ツーリング日和11(第1話)SRの女

「とうりゃ」

 かからんか。バイク屋で一目惚れした買ってきたホワイトパールのSR400。三型とか言ってたけどはっきり言わなくても骨董品。買う時に言われたよな。

『SRは熱狂的なファンも多いけど、素人が手を出すもんやない』

 素人って意味は色々あるけど、ビンテージバイクはとにかくカネがかかるのをまず説教された。日本のバイクは丈夫で長持ち、故障が少ないのは有名だけど、それはあくまでも新車で買ってのお話。

 他の国の製品より初期故障は格段に少ないけど、どんな製品だって十年もすれば傷んでくる。経年劣化は避けられないものな。そうなると修理費用が発生するけど、ビンテージ物の故障はしばしば大きすぎる修理費用が発生する覚悟がいると言われたよ。

『修理費用だけやなく、修理期間も長くなる』

 修理期間中は代車で凌ぐなり二台持ちにする必要は常に生じる。だから購入費用は新車より安くても、すぐに新車の購入費用を上回るだけでなく、修理費用は雪だるま式に膨れ上がって行くってね。

『それでも保有したい、走らせたい人やないと無理や』

 修理だって絶版になるとパーツの入手も困難になっていく。これは絶版から歳月が経つほど厳しくなり、マニアはチャンスがあればパーツをストックとして購入しているそう。

『言いたくないけど、修理を扱えるバイク屋も減ってくで』

 だから基本的な整備は当たり前に出来て、こまめにメインテナンスを行えるぐらいじゃないと絶対に後悔するとも言ってたよな。

『悪いことは言わん。新車にしとき』

 話はすべてわかるし、正直なところ後悔しているとこは多々あるけど、

「とうりゃ」

 アカンか。仕方がないよ、気に入っちゃったんだから。あれはこのSRに呼ばれたとしか言いようがないんだもの。色々問題があるバイクだけど、今懸命になってやっているのが、このバイクの大きすぎる問題点の一つであるエンジンの始動。

 今どきのバイクならエンジンキーをオンにしてセルを回せば終わるだけの話だけど、このバイクのエンジン始動はキックオンリー。セルとキックの併用バイクは今でもあるけど、キックオンリーなんて珍品の部類だ。

 さらにお世辞にもかかりやすいとは言えない。はっきり言ってかかりにくい。なにしろユーチューブにSRのキック講座みたいな動画が溢れてるぐらいだものな。これがさらにかどうかわからないけど、イグニッションじゃなくてキャブレターだ。

 キックも跨ってすぐに蹴れる代物じゃない。こんなものSRにしか付いていないと思うけど、デコンプレバーなるものがある。デコンプとはシリンダー内のエアを抜く事だけど、これも今どきのバイクならオートデコンプが当たり前だろ。

 このデコンプレバーの働きだけど、これを引かないとキックがムチャクチャ重い。キックの上に立てるほど重い。だけどデコンプレバーを引けば軽くなる。軽くなったキックでなにをするかと言えば、ちょんちょんと軽く蹴りながら、キックインジケーターを合わす作業をする。

 キックインジケーターはエンジンの横に付いているのだけど、これが合えばピストンが上死点に位置する事になるそうだ、『じょうしてん』と聞いて『情死店』と思い浮かんだのは黙っておく。心中が名物のラブホかと思ったもの。

 キックインジケーターの調節が終わればデコンプレバーを放し、さらにチョークを引く。チョークって何かの説明は難しいから省略する。とにかくその日に最初に始動する時には、これを引かないと絶対にエンジンはかからないのは学習した。

 ここまでがキック始動までのプロトコールだ。そうだそうだエンジンキーもオンにするのもな。ここからキックを蹴るのだけど、デコンプレバーを放しているからキックはムチャクチャ重いんだよ。

 バイクに跨り、左の足をステップに、右の足をキックにかけて立ち上がり、全体重をかけてキックを蹴る。これも蹴ると言うより踏み込むの方が正しいな。いや踏み抜くの方が良いかもしれない。

「とうりゃ」

 アカンか。蹴るのも単純そうに見えて奥が深いのは覚えさせられた。力と勢いは必要だけど、蹴る時の微妙な力の配分も体で覚えるしかない。こればっかりは動画で見ても、口で説明されても覚えようがない。さらに言えば個体差が大きすぎる。

「とうりゃ」

 やっとかかってくれた。五回ならまずまずだ。エンジンがかかればチョークを戻し、アクセルで軽く吹かしながらアイドリングが安定するのを待つ。季節によるけど、今なら三分ぐらいかな。なにせキャブレターだもんね。

