ツーリング日和12(第32話)早川と三船

 カムバックした風香だけどもったいなかったな。日本人俳優で国際的な活躍が出来たのは殆どいないのよ。

「それなりに活躍したのはおるけど、あくまでもそれなりや。言うたら悪いけど、日本の映画に出て来る外人役ぐらいのポジションに毛が生えた程度が殆どや」

 もうちょっとマシなのもいたけど、それでも単発のゲスト出演程度。

「それとや、国際的、国際的と言うけど極論したらハリウッドで活躍できんかったら世界的にはマイナーもエエとこや」

 もちろんハリウッドだけが映画の世界のすべてじゃない。ハリウッド以外でも名画は作られてるけど、やはりハリウッドは別格になってしまう。作品の質はあれこれ言われることもあるけど、あれだけの映画を作れる資本力は他の国とは桁が違う。

 この辺はまずアメリカ国内のマーケットが巨大なのはある。これは他の国が遠く及ぼないものを持っている。それだけでも圧倒的な強みなのに、多くの作品が海外展開を最初から視野に入れて作られている。

「そうやねん。あれこれ言うのもおるけど、コンスタントにヒット飛ばすもんな」

 これは否定できない事実になってしまう。野球で言えばメジャーリーグみたいなものだし、サッカーならプレミアリーグみたいな位置づけになってしまう。でもハリウッドで日本人が活躍するのはとにかく難しい。

 いくら海外展開を視野に入れたマーケティングを考えていても、まずアメリカ国内で人気を集めるのが重要になる。これはハリウッドだけじゃない。世界中の映画会社はまず国内マーケットでのヒットを念頭に置くもの。

 国内のマーケティング戦略を考えると、国内の観客に受け入れやすい題材が選ばれ、さらに自国人が主役を演じる企画になってしまう。

「そりゃそうや。ハリウッドで太閤記を作って、秀吉がインド人やったら腰抜かすで」

 インド人が悪いわけじゃなく、ミスマッチも良いところで誰も見たくないものね。人種差別云々がすぐに出て来るけど、最後のところは少し違うと思う。これはビジネスで日本人が主役のハリウッド映画なんてアメリカ人だってそうそうは見たいと思わないだけのお話。

「自国のスターが大活躍する映画しか、どこの国かって作るかい」

 そんなハリウッドでアメリカ人俳優と主役を争えたスターなど、

「ユッキーなら知っとるやろ。一番成功したんは早川雪洲や」

 知ってるのが悔しいけど、残念ながら日本での評価は低い。だけど当時の海外の評価は想像を絶するものがあり、それこそハリウッド初期の大スターの一人になる。一五一五年にパラマウントと契約した時なんか週給一〇〇〇ドルだったもの。

「それじゃわからんやんか。チャプリンで一二五〇ドル、メアリー・ピックフォードで一〇〇〇ドルや。当時の有名スターで二〇〇ドルから三〇〇ドルやったらしいからな」

 破格なんてもんじゃない契約だったのがわかる。どれぐらいの人気を誇っていたかだけど、

「なにせその頃は悲劇の早川、喜劇のチャップリン、西部劇のハートと並び称されていたぐらいや」

 喜劇のチャプリンは説明不要だよね。西部劇のハートは今では忘れられた大スターだけど、西部劇にリアリズムを取り入れたとされる名優よ。早川がそれだけの人気を博したのは演技力はもちろんだけど、その美貌だったとされているのに驚かされる。

「そんなもんやない、ハリウッド最初のセックスシンボルとまでされてるんや」

 ハリウッド最初のセックスシンボルはルドルフ・ヴァレンティノとされることが多いけど、あれは日本人の早川の成功を見てイタリア人のヴァレンチノを起用したものとするのが正しい。そんな早川がどれほどの人気があったかで有名な逸話だけど、早川の専属運転手が残してる。

