ツーリング日和16(第10話)威力偵察説

 コトリさんの先行ペースは、アリスでも無理なく走れるものになってくれた。ちょっと悪いと思ったけど、

「これがマスツーや」
「仲間と走るってこういう事よ」

 お言葉に甘えておこう。事故は嫌だ。運転に余裕が出来たから元寇の話を。これもどこかにあったけど、元寇のうち文永の役は威力偵察説もあったはず。あそこで引き返したのは偵察が済んだだけって話だったよな。

「そんなことあるかい」
「どれだけの船団を引き連れて来てると思ってるのよ」

 文永の役の元軍の規模も諸説あってわからないところがあるのだけど、

「コトリは元史世祖本紀の九百艘、一万五千人説を採ってるわ」

 理由は算数の辻褄に説得力があるんだとか。

「まず九百艘の内訳やけど・・・」

 大型船が三百艘、上陸用船が三百艘、小舟が三百艘の記録があるみたいで、

「九百艘いうても上陸用船も小舟も大型船に載せとったと考えてるねん。これはな一万五千人を大型船に分乗させても一艘あたり五十人やねん」

 算数をしたらそうなるよね。どうせ乗るなら大型船の方が安全だし、それも一艘に五十人ならいかにも乗れそうな数字だ。というかさぁ、小舟で海を渡るのは無理があり過ぎるし、上陸用船だって厳しそうだものね。じゃあ大型船ってどれぐらい?

「当時のジャンク船は六百トンから二千トンぐらいで、乗組員が百人から二百人やったとされてるねん。そやからここは千トンで乗組員は百人としてみる」

 一艘当たり乗組員が百人で兵士が五十人の計百五十人としたら、船団全体で四万五千人になるのか。たしかに妙に具体的だ、千トンのジャンク船と言われてもイメージしにくいけど、これに積み込まれるのは、

「兵糧は米換算で考えたら一日当たり一人六合や・・・」

 これは戦国時代の雑兵の兵糧計算らしいけど、それなら白米で一日あたり二俵強ぐらいになるんだって。ここで半島から博多までかかる日数は当時なら一か月は覚悟するものらしいけど、

「とりあえず三か月分の兵糧米を積み込んだとしたら二百俵ぐらいや。それぐらいは載ると思うけど、他にかさばるもんとして水と薪がある」

 そっか水も持っていかないとならないのか。薪も煮炊きに絶対必要だよ。言うまでもないけど、戦争をやりに行くのだから武装や兵器、馬だって積み込んでるよね。

「細かいことを言いだしたら、野戦陣地構築用の資材とかも持って行かんとあかんやろ」

 それでも千トンの船なら積み込めたんじゃないかとしてた。それと上陸用船だけど兵士が五十人乗れるぐらいの大きさだと考えるのか。そう考えて行くと船の数も兵士の数も算数的に辻褄が合いそうな気はする。となると九百艘と言いながら目に見える範囲としては三百艘か。

「それでも当時にしたら空前の大船団だよ。この船団を作るのに高麗が干上がってしまってるもの」
「今でも半島に禿山が多いんは、その時に木を伐り過ぎたからとなっとるぐらいや」

 文永の役だけじゃなくて弘安の役の東路軍の船団も作ってるものね。文永の役だけでも高麗の国力を傾けての大船団として良さそう。

「弘安の役の東路軍の規模は文永の役と同じぐらいと見て良いと思てるわ」

 そりゃ、高麗の国力だって枯渇するよ。

「だいたいやで、戦争ってカネのかかるもんやねん。一万五千人の大軍を陸路で遠征させるだけでもごっついゼニがいるのに、これを海路で送り込んでるんやで」
「海路も今の海路じゃないよ。半島から博多に來るのだって大航海みたいなものだよ」

 そこまでして送り込んだ大軍なのに、博多で一日戦って偵察の目的を果たしたから帰るのは不自然か。

「そもそもやで、威力偵察やったら、別に本隊がおらんとおかしいやろ。そんなもん弘安の役まで影も形もあらへんやんか」

 たしかに。

「それとだけど、威力偵察なり先遣隊を送るのなら、もっと小規模で対馬と壱岐の占領を目指すはずよ。航路の安全性を高める意味もあるし、後方補給基地の確保の意味もあるじゃない」

