ツーリング日和15(第13話)恵みの教え

 恵みの教えはわたしが明治に作った教団だ。あの頃は記憶の継承が中断してたから青かったかな。色んな夢や理想を盛り込んだのだけど、

「しょせんは神のシノギや」

 ぶっちゃけね。わたしが運営したのだから記憶を受け継いでいなくても成功した。

「そんなもん神の力を使うたからやろが」

 まあそうだ。生身の聖観世音菩薩と呼ばれたし、呼ばれるだけの神の業を使ったのものね。教団は成功すると儲かるビジネスなんだけど、おカネって集まると人の汚いところも集まって来るのよね。

 これも分けると二つあって、一つはさらに儲けようで、もう一つは儲けた金を自分の懐にどうやって入れるかだ。言うまでもないけど、この二つは密接に絡み合うものだよ。それが教団内の権力みたいになってウンザリさせられた。

 なんとかすべきだったけど、いくらわたしでも一人でこれに立ち向かうのに限界があったのよ。それこそすべての人間が利権争奪に狂奔してたからね。何人かを切り捨てればなんとかなるレベルじゃなくて、やるなら組織の総入れ替えが必要だったってこと。

「極楽教分裂の真相はなんやってん」

 コトリにも話してなかったっけ。あれは最後に繰り出した教団改革だったのよ。腐り切った恵みの教えを捨て去り、新たな教義に切り替えようとしたもの。

「なにやったん」

 恵みの教えの教義は生身の本物の観音菩薩がいて、その神通力で人に恵みをもたらし、現世の人を救済するものじゃない。だけどね生身の人だから死んじまうのよ。この観世音菩薩が死んだ後の状態にオルグをかけてみた。

 死ねばあの世に行くのだけど、あの世で観音菩薩は薬師如来にグレードアップして、そこで魂の救済を行うとしたんだ。それもすべての人に平等にぐらいだ。

「それって似てへんか」

 似てるのじゃなくて浄土教のもろパクリだよ。親鸞研究をやって適当につまみ食いして組み立てただけ。親鸞は阿弥陀さんを持ち出したけど、これを薬師如来に置き換えただけとしても良いと思う。

 だから救済された人が行くのは西方浄土じゃなくて、東方浄土の浄瑠璃浄土だよ。教義的には魂はどんな悪いことをしようが魂自体が決して穢れることはなく、薬師如来が浄瑠璃光線を浴びせれば汚れが落ちてピカピカになり浄土に御案内みたいなもの。

「なんで極楽教やねん」

 そりゃ浄土と言えば極楽だもの。浄瑠璃なんて伴奏付きの語りしか思い付かないからだよ。この辺はビジネスだから、耳なじみの薄い浄瑠璃浄土が極楽浄土と同じものと混同させる狙いもあったかな。

 この教義改革の狙いは生身の観音菩薩が存在しなくとも教団が存続できること。上手いこと行ったと思ってる。

「直接の他力本願から間接の他力本願へのチェンジやな」

 浄土教的にはそうなる。極楽教はその後も発展拡大してくれて、

「大学から幼稚園まである一大教団になって今でも健在やもんな」

 一方で計算違いも起こった。生身の観音菩薩を失った恵みの教えは自然消滅するはずだったのよ。なのに小さくなりながらも生き残ってしまったのよね。

「あれなんでやってん」

 大聖歓喜天家の特殊性だよ。江戸時代はずっと大聖歓喜天家で神やってたから、必ず帰って来るはずの信仰が強かったんだ。あいつらは大聖歓喜天家の神の出現メカニズムをある程度知っていたから、待つだけでなく取り戻そうともした。

「ユッキーが氷姫になった事件やな」

 そういうことになる。それだって木村由紀恵が死んでからは追えなくなった。

「そりゃ追えるかいな。十七年間もカズ君の中で隠居しとったやんか」

 さらに言えば復活した時も大聖歓喜天家とまったく関係のない小山恵だったものね。それでも恵みの教えは生き残っているのよ。

「そりゃ、生きるためのカネヅルやから必死になって守るやろ」

 ぐらいしか言いようがないものね。そんな大聖歓喜天院家の悲願は失われた生身の観音菩薩を取り戻すこと。だから愛子はおかしいと思うのよ。

「なんの関係があるねん」

 あるわよ、おおありよ。あいつらの理解として神の継承は血筋なんだ。それも女系の血筋にあると信じ込んでいる。

「それは江戸時代のユッキーが食うためにそうしてただけやろ」

 そうなんだけど、そんなものわかるはずないでしょうが。あいつらは大聖歓喜天家の血に神を留ませる不思議な力があると考えてるよ。結果から分析すればそうなるのはわかるじゃない。だから神を取り戻すには神の血筋をもう一度迎え入れるのが目的になる。

