ツーリング日和15(第30話)謙信の戦略

「謙信は戦術家だったけど戦略家としては落ちるよね」

 そういう説もあるけど、そんな事はあらへん気がする。まず謙信は家督を継いでからまず越後平定戦をやったはずや。その結果として越後の覇者となったんも間違いあらへん。覇者となった謙信が次にやる事は、

「天下統一♪」

 謙信にそんな願望はあったかどうかはわからんけど、まずさらなる勢力拡大や。

「信濃を巡って信玄と川中島での決戦♪」

 川中島の合戦は五回あったとされとるが、最大のものが第四回の永禄四年のもんや。それまでの三回はにらみ合っての小競り合いぐらいでエエと思うねん。もうちょっと言うたら、謙信は川中島を制して信濃攻略に不熱心に見えてまうねん。

 あの合戦は地理的に見たら謙信が有利やねん。それは決戦場までの距離が信玄よりずっと近いんや。そやのに勝つ気で兵力を動員しとるように見えんのや。言うたら悪いけど負けんかったら御の字みたいな戦い方に見えてしゃ~ないんよ。

「それは信玄が強かったからでしょ」

 鎧袖一触で勝てへんぐらいは感じたやろうが、謙信は他の狙いを持っていたとしてエエはずやねん。謙信の目は関東に向いとってんや。たぶんやが謙信にとって関東は信濃より馴染みのあるとこやったはずやねん。

 長尾氏は越後の守護代やねんけど、守護は上杉氏や。この上杉氏の本家は関東管領やんか。越後は関東公方の支配領域には入らへんが、関東管領の上杉氏の影響力は及んどったぐらいや。これは長尾氏の当主である謙信もそうやったはずやねん。

 そやけど関東には小田原の北条氏が覇者として君臨しとる。言うまでもないが戦国の超大国や。そやけど、この北条氏を滅ぼして関東の覇権を握ったら、甲斐の武田氏なんか一ひねり状態に出来ると考えた気がするねん。

「そりゃ越後と関東の覇者になったら無敵のようなものだけど」

 謙信は氏康に敗れ関東に居所がなくなって越後に逃げ込んで来た上杉憲政から上杉の名跡と関東管領の職を受け継いでるねん。さらに上洛までしてるねん。これは憲政から受け継いだ名跡と職を正式化するためと見たいねん。

「そんな有名無実の肩書なんて無駄じゃない」

 実はあらへんけど謙信は名を欲しかったはずや。実は自力で取るつもりやからや。そこで天下が動くねん。義元が主力を率いて西に進んだやんか。

「桶狭間だ♪」

 結果はそれやねんけど、北条の最強の同盟国は西に進んで留守状態になったんをチャンスと見たはずや。三国峠を越えて怒涛の勢いで関東に攻め込んだんや。ここで役にたったんが上杉の名跡と関東管領の肩書や。

 反北条派が見る見る雪だるま式に集まり、膨れ上がった謙信軍が関東を席巻していったのは史実やし、その大軍で小田原城包囲まで行ってるからな。

「でも落ちなかった」

 謙信の戦略やったら落ちるはずやった。どんなに堅固な城でも追い込まれた状態で籠城戦になり、援軍が期待できへんかったら落ちるはずやってな。こんなもん言い出したらキリあらへんけど、相手が氏康やなかったら落ちとった気がするぐらいや。

「そもそも無理がありありだと思うけど」

 おそらく謙信の誤算は、追い込まれた状態での籠城の不利さを知っている氏康が、野外決戦に出て来るはずやと読んどった気がするねん。これに謙信は快勝してから小田原城包囲に入りたかったはずやねん。

 これに対して氏康は、野外決戦を不利と見て、追い込まれたんやのうて余力を持った籠城戦にすることに成功したぐらいやな。そこからやけど、謙信軍と氏康軍の差が出てまう事になる。

 謙信軍は反北条派を短期間でかき集めてるんやが、反北条派言うても一枚岩やあらへん。思惑がテンコモリみたいな状態やねん。ぶっちゃけ、北条はいらんが、その代わりに上杉が取って代わるのも嫌だみたいな連中も多かってんよ。

 これかって短期で小田原城が落ちれば良かったんやろが、長期となると結束が崩れてもたぐらいや。いや崩そうと氏康が工作しまくってるはずや。謙信かって籠城しとる氏康軍の切り崩し工作をやったはずやが、寄せ集めの弱点が露呈してもたでエエと思う。

 謙信は自分の戦略が最後の最後に綻んだんに歯噛みしてとった気がするわ。そりゃ、目の前に小田原城があるんやからな。無念の撤退をさせられて、その後は氏康と関東で消耗戦に持ち込まれてもたぐらいや。

