ツーリング日和13(第19話)杉田さん

 サーキットに付属ホテルがあるところなんて国内では鈴鹿ぐらいだもの。国外だって珍しい気がする。遊園地も立派だけどライダーには関係ないか。それにしてもよく杉田さんのチームの練習日に合わせられたよね。

「これでも記者だ。それぐらいは調べられる」

 ホテルだってメイン館、ウエスト館、ノース館って別れてるのに、

「ああそれか。鈴鹿は宿泊棟は分かれているが、食事はダイニング館で一つだ。もっとも席と食事時間の調整が必要だが、それぐらいはコネがある」

 部屋に入ってしまえばインタビューもクソもないか。実は鈴鹿のサーキットホテルに泊るのは初めて。へぇ、こんなところから入るのか。メイン館の前の駐車場も広いよ。さすがはホンダだ。

 サーキットホテルは宿泊棟こそ三つあるけど受付フロントはメイン館なんだな。カードキーをもらってだけど、あれ、キーは一つなの。

「言うのを忘れていた。サーキットホテルにシングルはない。だがツインを二部屋にするのは許可が下りなかった。我慢してくれ」

 聞いてないよ。清水先輩が双葉を襲うとは思わないけど、ちょっとだけ気まずいな。値段を考えれば仕方ないけどね。このホテルだけど、

「さすがにオレも聞いただけの話だが・・・」

 鈴鹿サーキットが出来たのは一九六二年で。ホテルは二年後の一九六四年に開業したんだって。そんな時代からサーキットに付属ホテルを作ろうって発想が凄いよ。さらに一九六三年には遊園地も出来ている。

「あんなところにサーキットだけじゃ、ペイしないと考えたのかもしれん」

 そのためか初期のホテルはかなりリーズナブルと言うか、庶民的だったらしいのよね。だってだよ、修学旅行で泊まったなんて話もあるぐらいだって。遊園地もあるから団体さんの受け入れもしてたんだろうな。

 どちらかと言うと庶民向けだったホテルだけど、ホンダの二回目のF1参戦の頃から変わったんじゃないかとしてた。そう、鈴鹿で毎年のようにグランプリをやるようになったんだ。

 F1が来ればドライバー以下の関係者が来るのだけど、F1ドライバーの社会的地位は高いのよね。言い換えればお金持ち。そういう連中でも満足できるホテルにグレードアップしていったらしい。

 それは玄関を見ただけでわかる。オシャレなんだよね。そう豪華と言うよりオシャレな気がする。それだけでなく遊び心もあれこれ備わってる。これは単なる高級路線じゃなくて、若年層でも受け入れられるスマートさも考えている気がする。

 部屋もそう。だって壁に描かれている模様はなにかと思ったら、鈴鹿のコースじゃない。それでいてどこも安っぽくない。リッチだけど重々しくないぐらいと言えば良いのかな。鈴鹿はコースとしての評価も高いけど、ホテルと一体となった設備の評価も非常に高いところなんだって。

「もっともその代わりにだ・・・」

 ツインで三万円ぐらいする。これも部屋代だけなのよ。日本の旅館のように一泊二食付きじゃない欧米式の素泊まり方式のお値段だ。だから二人で二部屋取って二泊もしたら六万円どころじゃ済まない。編集長が渋るのはわかる。まさか食事代は自前とか、

「それは出してくれた」

 おお太っ腹と思ったけど、夕食で五千円ぐらいだって。部屋代に較べるとリーズナブルだな・・・ちょっと待てい。双葉も金銭感覚がおかしくなってた。あのね、五千円もあれば安い民宿なら二食付きで泊まれるじゃない。

「まあな。こんなもの較べるようなものじゃないが、うちの会社も鈴鹿のサーキットホテルぐらいは泊れるぐらいになって欲しいものだ」

 あははは、そりゃそうだけど夢だよね。それでも良く泊まらせてくれたね、

「宮崎のツーリング動画がヒットしたから、ちょっとした御褒美なんだろう」

 だったらもう一部屋取ってくれ。でも部屋の中は値段だけのことはある。普段の取材旅行からすれば目も眩むようだ。シャワーを浴びてダイニング館に。中に入るとカジュアルだねぇ。つうかバイキングなんだ。だから安いのか。

「部屋は豪華だけどレストランがこれだから、トータル評価は値段の割に低いのかもしれない」

 気楽で良いけどね。こういうレストランのシステムになっているのは、出来た頃の庶民的な空気が残っているのかも。でもレストランがここしかないから、F1ドライバーもここでご飯を食べてるんだろうか。

「あそこにいるぞ」

 えっ、それが目的だけど、えっと、えっと、女連れだじゃない。

「当たり前だ、奥さんでもあり四耐でもペアを組んでいる篠原アオイだ」

 そうだった、そうだった、結婚してるのだった。さすが美人レーサーとして有名なだけのことはある。

「行くぞ」

 あっと思ったら杉田さんのテーブルに。

「ちょっとお邪魔させて頂いても宜しいですか。ツーリングファン誌の清水です」
「水無月です」

 おいおいまさかのアポ無しの突撃取材かよ。これはリスクが高いぞ。そうしたら杉田さんは微笑みながら、

「これはこれはお久しぶりです」

 あれっ、旧知だったの。コラボでもやったことあるのかな。でもさぁ、モトブロガーならコラボは良くあるけど、うちの会社は妙なプライドであんまりしないし、杉田さんもあまりしない人。というかコラボするなら友人のカトちゃんだけだものね。

