ツーリング日和15(第29話)春日山城

 愛子と健太郎は天白に任せて、

「いざ春日山城へ」

 これって丸投げかよ。

「人聞きの悪いことを言わないの。人の問題は人に解決させるだけの話だよ」

 まあな、いくらユッキーでもあの場で全部解決とはいかんよな。恵みの教えと極楽教の合流問題は、どうしたってこれから一山も二山もある。木村一族は絶対に反対に回りよるからな。

 この辺は企業合併にも似とるとこがあるけど、株主総会で決着がつけられへん分がとにかく厄介や。どやろ、たとえ愛子と天白が結婚してても十年仕事なってもおかしゅうあらへん。

 小さい方の愛子問題もひたすら面倒くさい。利害やのうて感情やからな。男でも女でも惚れたら、その相手しかおらんように思い込むもんや。それはエエこっちゃねん。惚れて愛するからには、それぐらいにならんと話にならん。そやけど健太郎を相手にするんは無理筋もエエとこや。

 その話はともかく上越市の名前をユッキーは嫌がっとったけど、この辺は越後の中心地帯やってん。古代の国府も、中世の守護館もここにあってんよ。それに比べたら新潟市なんか後発もエエとこや。あんなでっかい川の流域なんかそう簡単に手が付けられるかい。

「でもここは直江津よ」

 直江津は海と陸の交通の要衝して栄えたんやが、江戸期になって高田に城下町が栄えたんよ。商業都市である直江津と政治都市である高田みたいな関係でエエやろ。

「博多と福岡みたいなものかな」

 スケールはちゃうけどそんな感じやったかもしれん。つうても福岡市と同様に隣接どころか地理的に一体みたいなもんやから、それなりに自然な形で合併したぐらいの経緯になっとるみたいや。

「誤解してる人もいるんじゃない」

 それなりにおるやろな。越後の英雄と言うたら謙信やし、謙信の根拠地は春日山城ぐらいは有名としてエエやろ。ほんじゃあ、春日山城がどこにあるかとなると案外怪しいのはおるかもな。

「いるよ絶対。漠然と新潟市に近いとこにあるはずだろうって」

 そこら辺はなんとも言えんが、越後の虎の不識庵謙信の根拠地の春日山城は直江津にあるねんよ。ここに春日山城があるのんは、越後守護の上杉氏が守護館の詰めの城として作ったのが始まりと言われとる。

 戦国期になり守護家の力が落ちて守護代の長尾氏が台頭すると春日山城は長尾氏の支配になり、謙信の時代に関東管領と上杉氏の名跡を譲り受けても本拠地として続いたぐらいでエエやろ。その辺の経過はともかく、謙信は越後の西の端っこで戦略を考えとったぐらいは言えるやろ。

 これで林泉寺まで戻ってきたさかい、この前を通り過ぎて行ったら春日山城に着くはずやねん。なんの変哲もない田舎道やが、

「この道って、春日山城から林泉寺まで謙信が通った道なのかなぁ」

 そうちゃうかな。それとも光室天育が謙信を教えるために春日山城に通った道や。駐車場にバイクを停めて歩きや。

「お腹減った」

 コトリもや。ホテルの会議室のサンドイッチだけじゃ足らんもんな。なんかそれっぽい茶店があるやんか。メニューもそれっぽいから、

「謙信力そば」
「謙信大吉ラーメン」

 力そばて言うから餅が入っとるかと思うたら、チャーシューめんみたいなトッピングやな。あはは、ラーメンも同じトッピングなんか。味は・・・こんなもんやろ。こういうのも、ここで謙信にちなんだそばやラーメンを食べたんがツーリングの値打ちや。そこからハイキング気分やけど、

