ツーリング日和16(第21話)勝因

 阪九フェリーも名門大洋カーフェリーに負けず劣らずのデラックス版だ。お風呂なんか露天風呂まであるんだもの。夕食も終えて部屋に戻ると、どうしても聞きたいのが日本軍の勝因だ。

「仮説とか、推測の積み重ねやで・・・」

 合戦となった時に国内戦なら相手の戦法とか、武器なんかはだいたい想定の中で戦われるって。たとえば名乗りを上げての一騎打ちだって、あれは国内戦だからルールとしてあるぐらい。だけど元寇は外国相手の国際戦だよね、

「つまりは相手の手の内がわからんってこっちゃ」

 元と日本は初手合わせだ。今ならそれでも事前情報をそれなりに集められるかもしれないけど、当時なら伝聞の果ての噂さえどれだけ知ってるかレベルのはずだって。これは日本もそうだけど、元もまた同じだ。

「そういう時やけど、やっぱり従来の戦術に固執するのが人や」

 固執すると言えば聞こえが悪いけど、相手の情報が皆無に近いから対策のやりようがないのも確実にある。だから慣れない事をするより、普段通りの姿勢で合戦で臨んだぐらいで良さそうだ。

「元軍の敗因は歩兵部隊で戦ったことになってまうやろ」
「でも仕方ないよね。だから一万五千人も連れて来たと思うけど」

 元軍が取った戦術は何度も話にあったけど、弓歩兵の曲射で矢の雨を降らし、敵が崩れたところに長兵部隊を突撃させて行くであったはずだって。

「効果はあったはずやねん」
「日本軍の歩兵部隊はタダでは済まないはずよ」

 日本の歩兵の防具は手薄のはずだって。当時の日本歩兵の役割は騎馬武者の付き人みたいなところがあって、言わば軽装歩兵だったはずだよね。そこに矢の雨を降り注がれたら被害が出ない方がおかしいはず。

 歩兵戦になってもそうのはずで、元軍の長兵は日本軍歩兵に較べたら重装備のはずだし、武器だって優勢のはずよね。まともに歩兵同士でやりあったら元軍が優勢のはずだ。

「元軍も手応えを感じていたはず」
「崩せると見たと思うねん」

 歩兵が降り注ぐ矢でバタバタ倒されたら、現場で騎同士が連携する集団戦法も機能不全を起こしそうだもの。そこで日本軍が取ったのは、

「歩兵部隊を下げて、騎馬武者だけの集団部隊を作ったはずやねん」

 鎌倉武士の主武器は弓矢だけど、着ている鎧もまた弓矢戦に特化したものなのか、

「大鎧っていうのやけど、馬上で弓をは放つのに便利なようにあれこれ工夫されとったし」
「言うまでもないけど、相手の弓矢に対する防御力も高いのよ」

 コトリさんは笑いながら、時代劇のイメージで、たとえ鎧を着ていても刀でバッタバッタと切り倒せると勘違いしている人が多すぎるって。鎧を着こまれたら刀で切っても、

「切れるかい。せいぜい刀でぶん殴ったぐらいのもんにしかならん」

 元軍の矢の使い方は曲射の遠矢。歩兵には効果はあっても大鎧を着こんだ騎馬武者への効果は落ちたはずだって。騎馬武者が集団になって追物射戦法を採ったのだけど、

「かなりの連携プレイが出来とったんちゃうか」
「そんな気がする」

 騎馬集団は元軍の隊長クラスを狙って突撃したはずだけど、元軍だって応戦したはずよね。でも、

「隊長を守ろうと立ち塞がる奴も射られたはずや」
「元軍の鎧は軽くて運動性に優れていたとなってるけど、裏返せば防御力に劣るじゃない。距離を詰められて射られたらら一撃必殺になるはずよ」

 そうなると騎馬部隊に襲われた元軍部隊は次々と崩されて行ったとか。

「そこまで単純やないと思うけど、有効な対抗手段を取れんかったでエエと思うねん」

 追物射戦法は矢をつがえた騎馬武者が突撃し、矢を放つと、

「後ろに下がって矢をつがえ直すんや」
「ヒットアンドアウェイ戦法に近いかもね」

 ここでポイントなのが戦いの実相が騎兵対歩兵になったことじゃないかとしてた。この対決なら機動性で騎兵が圧倒的に有利になるんだって。

「動いとる騎兵に歩兵で対抗するのは容易やないねん。歩兵で勝つには、とにもかくにも騎兵の動きを止めなあかんねん」

 止めたところを寄って集って襲うってやつね。

「そやけど追物射戦法はヒットアンドウェイやんか。足止めしようと思うても逃げられるし、騎兵の矢はひたすら脅威やし」
「元軍の矢の騎馬武者への効果は落ちるはずでしょ」