『車が劇場に着くでしょう、プレミアショーかなんかのね、彼が下りたところが運悪く水溜まりでしてね、それで雪洲がちょっと困った顔をしたんですね。するとね、十重二重と取りかこんでいた女性たちがね、みんなわれ先にと着ている毛皮のコートを雪洲の足元に敷くのですよ、彼の足を汚してはいけないとね』

 当時だってと言うか、当時の方が人種差別は強くて露骨で、日本人も含むアジア人俳優は悪役だったり、主役の白人俳優を引き立てる脇役しか与えられなかったのよ。そんな中で早川は白人と互角に主役を張り合う大スターだった。

 早川の足跡は偉大としか言いようがないのだけど、ひたすら時代の波に翻弄されたとしか言いようがない。白人と主役を張り合えるスターではあったけど、作られるのはハリウッド映画じゃない。どうしたって日本人を貶める演技をしているの批判が日本人社会から付いて回っている。

「出世作のチートは興行的には記録的な大成功やが、日本人からは大顰蹙やったからな」

 さらに時代は黄禍論から排日法に進み早川の居場所は苦しくなっていく。トドメは第二次大戦かな。混乱と戦乱の中で早川の名前は消えて行ったぐらいなのよ。

「そう簡単に消したらあかん。戦場にかける橋があるやんか」

 これも早川の悲運の一つ。早川はサイレント時代から大スターとして君臨していたけど、いわゆる映画史に残る名画に殆ど縁がない。唯一がいやいや出演した戦場にかける橋だけだもの。

 それとなんだけど、戦場にかける橋が公開された頃だって早川がどれほどの大スターであったかを知っている日本人がどれほどいたかは疑問だもの。まさに忘れられた大スターだった。

「今から見ても早川が国際的スターとしてはダントツやろ」

 早川の次となると、

「三船敏郎しかおらんやろ」

 三船は日本映画界が生み出した最高の男優。最高かどうかは個人の思い入れや、好みも入るかから異論もあるかもしれないけど、鼻歌でベストテン、少なくとも五本の指、いや三本の指には入って来る名優だ。

「三船がラッキーだったのは日本映画界の黄金時代に活躍できたとこやな」

 それだけじゃない、日本映画界が生み出した最高の監督の一人である黒澤明とコンビを組めたとこにあるとも思う。黒澤映画が日本最高とするのに異論がある人もいるかもしれないけど、三船の名前が世界に轟いたのは黒澤映画で主役を勤めていたのが大きいと思う。

「代表作が七人の侍なのがどれだけ大きい事か」

 黒澤作品には用心棒とか、椿三十郎、隠し砦の三悪人、羅生門なんかも忘れてはいけないだろうけど、世界にその名が轟き、日本映画が到達した金字塔とまで称賛されているのが七人の侍だ。七人の侍は日本でもヒットしたけど、

「今なら冗談みたいやが、女の園に次ぐ三位やったけどな」

 これは公開された年のキネマ旬報の話で、一位が二十四の瞳で三位が七人の侍なのよね。二十四の瞳はまだしも二位がなんと女の園。どんな映画だって? そんなもの余程の映画研究家じゃないと誰も覚えていないよ。

 だけど世界となると全く違う。世界歴代の名画ベストテンに入りそうなぐらいの桁違いの高評価がある。そこで縦横無尽の活躍を見せつけ、圧倒的な存在感を示したのが三船だ。

「世界の映画人が、あんな映画をいつかは撮ってみたいと憧れまくったって話があるぐらいやからな」

 あれほど濃密な人間ドラマと、まさに肉弾相打つアクションシーンを併せ持つ作品は未だに肩を並べるものがないとまで言われてるものね。三船は黒澤がいなくとも名優であったのは間違いないけど、

「三船は天才や。黒澤も天才や。日本映画を代表する二人の天才がコンビを組むと言う奇跡が起こったとしてもエエんちゃう」

 三船の名声、とくに世界的な名声は黒澤映画に出演していた部分があると思ってる。これは貶しているのじゃない。名優とされる者は名作に出演する事で名声を不動のものにするのよ。どんなに演技が上手くてもヒット作、名作に出演しないと世に出れないし、ましてや世界にその名を広げる事は不可能なのよ。

