ツーリング日和15(第11話)まさかの因縁

 健太郎と愛子は布団を敷いて寝てもらった。わたしはコトリと温泉だ。宿から程近いけど、

「外湯風ぐらいにしたらエエんかな」

 銭湯風やましてやスーパー銭湯風じゃないし、健康ランド風にも遠いものね。それでも浴室は綺麗で好感は持てる。温泉は海に近いせいか塩味がする感じ。露天風呂もあったけど、

「こんだけ海に近いんやから見えたら最高やのにな」

 御意。もっとも自動車専用道を越える高さが必要だから出来なかったと思う。話はどうしたって東尋坊の一件になるのだけど、狙われていたのは健太郎だね。

「二人とも糸は掛かっとったけど、突き落そうとしたんは健太郎で良さそうや」

 それにしてもの手腕だった。まさか魔王がまだ生き残っているとか。

「それはあらへん。魔王やデイオルタスやったら、コトリとユッキーがおるのに手を出すかい」

 だよね。あれだけの手腕で糸を掛けてるからそれぐらいはわかるはず。だから乙姫だって、

「ドゥムジやゲシュティンアンナもや。あいつらかって死にたない」

 まさかのユダ?

「あいつも生きたい方や」

 思い付くのはそれぐらいかな。それぐらい生き残っている強大な神は少ないのよね。生き残っている神だってコトリとタッグを組んで負ける相手がいるとは思えない。そりゃ、かつてはそんなの関係なしで挑んで来たけど、そんな神は生き残っていないと思ってた。

 もっとも神と神との戦いは一瞬の油断が生死を分けるもの。出会えばどちらかが必ず死ぬ。とにかくわたしたちにあそこまで仕掛けたのは、わたしたちが誰かを知らなかったからしか考えられない。でもさぁ、見えなかったのかな。

「見せたか?」

 それぐらいはいつもやってる。そうなるとわたしやコトリを知らない神で、なおかつわたしたちより弱いことになる。

「そう見とるけど、あの糸の使い方は尋常じゃあらへんで」

 あれは技術の範疇だから特化して磨き上げたのはあるとは思う。それより糸を使えるってことは女神で良いよね。

「そう見たいんやが、あの糸の感触はどうやった」

 そこはなんとも言えない。神の糸の業は女神の専売特許と見てるところもあるけど、男神が絶対に使えないってものでもないのよね。というか男神でも使えるのは使える。

「ミサキちゃんが魔王にやられたからな」

 男神が苦手なのは、災厄の呪いの糸までテクニックをあげる点とした方が良いかもしれない。クソエロ魔王やデイオルタス、ユダさえ使えないもの。でも使えるのがいてもおかしくないか。

「というか、あれは災厄の呪いの糸やのうて人のコントロール術と見るべきやろ」

 さすがコトリだ。冷静に見てる。だけどこれ以上の情報となると健太郎と愛子に聞くぐらいしかないか。

「生き残ってる神やから闇雲に突っ込んで来んとは思うけど、来たら来たらで返り討ちや」

 返り討ちに出来なきゃ死ぬだけだけどね。とりあえず神は見えなかった。神とて見える範囲でないと神の業は揮えない。糸を切ったから、しばらくはこっちを見つけるのは出来ないはず。それにしてもこのクラスの神がまだいるとは驚きだ。部屋に戻るとまだ眠ってるよ。もうちょっと癒しておいた方が、

「なんで健太郎の手を握るんや」

 相手が二人だから一人ずつでしょうが。でもさぁ、この糸の使い方は、

「ユッキーもそう思うか。やっぱりたいした神やあらへんと思うわ」

 かなり時間をかけて健太郎と愛子の力を削いでたはず。でもさぁ、そうしないとならなかったのは、そうしないと操れなかったはずだよ。

「ネコがネズミをいたぶるようなもんやけど、そうせんとならんかったは言えるわな」

 それでも使途の祓魔師クラスは言えそうだ。

「ミニチュア神ではここまでの芸当は無理やろ」

 やっと元気が出て来たから風呂に行ってもらい、夕食だ。

「こんなんも楽しいやん」

 これで十分だよ、魚は新鮮さが命だもの。さて話してくれるかな。渋られたってコトリの前では無駄だけど。

「人任せにしてサボるな」

 かなり渋られたけど愛子が、

「神通力を信じますか」

 一般的な意味では全く信じない。だけどね、この世に神の業があるのは知っている。というか自分も使えるし五千年もやってるからね。もっとも使っているのが、これまた一般的な意味の神とはまったく違うロクでもない存在だけどね。

 へぇ、愛子は新興宗教の教主の家の娘なのか。その教団は教主家の世襲なんだけど、教祖になれるのは女だけなのは珍しいかな。どうして女だけなのかは、

「教主は神通力を持ち、その力は母から娘にのみ伝わります」

 ふ~ん、どうも仏教系の新興宗教みたいだけど巫女さん的要素も取り入れてるのかな。それと母から娘に伝わるって事は教祖は女だったんだろう。教団が出来るってことは教祖はカリスマだったはずだから、二代目も女である方が都合が良いぐらいになったんだろうな。

 この辺は教祖が娘しか産まなかったのかもしれないし、能力は世襲するは受け入れやすいぐらいの判断だったのかもしれない。新興宗教ビジネスは起こすのも大変だけど、教祖が亡くなった後にどう受け継ぐかも生き残りの大きなポイントだ。

 神通力と言ったって手品とか、会場の雰囲気を利用した錯覚みたいなものだろうな。ポピュラーなのは味変えとか、雲消し。それがどんなものかはググれば転がってるよ。要はそれを神の力として思い込ませる能力がすべてだ。

「いえ教祖が神通力を持っていたのは間違いありません」

 そう信じたいかもしれないけど、あるように見せただけ。教祖をやった女のハッタリだよ。そりゃ、そう思われたから教祖になれたし教団も出来ただけ。愛子は次期教主みたいだから信じるのも無理もないけど。

「うちは新興宗教には分類されますが、教祖の神通力は平安時代から続き、江戸の時代の初期に非常に優れた女性の神通力者が出現し、そこから連綿と伝えられ、その力で教団となったのが明治なのです」

 似たようなことをやってるところもあるもんだ。ここでコトリが、

「どうにも似すぎてるで。ひょっとしてその教祖の家って江戸時代は兵庫津にあらへんかったか」
「うちの教団をご存じなのですか。教団では・・・」
「芦屋道満の末裔やろ」

 ちょっと待ってよ。それって恵みの教えって言うんじゃないよね。

「御存じなのですか」

 これは参った。こんな因縁に巻き込まれるなんて。