 言われてみればそうだ。対馬と壱岐を抑えて次に博多を目指すのはありだよね。なら日本征服がやっぱり目標だった。

「そこまではわからん」
「さすがに少ないと思うのよ」

 少ないって、

「一万五千人は大軍だけど、占領地が広がれば広がるほど、そこに守備隊を置かないといけないでしょ」
「相手は異国人やからな。その辺が面倒やから、モンゴル軍は大虐殺をやらかした部分はあってんやろうけど」

 この頃なら朝廷は京都で幕府は鎌倉だ。博多から攻め上っていくと兵力が足りないのか。だったら目的は。ここでコトリさんが楽しそうに、

「それでも一万五千は余裕の大軍や。ちょっとやそっとで勝てるもんやあらへん。文永の役の日本軍かって苦戦しとるやんか」
「そういうことよ。一万五千の兵力での戦略があったはずなの」

 どういうこと。

「元の当時のメインの戦略目標は南宋や。主力はそっちに向かっとる」
「だけどね、南宋もしぶとかったのよ」

 それどっかで読んだ事がある。フビライは南宋がしぶといのは日本との連携をしてるからと疑ったとか。

「そのはずやねん。そやからわざわざ日本に兵力を向けたんやと考えとる」
「だから一万五千だと思うのよ」

 肝心なところを端折るな! わかんないじゃない。

「簡単な話や。日本と南宋の連携を打ち切るだけやったら九州を抑えたら十分やんか。それも北九州を抑えたら連携は断ち切れる」

 なるほど。でも北九州を占領しても日本軍だって反撃するじゃない。

「だから一万五千やし、三百艘の大船団や。関門海峡から瀬戸内海に進出されたら九州上陸は容易やないで」

 た、たしかに。小勢なら奇襲で上陸できるだろけど、一万五千の元軍に対抗できるだけの大軍を上陸させようとすれば、どれだけの損害が出るかわからないよ。そうやって北九州に根拠地を築き、兵糧とか武器を蓄え日本の情報収集も行うのか。

「半島と博多を輸送船団としてピストン輸送も出来るやんか」

 ちょっと待ってよ。一万五千の兵力なら現実的な戦略だけど、そのままじゃ、九州と本州でにらみ合い状態になっちゃうじゃないの。その状態から日本征服を目指すとしたらさらなる増援軍が必要になるはず・・・それって、もしかして、

「コトリはそういう戦略やったと考えとるねん」
「北九州に前線基地があれば増援軍だって送り込みやすいじゃない」

 まさかの二段階戦略だったとか。でも話の辻褄だけは合うのよね。文永の役の元軍の戦略目標が南宋と日本の連携を断つことだから、その成果として南宋が滅んだら次は日本征服になっても不思議無い。

 文永の役は一二七四年で南宋が滅んだのが、その五年後の一二七九年。そこから船団を作り上げて再び攻め寄せて来たのが一二八一年になるから、期間的にも辻褄が合うのは合うのよ。

 弘安の役の元軍の規模も諸説あるけど十四万とも十五万とも言われてて、文永の役のざっと十倍ぐらいになる。これだけの大軍なら日本征服だって可能のはずだ。だって日本で十万クラスの大軍が出現したのは戦国時代どころか、安土桃山時代、いや関が原とか大坂の陣になるはずだもの。

「秀吉の小田原攻めがあるで」

 ツッコミがうるさいぞ、それを言い出せば小牧長久手だってあるだろうが。そんなスノブな話はさておき妙に現実味があるのは認めざるを得ないよな。

「これはそう見たらそう見えるぐらいの話やねんけど・・・」

 弘安の役は半島から南下した東路軍と南からの江南軍の二本立てだった。江南軍の到着が遅れたのは史実だけど、

「予定より遅れたのは史実でエエと思うけど、あれって最初から東路軍が先着する戦略やったと思てるねん」
「海路の日和がアテにならないぐらい知ってたはずよ」

 どういうこと?

「上陸戦はリスクが大きいねん。とくに大軍の上陸戦は難度が高いんよ。そやから先着した東路軍がまず北九州を制圧して、そこに江南軍が加わる戦略やった気がするねん」

 それって文永の役と同じ狙いじゃない。でもあり得そう。だけど史実がそうならなかったのは、

「日本軍が強かったからや」

 日本だって博多で防備を固めていたものね。

「石築地とかね。でもね、あんなもの低い壁に過ぎないじゃない」
「そういうこっちゃ。元の大戦略を打ち砕いた原因はそこやあらへん」

 どこだって言うのよ。