「ちょっと待ちいな。愛子が結婚を迫られているのは天白啓斗やぞ。その天白と結婚したら神の血筋がまた入ると言うんかいな」

 だよ。コトリも東尋坊で見たじゃない。神の糸の業を駆使できる神こそ天白啓斗だ。

「どうしてそうなるんや」

 コトリ寝てるの。あの神の糸の目的は愛子と健太郎の仲を妨害するために使われているじゃない。つまりは利害関係者だってこと。

「そんなもん雇われて・・・があらへんのが神か」

 そういうこと。天白と愛子が結婚すれば、大聖歓喜天院家に再び神の血が入る事になる。

「ほいでもやが。恵みの教えの教主は女やんか」

 教主はね。でも教主が神であるかどうかは関係ないよ。教主として愛子を立てておいて、夫として裏から支えれば何の問題もないからね。婿に迎え入れて子どもを作らせれば大聖歓喜天院家の悲願はついに叶うのよ。なのにどうしてあんなに嫌がるのよ。

「そりゃ男と女やからやろ。たとえば天白がチビ、ハゲ、デブの三拍子そろったオタクだとか」

 あるはずないでしょうが。女神に較べたら劣るけど、男神だってそれなりに容貌はコントロールできるぐらい知ってるでしょ。だから眉目秀麗、容姿端麗、頭脳明晰以外にありえるはずがないじゃない。

「そやけど幼馴染ラブは強力とも言うやんか」

 誰に物を言ってるの。愛子は教主家の跡取り娘なのよ。そんな娘が大聖歓喜天院家の悲願より自分のわがままを優先するなんてあり得るものか。

「そう言うけど、どう見たって優先しとるやんか」

 そこなのよね。これを旧家のしきたりに反抗する現代の女の図式で考えても良いのだけど、どうにも相手がおかし過ぎる。いや、相手の家の現状がおかしすぎる。

「健太郎と健太郎の家か。木村一族と大聖歓喜天家の娘の結婚がタブーとでも言うんか」

 タブーじゃない。でもね、木村本家は違うのよ。あれは木村一族でも特殊過ぎる家なんだ。大聖歓喜天家は女系相続なんだけど、大聖歓喜天家の苗字を名乗れるのは当主だけが原則。

 息子は名乗れないし、当主になれなかった娘も同様。だから大聖歓喜天家の分家は無いのよ。こうしたのは女の地位が低かったから、そうでもしないと女系相続が守れなかったからなんだ。

「大聖歓喜天家に残れへんかった息子や娘が木村になったんやろ」

 そうなんだけど、木村の一族も連枝と末族ぐらいに分かれていると考えれば良いと思う。末族は普通の意味の分家で、当主の子どもが家を継いでいた。でも連枝の相続はかなり特殊で、その相続をするから木村連枝家の地位は強かったのよ、

「ようわからんな」

 大聖歓喜天家を継げなかった当主の兄弟姉妹はすべて木村本家の養子になったんだよ。木村家は普通に男系だから娘は嫁に出されたけど、息子は当主になったってこと。わかるかな、

「ちょっと待ちいな。木村本家にも当主がおって奥さんがおって息子や娘がおるんやろ。そいつらどうなるねん」

 すべて他の木村家の養子や養女になる。この玉突き養子相続をやっているのが連枝家だってこと。つまり木村本家の息子や娘は、

「教主の兄弟姉妹ってことか」

 そういうこと。これだけ血の濃いつながりだから、木村連枝家の地位は強いし木村本家なんて別格だってこと。それなのに教主家の執事をやっているなんて信じられないし、ありえないのよ。

「ユッキーは天白を知っとるのか」

 もちろんよ。あそこも健太郎はウソを吐いている。奉公衆は最近できたものじゃなくて昔からいるのよ。位置づけは木村一族以外の有力信者ぐらいに思ったら良い。木村一族とは仲が良くなくて、それを利用して極楽教に衣替えさせている。

「そうなると恵みの教えは木村一族が支え、極楽教は奉公衆が作ったものになるのか」

 単純にはね。ただあの分裂の時に奉公衆がすべて極楽教に流れたわけじゃない、誰が残ったかまですべては知らないけど天白家は極楽教に流れてるはず。一部は恵みの教えに残ったかもしれないけどね。

「そやけどなんで天白家に神が入り込んだんや」

 入ったものはしようがないでしょうが。そんなもの神に直接聞いてくれ。強いて言えば神はシノギに敏感だから、聞きつけて入り込んだんじゃないのかな。それも浄土教に入るより、恵みの教えで生身の観音菩薩をやった方が儲かるぐらいの判断で良いのじゃない。

「なるほどな。大きい組織を乗っ取るより、小さい組織でブイブイ言わせるほうが手取りが多そうや」

 加えて生身の観音菩薩が復活すれば明治時代の繁栄が取り戻せる皮算用もある気がする。

「それやったら、それってエエ話やんか」

 そうなのよ。やっとわかってくれたかな。大聖歓喜天院家から見ればカモがネギ背負って来ているようなものってこと。なのに肝心の愛子が渋るのが信じられないじゃない。こんな日が来ても良いように大聖歓喜天家の娘には洗脳同様の躾がされてるはずよ。

「なんかややこしそうやな」

 だから触れたくないって言ってるでしょ。