「春日山神社って?」

 あれは明治に出来たもんやそうや。小川未明のお父さんが米沢の上杉神社から分祀したとなってるわ。そこから三の丸、二の丸、本丸と登って行くんやが、

「天守なんかあったの?」

 あるはずないやろ。春日山城には石垣どころか瓦さえ使うとった形跡はないとされてるんよ。この辺は石を集めるのが大変やったみたいで高田城も石垣あらへんもん。

「そうなんだ。それでここね」

 護摩堂、諏訪堂、そいで毘沙門堂や。ここで合戦の前に謙信は勝利を祈願し作戦を練っとったとこでエエと思う。それにしてもこんなとこやってんな。とにかくデカい城やったみたいで、周辺にも出城や砦が配置されてるねん。

「半径五キロぐらいまでまさにビッシリだったのよね」

 この辺は信玄の躑躅が崎館と対照的かもしれん。もちろん理由はあって越後は守護代が守護から国を乗っ取った国やでエエと思う。そやから常に反発はあったし、隙あらば攻め寄せようとする国内勢力も多かったからやろ。

「謙信が栃尾で戦ったやつね」

 ああそんな感じや。春日山城やけど上杉氏が会津に移った後に廃城になったでエエやろ。上杉氏に代わって入った堀氏は当時のトレンドになっとった、城と城下町スタイルにしたかったみたいや。そうなると要害ではあるけど普段使いにしにくい春日山城を放棄したんよ。

「さすがにこの城じゃ、安土桃山風の城下町は作りにくいものね」

 そのせいやとも思うけど、謙信時代の春日山城の全貌ははっきりせん。想像図みたいなもんはあるけど、ありゃ想像どころか妄想や。唯一の遺構とされるんが林泉寺の惣門やけど、

「ああ、あれね」

 あれも確証ないそうやが、中世の山城やったでエエと思うとる。この春日山城やが、落城したことはあらへんけどピンチはあってん。

「御館の乱ね」

 アレキサンダー大王もそうやったけど、英雄はしばしば後継者の決定に無頓着なとこがあるねん。謙信もそうで実子がおらんかったんも良うあらへんかってんけど、甥の景勝と北条からの養子の景虎を後継者みたいな地位にしとってん。

 謙信はどっちがホンマの後継者か明言してへんねん。この辺は謙信も急死やったから、どこかの時点でする気やったんかもしれんが、それは遅すぎるし、どっちにしても手遅れや。そやから互角の後継者争いになってもたのが御館の乱や。

 この乱は周辺諸国も巻き込む大規模なものになってもて、上杉氏の力も小さくなるんやが、景勝は乱に勝つために勝頼と同盟を組むんよ。それで乱に勝った部分もあるんやが、そこで事態が急変するねん。武田家の滅亡や。武田領は信長のものになってもたんよ。そやから景勝は、

・西から柴田勝家
・東から米沢の伊達輝宗、会津の蘆名盛隆
・信濃から森長可
・上野から滝川一益

 全方向から越後を攻められる事態に陥ることになってもた。この時はマジでやばかったみたいで、時間の問題で春日山城も包囲されて落城の危機に陥りそうやったとなっとる。それがそうならなかったのは、

「わかった、本能寺の変だ」

 そういうこっちゃ。勝家は魚津城を落としたところで北の庄に戻り、上野の滝川一益は北条に敗れて命からがら伊勢に逃げ戻ってるし、信濃も家康や北条の草刈り場なって森長可も逃げてもたはずや。その辺は興味があったら調べたらおもろいと思うで。

「謙信は杜撰だったと思うけど、英雄の二代目への継承は難しいのよね」

 戦国大名は当たり前やけど独裁者やもんな。その独裁者への求心力が強さやから二代目は苦労するよな。

「毘沙門堂は再建よね」

 再建言うより、再設置やろ。

「中の毘沙門天は謙信が祈っていたものなの」

 謙信が祈っていた毘沙門天は会津から米沢に移ってるんよ。そやけど米沢で火事に遭うて失われてもた。今あるのは高村光雲作のレプリカ、

「レプリカ?」

 川中島の合戦は何度か大河ドラマになっとるねんけど、最大のヒットは天と地とや。

「石坂浩二が謙信やったやつ」

 その時に観光客が春日山城に押し寄せて盗難防止のために本物は埋蔵文化財センターに移されてレプリカが置いてあるねん。