交代勤務制とチーム医療

今日のチーム医療の意味は医師以外の医療職を含めたチーム医療ではなく、主治医制に対するチーム制の事を指します。日本では入院患者に主治医と言うものが付き、この主治医が基本的に入院患者の治療に責任を持ちます。でもって主治医の責任範囲は医療機関によって濃淡の差はありますが、多くは24時間365日です。たとえば同じ診療科の医師が当直していても、平日夜間・日曜休日には主治医が呼び出されたりなんてのも珍しいお話ではありません。そのために日曜の朝に、その診療科の医師が受け持ち患者の容体を確認するために全員出勤し顔を合わせるなんて風景もあります。私も経験しましたが内心

    バカじゃなかろか!
つうのもコチコチの主治医制の病院の前に、不完全ではありましたがチーム制の病院に勤務してましたから、時間と労力の無駄遣いと感じた次第です。そう言えばその病院への異動直後に小児科医が日曜当直だったので病院に行かなかったら、えらいお説教をもらった記憶が残っています。「お前が来なかったから、やむなくやる羽目になったので大迷惑だった云々」だったかな?

昨今は実現の現実味はさておくとして交代勤務制の必要が強く訴えられています。交代勤務制を仮に導入するとして、その前段階としてチーム制は必須と考えます。そりゃ交代勤務制となればチーム制でないと負担軽減の意味がないからです。コチコチの主治医制のままで交代勤務制が導入されたら、ある勤務時間帯に正規の勤務医がいるにもかかわらず、お休み中の主治医が呼び出されるなんて珍妙な事態が展開するからです。つまりは現在とあんまり変わらないです。


この主治医制について医師でも信奉者が多いのは確かです。つうかそれ以外の世界を知らないのでチーム制に強い忌避感情を持たれている医師は多いと感じています。主治医制が成立した起源は古すぎてよく判りませんが、今でも維持されている理由の一つに医師の職人気質は確実にあると思っています。職人は自分の腕に絶対の自信を持つ一方で、他人の腕を基本的に信用していません。自分の仕事を一部でも他人に任せるのを嫌がりますし、他人の仕事を中途半端に引き継ぐのも嫌がる面は確実にあります。その職人気質の故に日曜日の朝に全員集合なんて風景を奇異にも感じなくなるのかもしれません。まあ、病院経営者がそれに付け込んで利用しているなんて説もありましたが、これは多分言い過ぎで、病院経営者もそういう主治医制以外の方法論を知らないだけの方が妥当な気がしています。

もちろんチーム制にも弱点はあるとの主張もあります。あるチームを組んだとして、そのチームの医療レベルはチームの中の最低レベルの医師に律せられるです。チーム制ではチームのすべての医師がすべての入院患者の主治医になるわけですから、一番低いところに合わせた医療しかできないぐらいの解釈ぐらいでしょうか。これも理屈としてわかりますが、果たしてそうだろうかです。この辺は診療科によって温度差が大きいところですが、入院治療の業務も2種あると思っています。

  1. エスペシャリィ
  2. ルチーン
エスペシャリィはそれこそ、その医師が持つ技量に左右される部分です。難度の高い手術なんかがわかりやすいかもしれません。ただ業務の中の比率はさほど高いと思えません。業務の大半を占めるのはルチーンの方です。今はDPCとかなんとかでかなり様相が変わっている気もしますが、職人気質の医師はルチーン部分でも異常なこだわりを持っています。ある状態の治療の選択でAとBの二つの選択があるとします。AとBのどちらが良いかは評価は微妙と言うか、正直なところ「どっちでもよい」ようなものです。この選択に際しプライドをかけるようなこだわりがあると言えばわかってもらえるでしょうか。

ウッカリ主治医以外の医師がどちらかの選択を行い、それが主治医の意向に反していたら壮絶に嫌な顔をされます。下手すりゃボロンチョに貶されたりもありえます。そういう積み重ねがありますから、そんな選択さえ主治医に確認しないと治療ができないなんて業務慣行が大手を振るぐらいの感じでしょうか。私が曲がりなりにもチーム制のところで働く経験をもてたのは、

  1. チーム医師に細かなこだわりが少なかった
  2. ルチーン業務の統一を業務軽減になると歓迎した
  3. 医師の間を根回しする周旋役がいた
根回しやったのは私です。私は当時の旧研修医。当時の業務は口伝と慣行が多く、なおかつ医師の間で細かな差があり下働きである研修医の私は目が回りそうになっていました。そこで私がラクするために、ルチーン業務をマニュアル化したわけです。たいして人数もいない診療科でしたから、シチュエーション毎のルチーン業務をすべて聞き出して、これからはこの方法で統一しようと提案したわけです。そうでもしないと私の技量と知識では対応しきれなかったのもあります。地味なところからそろえていって、ルチーンと言いながらかなりの段階まで業務をマニュアル化したつもりです。面白いもので、マニュアルが出来るとそれに従う方がラクに傾き、途中から「これもマニュアル化してくれ」なんて流れになりました。

あの時に作ったシステムはマニュアルと言いながらチト煩雑な手法(現実を写しこんだ代物)で作ったので、私が異動でいなくなった後が大変だったようですが、その気になればあの当時でもかなりのレベルでチーム制に近い医療は可能の感触を持ちました。もっともですが、あの時に地味な成功を収められたのは上記した3条件がタマタマそろっていたからだと思ってもいます。平たく言えば理解のある上司に恵まれたです。あの中にコチコチの主治医制絶対主義者が居れば頓挫しただろうと思っています。

それとエスペシャリィ部分が外から見るより少なかったのは大きかった気もしています。今から思っても相当なレベルの治療をやってはいたのですが、皮を剥いてゆけば壮大なルチーン業務の積み重ねが実態であり、マニュアル化しやすかったのは大きいところです。これは診療科の差が大きいところです。それより何より人数が少なくて、多忙だったのでラクする方に協力的だったのは一番だったと思っています。


今でも思っているのですが、交代勤務制導入は絶対の要求として粘り強く要求する必要はありますが、現実としてカネも人も絶対的に不足しています。であればその前段階であるチーム制を導入すべきと常々思っています。これが導入できれば現在の体制でもかなりの負担軽減になりますし、チーム制の下地が養われていれば交代勤務制が実現した時にスムーズに移行できるんじゃないかと考えています。ま、かの病院機能評価では主治医制は絶対の項目だったはずですけどねぇ。。。。