ツーリング日和12(第8話)三田村風香

 そんなもの覚えてるなんてもんじゃないよ。三田村風香と言えば一世を風靡した名女優だよ。わたしもファンだったもの。若い時から美人女優として知られ、その演技の評価も高かった。

「高いなんてもんやあらへん。主役を食い尽くすって言われとったぐらいや」

 初めて出演したのはアイドル映画だった。学園物で当時のアイドルが主役で、

「あれって同級生役はオーディションやったはずや」

 三田村風香が演じたのは主役であったアイドルの敵役。主役のアイドルが貧乏という設定に対して敵役は定番のお金持ちの高慢なお嬢様で、主役をイジメる役回り。こういう設定は映画に限らずマンガや小説でも数えきれないぐらいあるけど、

「そうや、そやけどいかに敵役が魅力的で存在感があるかが作品の価値を決める」

 アイドル映画だからアイドルが主役なのはもちろんだけど、アイドル映画であるが故にアイドルを魅力的に撮るのも側面になる。この辺は事務所サイドからの要請も強いそう。そう敵役があんまり目立つのも横やりが入ったりすることもあるそだけ、

「怪演って絶賛されてたもんな」

 ああ怖いほどの存在感だった。画面に登場するだけで他の出演者を圧倒してたものね。嫌らしいほどの高慢さと、お嬢様のどこか心優しさをなんの矛盾もなく演じ切っていた。それもあって映画もアイドル映画と思えないほどの大ヒットになった。

 あまりのヒットに映画の続編も作られたし、テレビドラマ編まで作られたぐらい。こういうヒット作の続編って質が落ちる事が多いのだけど、このシリーズはそうはならなかった。続編になるほど凄味が増して、

「主役のアイドルはどこにおるか状態やった」

 そうなってた。

「つうかあのアイドルなんか忘れられてもた」

 それは言い過ぎで、映画の方じゃなくてヒット曲の方で覚えているファンはいるはず。だけどあのアイドルが実は主役であったと言われても、

「その辺はあのアイドルかって、『あの人は今』になってもたからな」

 あれって第三部まで作られたけど、最後の作品なんか主役であったアイドルより、敵役の三田村風香がまるで主役のように扱われていたぐらい。続いて撮られたのは高慢なお嬢様役が買われたのかもしれないけど怪奇ホラー映画だった。

「そうやねんけど低予算映画やった。そやから特撮や特殊メイクもチープやってんけど、三田村さんの演技だけで支えてもうたようなもんやんか」

 あの時の三田村風香の演技は鬼気迫るものがあった。脚本も良かったと思うけど、特撮やメイクのチープさを吹き飛ばすぐらいの怖さがあったもの。今でも日本の怪奇ホラー映画の傑作の一つに数えられるけど、どうしてもっと予算をかけなかったのかの批判が残るぐらい。

「次のは日本映画史上に残るコメディや」

 ダンシングノートね。あれはまさに傑作だった。あの時も主役じゃなかったけど、

「独裁者の冷徹な秘書役やった」

 舞台は近未来の独裁軍事国家。隣国との戦争が始まっており、街は軍事色に染まり、娯楽なんてトンデモないとして規制されていた。そんな時にある少女の下に一冊のノートが天から舞い降りて来るんだよ。

 少女は軍事一色でつまらない日常に飽き飽きしてたから、ノートにこんな事をしたい、あんな事をしたい、こうなって欲しいの夢を書き綴るのよね。すると書いた通りのことが起こってしまうのよ。

「とにかくダンスが好きって設定で笑わせてくれたもんな」

 学校の一番怖い先生が朝礼で訓示の途中に踊り出したり、街でもウルサ型のおばさんやおじさんが社交ダンスを商店街で踊り狂ったり。とにかく踊りそうにない人が突然踊り出すシーンの連続。三田村さんも踊ったのだけど、

「あれが一番迫力あったから、映画の宣伝にも使われたぐらいや」

 独裁者の秘書だからニコリともしない冷徹な役なのよね。その存在感だけで独裁者役の大物男優を完全に食っていたもの。誰がどう見ても踊りそうにない雰囲気を画面から溢れさせてたのよね。

