患者の感覚

 昔から言われている事ですが、

    病人の気持ちは患者にならないとわからない
 医師だってわかろうと努力を重ねていますし、それなりにわかっているつもりです。私もそれなりにわかっているつもりの部分があったのは白状しておきます。そんなところに突然癌患者の立場に放り込まれたわけです。

 嫌でも患者の立場に立たされる経験を日々積み重ねているのですが、ここまで痛い目に遭ってわかって来たことがあります。やっぱり患者にならないと最後のところはわかんないだろうなって。

 医師と患者の立場の違いは色々ありますが、医師の患者の心情の理解は理から入るしかありません。他に方法がないですし、私もそうです。理から情を推察すると、どうしても最後のところにギャップが残るとでも言えば良いのでしょうか。

 たとえばですが、私の予後はおそらく90%以上、たぶんぐらいですが95%は治癒が期待できるデータがあります。これを医師目線からすれば、

    ほぼ治る

 これぐらいに解釈します。そう考えるのが理から見たデータ解釈です。ところが患者目線になると、

    20人に1人、いや10人に1人は死ぬ
 こっちの方が重く重く伸し掛かるぐらいです。それぐらい医師だって十分に知ってはいるのですが、患者の受け取り方の最後の最後のところが実感できないぐらいになると考えています。ちょっとした差ですが、その差を知るのは難しいぐらいでしょうか。

 それと医療の限界に対する考え方も違うところがあります。私の例で言えば95%まで助かるなら、残りの5%もなんとかならないかは出て来ます。このまま治癒すれば話は終わるのですが、5%の方に当たってしまえば、その思いは強烈に出て来ます。その時に医師目線で言えば、

    これ以上は手の施しようがないから緩和治療に行ってもらうしか・・・
 医療の限界を知っていますから、そう考えるしかないのですが、患者目線になると「それでもなんとか」になります。そこで藁をもすがる思いでトンデモ医療に飛びついてしまうのを今なら良くわかります。

 これも卑近な例ですが、亡父も同じ病気で再々発の時にそんな行動に出た事がありました。当時の私はその心情が最後のところで理解しきれなかったのですが、今なら良くわかります。ああやってなんとか押し潰されそうな死への恐怖と戦っていたんだと。

 ここもだからトンデモの存在価値を認めよみたいな話ではなく、医療は患者のそういう思いを受け止め切れていないのじゃないかの見方です。ある種のピットフォールみたいな考え方です。


 とは言うものの、私は患者ではありますが一方で医療サイドの人間でもあります。そんな患者の深層心理まで受け止めるのを医療に期待されても過大な気がします。ましてや、そのために実際に病気を体験しろは暴論になります。

 せいぜい患者からの体験談を聞くぐらいが関の山ですし、患者だってその思いを言葉にするのは容易じゃありませんし、言葉だけであの感覚・感情を伝えられるとは思えません。つうか言語化されてるぐらいのことは医師なら理として理解しています。

 私だって、このまま95%に入ってくれれば思い出話の一つになるぐらいのものです。患者とは言えこれでも医師ですから、5%になるのは確率的な問題であり、これが医療の限界であるのも理解しています。それでも再発となれば、理ですべて納得できるかはさすがに自信がありません。

 理で情がコントロール出来るかと言えば、それこそ、その時になってみないとわかりません。そんなものは当たり前だろう言われそうですが、そんな当たり前をどこかで受け止めて欲しいぐらいでしょうか。欲張り過ぎですかね。

 それでもとなると・・・そういう専門家を養成するとかになりますが、どうやって養成するの具体論になると頭を抱えるしかありません。最近は医療にもAI導入があれこれされていますが、近未来のAIはこういう問題にも対処できるようになるのかもしれません。もっともAIがそこまで出来るのかどうかは、

    知らんけど
 お後が宜しいようで。