 これもタマタマかも知れないけど、大物モトブロガーは関西に偏って活動しているところがある。杉田さんやカトちゃんは愛媛だし、ササハラ・コンビは神戸だ。うちの会社とでは活動範囲がずれるからコラボはやりにくいのも現実的な問題としてある。やっぱり蛇の道はってやつかな。

「良ければ御一緒しましょう」

 こりゃ、望外の成果だ。ひょっとしてこれが期待できたからシブチンの編集長が予算を出してくれたのかも。テーブルに着くと、

「カンパ~イ」

 食事をしながらまず今年の四耐展望だった。

「厳しいですよ。やはりワークス勢は一段抜けています。こちらとしては持久戦に活路を見出すしかありません」

 改造範囲の狭いST600でもやはり差は大きいのだって。まともにやれば歯が立たないところはあるらしい。

「ですが耐久レースです。チャンスは必ずあるはずです。去年よりは差を詰めたつもりです」

 それからもあれこれ話はあったけど、動画撮影はOKもらえたし、明日だってピットガレージにいつでも入っても良いとまで言ってくれたんだ。無事取材も終わり部屋に戻ったけど、あれだけ親しいのだったら言ってくれたら良かったのに。

「それほど親しいわけじゃないからな。よく杉田さんが覚えてくれていたものだ」

 なにそれ。あれだけ親しそうにしてたじゃない。

「あれがカリスマの余裕だろうな」

 なんだよそれ。

「杉田さんのプロジェクトが始まった年になるが・・・」

 杉田さんはモトブロガーでもあるけど、八耐も走ったことがある本格派。ワークスから声がかかったこともあるぐらいなんだって。でも四耐となると誰かとペアを組む必要があるのよね。そのライダーを杉田さんは公募で集めた話は見てた。

「腕に覚えのあるライダーが集まっていてな・・・」

 えっ、まさか清水先輩も!

「オレのようなレーサーにとって鈴鹿は夢さ。四耐を走るチャンスがあれば仕事なんかクソ喰らえだ」

 だから奥さんに逃げられたはやめておこう。応募者多数だったから選考会が行われたのだけど、その結果は、

「笑うほどの差だったな。まさか篠原アオイまで応募してしてるだなんて思いもしなかった」

 悪いけどそうなる。篠原アオイは女性なんて断りを入れなくとも国内では屈指の快速レーサー。その美貌からアイドル的な人気も高いけど、実力も裏打ちされてるのよね。

「悔しいがオレではあれだけ走れん」

 悪いけどそう思う。篠原アオイはラスト三十分で最終ライダーとして走ったんだ。交代の時は三位だったけど、そのまま順位を守るんじゃないかとも見ている人もいた。もう終盤も良いところだし、マシンもタイヤもへたばってるはずだものね。

「ああ、下手にギャンブルに出てリタイアになったら、何も手に残らないからな」

 だけどそんな予想を完全に裏切って、篠原アオイは猛烈な追い込みをしたんだよ。あれは鬼気迫るでも良いし、殺気さえ画面越しに伝わる鳥肌ものだった。篠原アオイは残り六周で二位だったジャカルタ・スズキを抜き、首位のカルカッタ・ホンダに迫って行った。

 あの時は観客席も興奮の坩堝だったと思う。計算上では最終ラップでカルカッタ・ホンダに追いつきそうだったし、実際にもそうなりかけた。後は最終ラップでパスできるかどうかまでなってたもの。

「あんな走りはオレには到底無理だ。その点では後悔はない」

 でも出たかっただろうな。ちなみに選考会の結果は、

「余裕で二秒は離された。悪夢を見ているようだった」

 あっ、そうか。だから鈴菌の重症感染症患者の清水先輩がYZFを買ったんだ。そこまで入れ込んでたのか。それにしても選考会の落選者に過ぎない清水先輩を覚えていたのはまだしも、ここまでの好意を見せてくれた理由って、

「あれがカリスマのカリスマたるところだよ。水無月君、杉田さんの人気がどうしてあれほど高いかわかるか」

 そりゃ、動画の質が段違いに高い。どこまでこだわるんだと思うほど作り込まれてるもの。あれは素人だけでなく、玄人でも唸らざるを得ないもの。

「まあそうだ。だがな、それだけじゃない。杉田さんが凄いのは、そういう動画を作ろうとするモチベーションだ」

 モチベーションなら双葉もあるけど、

「そうだったな。そういう点ではオレだって負けてるとは思わない。杉田さんの凄味はその思想の気高さだ」

 なんだそれ、

「杉田さんはバイク文化を愛している。日本でバイク乗りの地位はどうしても低く見られてしまうところがある。その地位を向上させたいが杉田さんのモチベーションのすべてとしても良い」

 バイク文化の理解者を守り、一人でもその輪を増やすために全身全霊を傾けてるって言うの。

「ああそうだ。だからバイク乗りへの仲間意識が非常に強い。今回だって取材を断って、自分のチャンネルの番組にすれば好反応を得るのは誰でも予想が付く」

 そ、そうだよ。だから先輩のアポ無し突撃のリスクは高すぎると思ったもの。

「杉田さんの発想はそうじゃない。ツーリングファン社も情報発信してくれることのメリットを喜んだのだよ」

 そういう人なんだ。

「優しい人だよ。でも熱いし、常に前向きの人だ。あんな人がバイク界にいてくれる幸せを感謝すべきだろう」

 だからカリスマか。話してるだけでもわかる気がした。