ツーリング日和13(第1話)ツーリングファン社

 わたしは双葉、水無月双葉。この名前は当たり前だけど親が付けてくれた名前だけど、双葉には姉と妹がいる。三姉妹なんだけど、

 一葉、双葉、三葉

 男だったら太郎、次郎、三郎ぐらい雑なネーミングに思えなくもない。でも姉ちゃんに言わせると、

「並ばなきゃ姉妹に思われないよ。娘が一人でも双葉だって三葉だってあるじゃない」

 『葉』が付いてるのはオシャレと言えない事もないぐらいみたい。もっとも妹は違っていて、

「一葉姉ちゃんや、双葉姉ちゃんはまだ良いよ。わたしなんて食べ物じゃない。せめて『三』を飛ばして『四』にして欲しかった」

 『四』は縁起が悪そうな気もしたけど、

「なに言ってるのよ幸運のクローバーじゃない」

 そっちか。個人的には二葉じゃなくて双葉にしてくれたことを感謝してるぐらいかな。勤めているのはツーリングファン社。雑誌記者と言いたいのだけど、雑誌と言う概念がすっかり変わってしまったと清水先輩から教えてもらったと言うかボヤかれた。

 かつての雑誌とは紙媒体で本屋とか駅の売店みたいなところで売られていたんだって。今も無いとは言えないけど、そういうスタイルでの収益モデルとしては、

「雑誌の購読料と広告料だ」

 雑誌にもよるだろうけど広告料の比重は大きくて、中身はほとんどが広告で、広告と広告の狭間に記事があるってスタイルも少なくなかったそう。じゃあ、広告料だけで商売が出来るかとなると、

「販売部数が広告料にリンクするから生命線だ」

 だけどネット時代が押し寄せて来ると紙媒体の商売はどこも先の見えないジリ貧状態に陥って行ったのは双葉でも聞いたことがある。だってだよ、かつては一千万部も売っていた怪物みたいな紙媒体の新聞があったらしいものね。

 一千万部と言えば全国民の一割じゃない。それも新聞だから毎日買われてるって事になる。そんなものどうやってと思ったら、こんなもの信じろと言うのが無理があるけど、連日家まで宅配していたって言うから腰を抜かしたもの。

「ああそうだ。苦学生のアルバイトの王道は新聞配達だったからな」

 そんな怪物だった新聞が衰退したのは、日本だけの特殊事情ではなくネットが普及した国は世界中で同じ現象が起こったそう。それもそんなに長い期間かかってないんだって。ネットと紙新聞はよほど相性が悪かったみたいで、そうだな、犬と猿、ハブとマングースみたいなものかな。

「それは仲が悪いだけだ。例えるなら羊の群れが狼の集団に襲われたものだ」

 どんだけって思うしかない。そういう潮流の中で紙媒体のツーリングファン誌も翻弄されている。もともとは大手出版社の一部門として始まっているのだけど、まず経営上の問題とやらで子会社として分離している。赤字だったんだろうな。

 親会社も紙媒体主体で商売していたそうで、ネットに押されて経営が傾き子会社であるツーリングファン社を売り飛ばしたみたい。よくまあ買う会社があったものだ。もっとも買った方も買った方で、不良債権のババを引いたようなもので、そのうちに倒産。巻き添えを喰って子会社であるツーリングファン社も連鎖で倒産。

 倒産した時に当時の社員の残党が集まって今のツーリングファン社を復活させている。この復活の時に紙媒体を完全に捨てて、ウェブに特化する方針にしている。当時としては先進的な取り組みで、

「ああそうだ。今のサイト専門誌の先駆者的なものだよ」

 ウェブ特化のメリットは設備費用が安価で済むこと。紙媒体時代のように印刷製本の手配や、それの配送、販売代金の回収みたいな手間が不要になるぐらい。その代わりにどうやって収益を上げるかが問題になるぐらい。

「さすがにサイトのアフェリじゃ無理がある」

 とはいえネットで有料コンテンツの展開はハードルが高いのよね。だからユーチューブに目を付けたで良さそう。これはツーリングファン誌が扱っている題材がバイクなのも良かったと思う。

 そりゃ、新型車の紹介でも写真やテキストで美辞麗句を並べるより、動画で走る姿を見せる方がインパクトがあるに決まってる。言うほど簡単じゃなかったみたいだけど、それこそ試行錯誤の末にノウハウを蓄積させたで良いようだ。

 ツーリングファン社の取った路線はパイオニアとしてヒットしてして今に至るぐらいで良さそうなのだけど、

「ネットの世界は参入の敷居が低すぎて苦戦中だ」

 紙媒体時代は本屋や売店に雑誌を置いてもらうところから既得権の塊みたいなものがあり、ライバルの数も限定的だったらしいけど、ユーチューバーなんてやろうと思えばスマホ一つから始められるのよね。

「バイクはスマホ一台ではさすがに難しいが、それでも初期投資は安いからな」

 モトブロガーがそれこそウジャウジャいるし、新規参入も毎年どれだけいるか数えきれないぐらい。小学生でも将来の夢はユーチューバーなんてのが普通にあがって来る時代だから、あらゆる分野のユーチューバーが溢れ返っているとして良いと思う。