 でもダンシングノートに書かれてしまうのだけど、何があっても踊るまいと堪えに堪えるのよ。もうそりゃ、凄い表情で耐えに耐えるのだけど、

「ブレークダンスまで入る凄まじいダンスで圧倒されたわ」

 そうだった。それも秘書のスーツ姿で踊ったものね。あのダンスってスタントじゃなかったはず。

「よくご存じで」

 今でも白眉の名シーンとして語り継がれているもの。でも三田村さんの真価は、

「そんなもんサンフランシスコ物語や」

 これはハリウッドに招かれて撮られたのだけど、まさに珠玉のラブストーリーだった。ヒロイン役を演じた三田村さんは、

「全米が泣いて恋したで」

 アメリカだけでなく日本でもヨーロッパでも大ヒット。なんと助演女優賞でオスカーまで取ったもの。主役は当時ハリウッドの売れっ子のアイドル男優だったけど、

「完全に圧倒してたもんな」

 その傍証じゃないけど主役は主演男優賞を取れなかったもの。

「そうやなくて、あの風よ再びのオスカー独占を阻止したと言うのが正しいやろ」

 そうだった、そうだった。そこから国際派女優として大活躍を期待されたのだけど、

「ああ、それですか。ハリウッドの呪いみたいなものです」

 サンフランシスコ物語出演に際して映画俳優組合に入ったのか。これも今はSAG‐AFTRAになってるけど、組合に入ると保護される面もあるけど、あれこれ出演条件に規制がかかるそう。

「それもありましたが、ハリウッドで日本人女優が出演するパイが小さかったのが一番です」

 ハリウッドのメイン・マーケットはアメリカ国内向けなのよね。それぐらいアメリカのマーケットが巨大なのだけど。観客が求めるのは当たり前だけどアメリカ人が活躍する映画になる。

「それは日本映画かって同じや」

 ハリウッドの日本人女優の位置づけは難しいところがあるのよね。サンフランシスコ物語はたまたま日本人とアメリカ人のラブストーリーだったけど、だからと言って他のラブストーリーのヒロインに選ばれるわけじゃない。

「あれやろな人種配慮のワン・オブ・ゼムみたいなもんや」

 アメリカらしいと言うか、アメリカだからかもしれないけど、何人か出演しているとそこに白人以外の人種が混じっていないとウルサイのよね。そんな配慮のための日本人枠みたいな感じと言えば良いのかな。

「あれは日本人である必要もありません。そうですねアジア人枠と言った方が良いと思います。欧米人から見れば日本人とその他のアジア人の差なんてわかりませんから」

 この辺は日本人だって他人の事は言えなくて、色が白ければすべて白人としか見ないとの似たようなもの。ここでだけどアジア人枠の争いになると中国人が強い。ハリウッド映画はアメリカ国内だけでなく海外も視野に入れてるけど、中国市場への配慮は欠かせないもの。

「その通りです。ですからハリウッドに見切りをつけて帰ってきました」

 ハリウッドの俳優組合は脱退したのか。でもその後は、

「なに言うてるねん。あの日をもう一度を忘れたんかい」

 日本中が泣いたし、カンヌで助演女優賞を取ったもの。でも、

「もう八年になりますか」

 消えたんだ。女優にしろ俳優にしろ華やかな職業だけど、そのポジションを守るのは難しいのよね。

「守り抜けるはずがないやろ」

 コトリの言う通りだ。人は歳から免れられない。女優なら若さと美貌でブレークしポジションを得るけど、そのどちらも永遠でなく、必ず衰えてしまう。つまりは同じ役柄で主役を張れなくなってしまう時が必ず来る。

「そういうこっちゃ。男優でも女優でもモデルチェンジが必要になるんやが、女優の方がキツイとこがあるで」

 女優なら娘役から母親役へのモデルチェンジになるかな。だけどね、映画で女優が求められるのは華なのよ。つまりは娘役が主役になりやすく、母親役は脇役に回らざるを得なくなる。

「女優のモデルチェンジは主役から脇役への配置転換を受け入れる事にもなるから、そこで身を引くのも珍しゅうない」

 身を引くのは脇役に甘んじるのを拒否するプライドもある。やはり誰だって主役をやりたいし主役を立てる脇役に甘んじたくないのはあるぐらい。これは役の大きさだけでなく、撮影現場の処遇も主役と脇役では違うそう。

 それと娘役と母親役では求められる演技も変わってくる。これへの適応も求められのだけど、演技の質がかなり違うから適応できなくて消えざるを得なくなったのも少なくない。母親役も競争が激しい世界よね。

「仰る通りです。チヤホヤされ尽くされる娘役を見るのも辛いものです」

 だから消えたのか。三田村風香なら母親役でも十分に演じられただろうし、娘役でなくても主役を張るのも可能だったと思うけどな。というか見たかった。あの時でも名女優だったけど、これが大女優として君臨する姿を。

「それは過分のお褒めの言葉をありがとうございます。そうやって人の心、人の記憶に残れるのは女優冥利に尽きます」

 三田村風香はニッコリ笑い。

「どうか風香とお呼びください」
「コトリや」
「ユッキーと呼んでね」

 話は尽きない感じになったんだ。