 キック始動は厄介だけど、走りだせばちゃんとは走ってくれる。高速だって走れるぞ。だけど振動はかなりある。この辺は単気筒なのもあるけど、やっぱり設計が古いし、そもそも骨董品なのはあるとは思ってる。それでもこの振動こそバイクの魂のビートだと思ってるよ。

 荷物も積み込んだから出発だ。さて今日は高速を走る。阪神高速から名神だ。やっぱり混んでるな。もうちょっと早く出れば良かった。後悔先に立たずってやつだな。寝坊したのが悪いものね。

「♪人生楽ありゃ、苦もあるさ」

 爺さんが好きだった歌。なんかの時代劇の主題歌だそうだけど、変な歌を思い出しちゃったな。もっと楽そうな人生を歩めるはずだったのにな。狂い始めたのは妹のカンナが生まれてから、年子だったんだよな。ちなみに私はエルだよ。

 姉妹兄弟に限らず下の子が可愛がられる傾向は世の中にある。例外も多々あるけど、スクエアなら下の子かな。だけどスクエアじゃなかった、カンナはエルが持っていないすべてを持っていたぐらいには言える。

 カンナは明るくて社交的、さらに言えば姉のエルから見ても可愛いんだよ。それも飛びきりとして良いと思う。一方のエルはシャイと言うより陰気で、地味な性格。単純にはカンナが陽キャでエルが陰キャ。

 生まれ持った部分もあるけど、カンナが飛びぬけて陽キャだったから、エルが陰キャに回らざるを得ない関係だったと言えなくもない。光あるところに影があるで、光がカンナ、影がエルだ。

 母親の愛情もカンナに傾いて行ったのは肌身に感じてた。あれは傾くと言うより溺愛だろ。カンナはひたすら甘やかされたのに対してエルは、

『お姉ちゃんだから』

 これをひたすら言いまくられてたのよね。家の中ではなんでもカンナが中心になり、エルはオマケ状態。虐待までされなかったけど冷遇ぐらいは言っても良いと思う。家事の手伝いだってエルは、

『お姉ちゃんだから』

 容赦なかったけど、カンナは、

『まだ小さいし』

 おいおい一つ違いだぞ、カンナがやらなくても文句ひとつ言われなかったけどエルがさぼろうものなら大目玉だったな。成績もそうだったよ。カンナがテストで八十点でも取ろうものなら、

『よくやった。今夜はお祝いだ♪』

 手放しで褒められたけどエルが九十七点なら、

『どうしてこんな間違いをするの! だいたいエルは普段から不注意で・・・』

 三点の減点をタネに生活態度からひっくるめて延々と説教されたもの。そうなってしまった原因はエルが陰キャで可愛げがなかったのもあったけど、それ以上に母親と反りが合わなかったのはある。

 ま、母親とカンナの反りが合い過ぎていたのの裏返しだけど、歳を重ねるごとに母親との関係はハブとマングースから、犬と猿、水と油状態になっていったぐらい。これに思春期の反抗期が乗っかっていたからなおさらになったぐらいだろう。

 あくまでも今になって思うぐらいだけど、そういう家庭環境はエルもだけどカンナの性格を歪めたと思うよ。エルも不愛想な可愛げのカケラもない娘に育ったけど、カンナがあの状況でワガママ姫にならない方が不思議だもの。

 カンナはなんでも欲しがった。買える物は母親がホイホイ買い与えていたけど、他人の物、はっきり言うけどエルのものを欲しがった。なんでもかんでも持って行くから怒ったら母親からは、

『お姉ちゃんだから』

 盗人と一緒に住みながら警察がいない状態だからひたすら自衛に走った。何度もペンケースとかシャーペンを盗まれたから開き直ったんだ。あの時もカンナがエルの文房具を狙った時だけど、

『お姉ちゃん、これなによ』

 知らないのか、象が踏んでも壊れないアーム筆入れだ。鉛筆は三菱の事務用鉛筆の9800、消しゴムはラダー。どれも日本が誇る立派なブランド品だぞ。定規も小学校時代からの年季の入ったやつで、マーカーも青赤鉛筆、サイドバッグもスーパーで売っているエコバッグだ。

 服も制服以外は無地のTシャツとジーパン。スカートすら買わなかった。家にいる時だってノンブランドのグレーのスウェットかジャージだけ。化粧はしなかったから化粧品も無く、シャンプーやリンスだって親父と共用の特売品のリンスインシャンプー。

 アクセサリーの類は一切持たなかった。あったけど全部カンナに盗まれたからね。とにかくエルのすべての持ち物から可愛いとかオシャレは徹底的に排除した。高校を卒業するまでエルが持っている一番かわいいものは制服のリボンだけだったぐらい。さすがのカンナも盗まなかったな。