 黒澤にしても三船がいたからこそ、あそこまで作品の質を高める事が出来たはず。黒澤映画の成功のかなりの部分は三船の存在のお蔭と言っても良いと思うもの。とにもかくにも三船は世界的な名声を得た。

 当然のように海外からのオファーも殺到した。その数は晩年でさえ、一年で段ボール一箱に溢れるぐらいだったとされてるぐらい。でもね、でもね、三船は国際俳優になっていないと思うのよ。

 こんなもの後出しジャンケンでしかないのだけど、三船が黒澤とコンビを解消した時に三船の日本での仕事は終わったと思ってる。日本は三船には小さすぎる。日本から世界に飛び出して欲しかった。

「三船もまた時代の制約やったぐらいやろか」

 三船は徴兵されて軍隊にも行っている。つまりはそういう時代を背負った人でもある。敗戦後の日本の悲哀を肌身で知っている人ぐらいには言える。

「早川の日本での扱いも知ってのことかもしれん」

 三船も海外オファーをいくつか受けて入るけど、その方針はこうだったとされてる。

『私は日本と日本人のためにこれからも正しい日本人が描かれるよう断固戦っていく』

 これは日本人俳優が海外、とくにハリウッドで受ける待遇を念頭に置いている気がする。今でさえそういう部分はあるけど、三船の時代なら相当なものがあってもおかしくない。そんな作品に出演したくないの思いが強かったぐらいかな。

「あれやろな。早川はハリウッドの主役を張れたけど、そういう扱いに苦労し、三船はそういう扱いを懸念して海外への進出を躊躇った」

 そんな感じかも。でもさぁ、でもさぁ、三船は海外へのゴールデンチケットを手にしていた。結果として殆ど使わなかったけど、わたしは使って欲しかった。三船がハリウッドの扉をこじ開けるパイオニアになって欲しかった。

「メジャーに挑んだ野茂みたいなものか」

 メジャーの野茂の先人として村上雅則がいる。だけど村上は日本人メジャーの扉を開ける事は出来なかった。だけど野茂は違う。野茂がこじ開けたメジャーへの扉はイチロー、松井、ダルビッシュ、大谷と数多くの選手をメジャーに進ませたと言える。

 野球と映画を同じには出来ないのはわかっているけど、映画だって誰かが扉をこじ開ければ変わっていた可能性があったはず。ここ言い切っても良いと思う。三船が成功しなければ誰も成功するはずがないじゃない。

「見果てぬ夢やけどな。そやから風香も惜しかった」

 風香は間違いなく稀代の名女優だ。日本にも名女優、大女優とされるのはたくさんいるけど、風香に匹敵するほどの女優が果たしているかどうかレベルだと思う。だってオスカー、カンヌ、ヴェネツィアを取ってるもの。

 でも無理そうだ。これはアラフォーになってしまってるのがまずある。女優の本当の旬の時期が悔しいけど過ぎてしまっている。それより問題なのは風香のメンタルよ。

「折れない花はヒットしたけど、次が撮れるかどうかは誰にもわからん」

 そう思う。撮れたとしても毎年でも厳しいかもしれない。ましてや海外作品となるとプレッシャーはさらにかかるから、もう一度が果たして出来るかどうかだと思うもの。それがわかってしまったのが今回のツーリングかな。

「それでもの夢だけは持たしてくれけどな」

 そう思う。男優なら早川や三船以外でもそこそことか、それなりにの活躍をしたのはまだいるぐらいに言えないこともないけど、これが女優になると、

「ナンシー梅木ぐらいか」

 アカデミー助演女優賞だものね。この領域まで風香はもう達していたのに惜しかった。

「また出て来るで。考えようによっては男優より活躍の場は広いんちゃうか」

 そんな日が来て欲しいな。