で上げたら済む話じゃない。映画でも、ドラマでも、小説でもそうだけど、ヒットさえすれば知名度が上がるどころかスーパースターになるもの。

 景資は文永の役時点で二十八歳なのも美味しいじゃない。颯爽たる総大将像を描き放題だ。とは言うもののさすがに知名度が低い。主役にするだけの仕掛けが必要だ。うん。いかにして景資を魅力的な主役にし仕立て上げるかがシナリオのキモになってくる。

 ここでネックになるのが景資は日本軍の総大将ではあるけど、当時に日本軍は戦国時代の軍勢とも様相が異なること。謙信や信玄みたいに采配を揮って敵を翻弄するような活躍が出来ないのよね。

 そうなると最初の見せ場は全軍を奮い立たせて決戦場に臨ませる役割ぐらいがあるけど、景資の登場シーンは遅いと言うより、いきなり決戦場になってしまうところがある。無名の景資がいきなり登場して全軍を鼓舞させるのは無理がアリアリだ。

 そうなると景資がそうできるストーリーが求められる。いやその一点に向かってストーリーのフォーカスをどう絞るかだろう。う~ん、う~ん・・・元軍は対馬、壱岐、さらには松浦を攻略して博多に來るのだから・・・

 元寇は文永の役と弘安の役の二回がある。規模が大きいのは弘安の役だし、従来の元寇物でもクライマックスは弘安の役だ。だけど弘安の役は規模こそ桁外れだけど、合戦シーンとしては映えないよ。

 だって石築地に依って、小舟で元船を襲撃するシーンばかりじゃない。それに規模がノルマンデイ上陸戦に較べられると言っても、主役であるはずの江南軍がやっと到着したら台風で自滅みたいな展開じゃない。

 こんなものいくら工夫を凝らしても、カタルシスなんか生まれようもないと思うんだ。合戦シーンのカタルシスは壮絶な激闘の上での勝利だ。それがあったのは文永の役だ。ここは割り切ろう。割り切らないとこれまでの失敗作の踏襲になってしまう。

 そうだよ元寇物の失敗の理由は、主役が決戦場に不在なのと、ダラダラした弘安の役をメインに持って来てるからのはずだ。それを除外したシナリオにすれば良いはず。主役は少弐景資にし、メインは文永の役の博多決戦だ。弘安の役は切って捨てる。

 文永の役だけなら・・・対馬と壱岐と博多をつないで行くストーリーにしたい。松浦まで入れると煩雑になるからこれも切り捨てる。対馬と壱岐と博多を結ぶとなると、対馬は宗助国、壱岐は平景隆か。これに少弐景資を絡ませないといけないけど、うんと、うんと・・・

 景資は二十八歳だけど助国は六十七歳なのか。その代わりに景隆は生年不明だから年齢不詳なのはラッキーかも。この三人のつながりだけど少弐氏は対馬と壱岐の守護で、助国と景隆は守護が不在の守護代なんだよね。

 ここでだけど対馬の宗氏は江戸時代も生き抜くほど古い家だけど、助国は初代なんだよね。景隆の平氏は文永の役で滅んだのは間違いないけど、それ以前はどうだったか不明だ。だったらここに創作の余地が出て来るじゃない。

 少弐氏が助国と景隆を守護代に選んだのは能力もあるだろけど、当時のことだから血縁関係もある方が自然だ。だから親戚で顔馴染みであるぐらいの関係はあっても不自然じゃない。ここだけどもう一歩進めて幼馴染にしたい。

 日本には西洋のような友情の概念がなかったとされるけど、日本にだって竹馬の友って言葉があるじゃない。だから観る方だって不自然さなんか感じるものか。ここでネックになるのが景資と助国の年齢差。四十歳もあるものね。

 だったら助国の息子を出せばよいはず。文永の役で平氏は滅んだみたいだけど、宗氏は生き残ってるし、生き残るには助国の息子が生き残らないといけないもの。助国の後を継いだのは盛明だから、景資、景隆、盛明の間に幼馴染関係を設定したらイイじゃないか。

 これ良いぞ、文永の役は対馬から壱岐と前哨戦があって、博多決戦に進むのだけど、盛明は対馬で生き残り、壱岐に渡ったはずじゃないか。壱岐にも元軍は来襲するから壱岐でも盛明を戦わせたって良いはずだ。

 盛明は対馬で親兄弟が討ち死にし、壱岐では幼馴染の景隆の討ち死にを経験して博多に行くことに出来る。そうすれば対馬と壱岐の戦いに参加させることが出来るし、その合戦の実相や、元軍の猛威を景資に伝える役割にも出来るじゃないの。

 対馬や壱岐での主役は盛明だけど、博多で景資にバトンタッチだ。盛明主役で押すのもありそうだけど、さすがに盛明では博多決戦では地位が低すぎる。そうだな、主役の景資の参謀役とか腹心みたいな地位ぐらいが適当だ。

 クライマックスになる博多決戦だけど、山場は二つだな。最初は赤坂攻防戦だ。博多に雪崩れ込もうとする元軍と、そうはさせまいとする日本軍の戦いになる。ここだけど、やはり元軍は強くないといけない。元軍の強さをしっかり描くことで最後の日本軍の勝利が際立つんだもの。

 日本軍の基本戦術は一騎打ち。つまりは騎馬武者を中心にした歩兵小隊による突撃になるのだけど、赤坂攻防戦では元軍の集団戦術が有効に働いた事にしよう。騎単位による小隊突撃を巧みに受け止め、これを歩兵の長兵部隊が撃退してしまうのを繰り返すみたいな感じだ。