「それでも素人と玄人の差があるなんて思ってた時代もあったが、モトブロガーのトップクラスになると手強すぎる」

 それはわかる。画質にしろ編集にしろプロと遜色ないのよね。そうなると差を競うのは企画になる。これは当たり前と言えば当たり前すぎる平凡な話だし、記者なら仕事そのものって言っても良いのだけど、

「とにかく相手はゴマンといるからな」

 このゴマンは普通なら多いってぐらいに使われるけど、実際のところネット上には五万ぐらいは余裕でいるのよこれが。昔から三人寄れば文殊の知恵って言うけど、五万もいれば百花撩乱、こんなものよく思いつくものだどころか、よくまあ実行したものだと感心するのもある。

「企画に著作権はないようなものだから二番煎じ三番煎じも団体さんなんだよな」

 企画にも定番と変化球はある。会社と言っても規模は小さいから部門を分ける程の規模はないけど、先輩と双葉はどちらかと言うと変化球担当。だからこうやってヒマがあれば企画を捻くり出そうとしてるところがある。

「ムック企画は受けが良いよな」

 幻の名車を探すとか、都市伝説の真相を暴くとかだけどホラーは嫌だった。いわゆる心霊スポットを巡るってやつ。あれはマジで怖かったし、取材の後にお払いに行ったもの。バンジースポット巡りも泣いてたよ。先輩はロクでもない企画を考え出すだけでなく、

『絵には華が必要』

 双葉に全部やらすのだから始末に負えない。そりゃ、アラフォーのオッサンである先輩が出演するより効果的なのは理解するにしても、高所恐怖症の、ホラーが嫌いの、ジェットコースターに乗れない双葉にとってはイジメだしパワハラだ。

「今回は正統派で行く」

 先輩の正統派は怖いのだけど、

「神話だ」

 神話? バイクに神話ってなによ。

「そんな企画は掃いて捨てるほどある。そもそもうちでもやっている」

 あったっけ。神話って言うぐらいだから、お釈迦様だとかキリスト様が乗ってたバイクを探し出すとか。

「あるはずないだろ」

 それもそうだ。

「これも何番煎じにはなるかわからんが、日本神話とツーリングのフュージョンだ」

 コラボじゃないのか。用語の使い方はともかく、ツーリングに歴史ムックを重ねるやつだな。神話って言うからには、えっと、えっと、アマテラスが出て来るとか。アマテラスの所縁のツーリングスポットってどこだろう。アマテラスは高天原にいたはずだけど。高天原ってどこだ。

「古事記によると・・・」

 ちゃんと調べてるんだ。なんとなく知っていたけど、日本の神が生まれたところが高天原として良いみたい。ここは単純に、

 天界・・・高天原
 地上・・・豊葦原中国
 地下・・・黄泉

 これは日本だけでなく世界中の宗教の世界観の多くがこのパターンのはず。高天原イコール天国じゃないだろうけど、地上世界とは別の空想の世界としても良いはず。古事記ではイザナギ、イザナミの夫婦神が天の浮橋から泥を捏ね上げて豊葦原中国を作り、

「泥の国が固まった頃にニニギノミコトが天孫降臨してくる」

 そんな話だった。高天原は天界だから探しようがないから、天孫降臨の地でもムックするとか。

「いや高天原を探しに行きたい」

 高天原はキリスト教の天国、仏教の極楽のような空想世界のものとするのもあるけど、そうじゃなくて実世界のものとする考え方もあるのか。神話とか昔話は荒唐無稽に思えるけど実話がベースのとこともしばしばあるのだって。

「ノアの箱舟も実話と考えられてるぐらいだからな」

 洪水神話も世界中にあるそうだけど、シュメールに残されたギルガメシュ神話にノアの箱舟と類似した洪水の話はあるそう。洪水の時に船で助かる話はありそうだものね。とはいえ高天原は、

「候補だけなら十五か所ぐらいある」

 そんなにあるんだ。先輩の考え方として、

「高天原に古代の国が成立し、その一族のニニギノミコトが日向に国を作り、さらにその子孫の神武天皇が大和に来て国を作ったぐらいのストーリーを考えてる」

 神武天皇は初代の天皇だけど古事記でも日本書紀でも東征を行ってヤマト王権の基を築いたとなっている。その神武がいたのが日向となってるから高天原は、

「高千穂峡としたい。これが正しいと言うよりツーリングコースとして使いやすい」

 高千穂峡って宮崎だよね。あんなところに行くとなれば、東名から名神、さらに山陽道を走破してやっとこさ九州じゃない。そこからだって、北九州から南九州まで走らないといけないじゃない。いくらなんでも無理がある。つうか絶対事故する。

「そんな無謀なツーリングはオレだってゴメンだ。だからだ・・・」

 へぇ、東京から九州に行くフェリーがあるのか。それだったら事故無しで九州に行けるだろうけど時間は、

「横須賀からになるが二十一時間で行ける」

 横須賀まで行って乗り込むのか。

「ただし二十三時四十五分発で翌日の二十一時に新門司着だ」

 えっと、えっと、それって新門司から高千穂峡に出発すのは、さらに翌日になるじゃないの。さすがに九州は遠いわ。