 そんな騎兵部隊に繰り返し突撃されたら、数に勝る元軍も持ちこたえなくなったのか。

「そんな感じやと思う。その証拠みたいなもんやけど・・・」

 元軍の中枢は、

 都元帥 クドゥン
 左副都元帥・劉復亨
 右副都元帥・洪茶丘

 総司令官と副司令官ぐらいのはずだけど、

「左副都元帥の劉復亨が負傷するんや」

 ここまでの高級士官が負傷すのは、このクラスの指揮官が前線に立って指揮をせざるを得ない状況になっていたはずだって。矢が当たったんだろうな。ちょっと待ってよ、日本軍が取った追物射戦法ってモンゴル軍の軽装弓騎兵の戦術に似てるじゃない。

「結果的にはな。モンゴルとの違いは軽装やのうて重装でやったことや。重装やから接近戦が出来るんや」

 コトリさんは笑いながら、元軍にとって追物射戦法は装甲車とか戦車に突っ込まれたぐらいの破壊力に感じたかもしれないって。だったら重装弓騎兵は最強なのか。

「でもあらへん。重装やから弓騎兵でも鈍重にならざるを得んのや」
「だけどね、鈍重でも歩兵相手なら優速よ」

 ああそうか。騎兵に対抗するには騎兵が必要なのか。元軍に有力な騎兵部隊がいれば、戦いの様相が変わったかもね。そうなると勝敗を分けたのは日本の主力が重装弓騎兵だったのに対して元軍は歩兵部隊だったからか。

「対歩兵戦だけ考えたら重装弓騎兵は強みをこれでもかと発揮したでエエはずやねん」
「騎兵部隊を欠く元軍は有効な対抗戦術を繰り出せなかったぐらいで良いはずよ」

 初顔合わせなのは日本軍も元軍も同じで、日本軍だって元軍の見知らぬ戦術に苦戦した部分はあったはずだって。でも元軍だって鎌倉武士の追物射戦法に対抗しきれなかったのが文永の役の決戦の帰趨を分けたで良いみたいだ。

「そやから、この敗戦で撤退を決めたんは謎の反転でもなんでもあらへん」

 合戦は勝っても負けてもやるだけで損害を蒙るし、損耗もするんだって。この日の戦いは決戦の名に相応しい激戦だったはずとまずしてた。だから元軍の鎧兜も傷つくだけでなく、

「矢も想定以上に使いまくったはずやねん」

 使っても渡海しての遠征軍だから補充なんてできないよね。

「士官級の損失も大きかったと思うで」

 でもそんな記録は、

「記録に残るかい。いくら討ち取っても誰かわからへんやんか」

 そうだった。損失した兵の補充は予備隊を繰り出せばなんとかなるかもしれないけど、士官の補充なんか出来ないよね。

「兵はな、指揮するやつの能力で無敵の軍勢にもなるし、烏合の衆にもなるんよ」

 戦いの様子からして勇敢で有能な士官ほど戦死率が高いかもしれない。

「それだけやない。元軍は合戦だけしとったわけやない。この日かって勝つつもりで翌日以降の準備をしてたはずや」

 だよね。兵器や兵糧をどんどん陸揚げして兵站拠点を築いていたはず。これが船団に敗走となると日本軍に奪われてしまった可能性も高いのか。最後に、

「日本軍の重装弓騎兵に対抗するには騎兵が必要と判断したと思うねん」
「そんなもの右から左に呼び寄せられないから無謀な再上陸を避けたはずよ」

 結果は遭難して大損害を出してしまったけど、腹積もりとしては、

「元軍かってこれだけの船団をホイホイ作られへんのも知っとったはずや。そやから船団を保全して捲土重来を選ぶのは当然やろ」

 まさに紙一重みたいな勝ち方だった気がする。でも勝った成果は大きかったとコトリさんは見てる。この重装弓騎兵への対抗策は弘安の役でも出来なかったとしても良さそうなんだ。元軍が博多上陸戦を弘安の役で行わなかったのは石築地もあったと思うけど、たとえ石築地を突破しても合戦となると自信がなかったのかもしれない。

「石築地いうても博多湾しかあらへんやんか。上陸して決戦を挑むんやったら唐津からでも可能や。そやけど決戦となった時に東路軍の兵力では勝算が立たんかった気がするねん」
「ぶっちゃけ怖気づいたってこと」

 なるほど文永の役の勝利は弘安の役にそうやってつながってるのか。