 元軍はついに赤坂の頂上を奪取しそうになるのだけど、ここで景資だ。全軍に騎の連携作戦を号令させるんだ。騎の連携作戦で突撃単位が大きくなった日本軍を元軍も受け止め切れなくぐらいの展開だ。

 ここも日本軍が巻き返せた理由として、赤坂に攻め込んできた元軍はまだ先鋒部隊だったぐらいにしておく方が良いだろうな。そうだそうだ、赤坂には予め日本軍も先遣部隊を送り込んでいた設定にしておいて、苦戦していたところに景資率いる主力が到着し、景資指示の騎の連携作戦が有効に作用したぐらいだ。

 赤坂で思いもよらなかった日本軍の逆襲を受けた元軍だけど、後続部隊も加えて麁原山に本陣を置いて日本軍を迎え撃つ体制を素早く築き上げるぐらいが良いだろう。ここからが主力同士の決戦の本当のクライマックスになる。

 ここで鳥飼沼の湿地帯が日本軍に有利に展開た説もあるけど目を瞑る。イメージとして小高い丘である麁原山の元の本陣に向かっての平地決戦だ。そうじゃないと絵が良くない。騎馬武者は平地を駆け巡ってこそ絵になるんだよ。

 ここでも日本軍は騎の連携作戦による突撃戦法を採るのだけど、これに対して元軍は矢の雨を降り注がせる事で対応するんだ。元軍の猛烈な矢の雨は日本軍の歩兵部隊をバタバタと射倒してしまうんだ。あまりの損害の多さに景資が新たな作戦を号令するんだ。

 元軍の矢の雨に脆弱な歩兵部隊を下げて、騎馬武者だけによる追物射戦法を取らせるんだよ。ここからが本当のクライマックスになる。追物射戦法は元軍に深刻な被害をもたらし始めるんだ。

 十騎、二十騎と固まった日本軍は元軍陣地に突進し、隊長クラスを次々に射倒してしまう。隊長が射倒された部隊は浮足立ってしまうぐらいの展開だ。そんな時に日本軍に僥倖が訪れる。参戦が遅れていた肥前の部隊が麁原山の背後を衝くような形になるんだよ。

 そのまま総崩れにしても良いけど、それじゃあ、つまらないから元軍はここで最後の奮戦を行うことにする。崩れそうになる元軍の陣頭に左副都元帥の劉復亨が立って号令を発するんだ。

 劉復亨が陣頭に立つことで元軍も奮い立つ。さらに劉復亨の采配は巧妙で背後を襲った肥前勢を抑え込み、正面の日本軍の突破も防ぎそうになるぐらいにしておこう。ここは最後の山場だから、日本軍の損害も次々に増えて行くぐらいが良いはずだ。

 ここまで追い込みながら後一歩を崩せず、逆に元軍が盛り返して来そうな戦況に日本軍も焦るのだけど、ここでも景資だ。景資は元軍を支えているのが劉復亨だとするんだ。だからここで劉復亨を討ち取れば勝てるはずだと。

 そこで景資も陣頭に立ち、全軍を呼び集めようとするんだよ。景資の呼びかけに騎馬武者が次々に集まり、見たこともないような大騎馬軍団が形成され、

「あれに見えるが敵の御大将と見た。さらばこれを討ち取って功名手柄とせん」

 大地をどよめかすような大騎馬隊による突撃だ。劉復亨もそれを見て取って采配を揮うのだけど、大騎馬軍団の威力は元の部隊を次々と撃破して進んで行くんだ。元軍も必死の反撃を行い、鉄砲まで持ち出して戦う大乱戦になっていく。

 元軍の矢の嵐により射倒される騎馬武者たち、さらに鉄砲の爆発音に混乱する騎馬武者も出てくるのだけど、景資の騎馬隊は劉復亨への突撃をやめないんだ。立ち塞がる元兵とそれを蹴散らす日本軍の死闘だ。

 かなりの犠牲を払った日本軍だけど、景資はついに劉復亨に迫るんだ。だけど矢頃にはまだ遠いぐらいだ。しかしこれ以上の肉薄は困難だと判断し、

「対馬と壱岐の恨みを思い知れ」

 景資の放った矢は劉復亨をとらえるんだ。致命傷にはならなかったけど、劉復亨は倒され後方に運び去られる。劉復亨が陣頭から退いた元軍はついに撤退を始める事になる。これを追う日本軍に崩され、ついに敗走状態になって百道原から船団に逃げ込んでしまう。

 百道原まで追撃を行った日本軍だけど、海に逃げられるとこれ以上は追えないんだよ。麁原山から百道原までの追撃戦でそれなりの戦果を挙げるのだけど、壊滅状態にはできない感じにしておこう。だから景資も長蛇を逸したぐらいの表情をさせよう。

 でもね、そこで景資は振り返るの。そこに見えるのは追撃して来た日本軍だけど、赤坂からの激闘で満身創痍状態になってるぐらいだ。誰もが元軍の矢が刺さり、血を流し、立ってるのがやっとの者が殆どなんだ。景資にも何本かの矢が刺さる状態だ。

 景資は今日の勝利のために払った犠牲がいかに大きかったのかを改めて知るぐらい。苦渋の表情になりかけるのだけど総大将じゃない。これをさっと振り払うように。

『八幡大菩薩も御照覧あれ、勝ったのは我らぞ』

 これに応える日本軍の将兵達ぐらいがラストで良い気がする。いやラストはダメ押しがあった方が良いかもしれない。百道原からの帰路だ。時刻は夕闇迫るぐらいにして、傷だらけの将兵達が歩く姿だ。よっしゃ、これぐらいのプロットとストーリーでシナリオを書くぞ。