「それでも謙信なら信長に勝てたよね」

 鉄砲無しの互角の兵力の野外決戦やったらな。そやけどそんな決戦は信長がするもんか。

「たとえば長篠だったら」

 あの時の信長の戦術は大量に保持していた鉄砲の効果的な活用や。鉄砲は威力が強力やけど欠点も多い兵器やってんよ。

「雨に弱い」

 それだけやない、十発ぐらい続けて撃つと過熱してしばらくは使えんようになるんよ。さらに連発能力があらへんから、一発撃って、次を撃つまでに接近されたら脆いなんてもんやあらへん。その弱点をカバーする戦術を長篠で展開したでエエやろ。

 鉄砲の最大の弱点はぶっ放した後にあるねん。そやったら、ぶっ放した後も敵が近付けんようにしたらエエやんか。そのために城塞並みの強固な陣地を作り上げたとコトリは見とるねん。

 敵が迫って来ても、強固な防御柵の前でモタモタしとる間に弾を込めてドッカンや。発想的には籠城戦に近いかもしれん。そうやって、敵を鉄砲で可能な限り撃ち倒して崩しておいて、そこに突撃や。

「受けてから押し返す戦術ね」

 勝頼は物の見事に注文に嵌ってもたから惨敗してもたんやが、謙信なら果たして突っ込んだかや。あの時は勝頼かって三日ぐらい対陣しとったはずやねん。つまりって程やないけんど、信長陣地を十分に観察できたはずなんや。

 長篠の合戦があったんは、新暦やったら六月の終わりや。つまり梅雨の真っ最中やんか、信長軍に鉄砲が多いぐらいは見て取れたはずやから、

「雨を待つ」

 この辺については信長の鉄砲陣地には屋根があったかもしれん。信長かって梅雨の時期の決戦やから、それぐらいの雨対策をしとっても不思議あらへん。

「じゃあ、謙信も勝頼みたいに練雲雀にされた?」

 信長の戦術の弱点は、相手にまず攻めてもらうこっちゃ。そやから、謙信からしたら、決戦場を信長陣地から離れたところに誘導しようとするのはある。

「そんなことをすれば信長は不利だから動かないのじゃない」

 それは十分に考えられる。そうなったら本国に撤退や。決戦はやるからには勝たなアカンねん。ここも言いかえれば、決戦で負けて決戦兵力を失うと容易に補充が利かんってことやねん。

 あの状況で撤退したら、世間的な評価は信長の勝ちや。負けたと言う評価も嬉しないけど、もっと大事なんは決戦兵力を温存しとく事やねん。名は信長に取られても、次で捲土重来が出来たら十分やからな。

「じゃあ謙信なら撤退してたの」

 その公算は高いと見てる。とりあえず信長軍の陣地は異様に見えたやろし、なにか策があるぐらいは感じ取れたはずやねん。どんな仕掛けがあるかわからん陣地に突撃するより、ここは一度引き返してやり直そうぐらいや。

 あそこでは勝頼も撤退の選択枝はあったとされとるから、なにか嫌なものを感じたら謙信ならあっさり退いた気がする。そういう時に退けるのが名将の名将たるところやと思うねん。

「なるほどね。目先のプライドより最後の勝利か。じゃあ、再戦したら謙信が圧勝したとか」

 とはならん気がする。あそこで決戦にならんかったら、信長も策を見破られたと思うやろ。次に同じ策をやれば裏をかかれて大火傷するぐらいは察するはずや。長篠がなくて次の決戦になった時やけど、信長やったら絶対の必勝策で臨んだはずや。

「そんなものあるの?」

 ああある。あの頃の信長やったら、十万の決戦兵力を集めるのも可能や。そりゃ、集めるのは大変やろうけど、集めるまで待てるのが信長という男や。

「それでも謙信なら」

 勝てるわけないやろ。謙信が率いる決戦兵力は一万ぐらいのもんや。いくら戦術の妙を凝らそうとも十倍の敵に勝てるわけあらへんやろ。

「でも越後の兵は日本最強でしょ」

 あのな、関が原で家康が率いた兵力が諸説あるけどざっと十万や。そこに謙信軍が単独で決戦を挑んでるようなもんやぞ。そこまで兵力差が開いてまうと、戦術なんか揮い様がなくなるわい。ひたすら押し潰されてしまいや。

「大軍に兵法なしか・・・」

 そういうこっちゃ。北条家の兵かって強かったはずやけど、秀吉の大軍の前には為す術なしやったやろうが。

「謙信が勝てないと見て撤退したら」

 今度は出来ん。信長かってそれだけの決戦兵力をかき集めたら、追って追って追いまくるに決まってるやろ。どないに逃げてもどこかに必ず追い込まれてまう。そやから必勝の戦略やし戦術やねん。

「物量には精神力で勝てないよね」

 というか、信長軍十万が出現した時点で謙信の戦略負けや。後はなにをしても勝たれへん。

「そこが小田原城を落として天下を獲った秀吉と、落とせなかった謙信の差なのかもね」

 ちょっとちゃうな。義元が西に動いた時に小田原城を落とせんかった謙信と、起死回生で義元を討ち取ってもた信長の差やろ。