ツーリング日和11(第2話)塩姫

 母親との会話もほぼなくなった。だってだよどんな他愛無い話をしていても、ほんのちょっとしたキッカケをつかむと力技で、

『だいたいエルは普段から・・・』

 この説教モードにしか持ち込まない母親は嫌悪しまくった。学校の教材一つ買うのにあれだけネチネチ嫌味を言われないとならないのよ。決定的になったのは中学の修学旅行かな。旅費を持ち出すと嫌味が待ってるから母親には黙って欠席にした。後で知った母親は、

『私が御近所さんからなんて言われてるか知ってるの』

 こんなことを言い出したから、

『あんたの嫌味を一時間も聞かされるぐらいなら、行かない方が百倍マシだって言っただけ。それを正しく理解してくれただけ』

 その事件以降は、どうしてもおカネが必要になれば書面で必要金額と理由だけ書いて渡してた。それでもブツブツ言いかけるのだけど、

『下らない文句は書面のみ受け付けます』

 さすがの母親もあきらめたのか、黙って封筒に入れてエルの部屋の机の上に置くようにしてくれた。家の中でも家族というより同居人って感じになってたな。だから卒業式も一人で行ったよ。そもそも、いつ卒業式があるのかも教えなかったから。

 えっ、親父? あれはいわゆる仕事人間で良いだろう。見ようによってはエルより家の中では空気で、親父が家で声を出しているのなんか小学校から覚えていないぐらい。つうか、そもそも家に滅多にいない。そうやって育てば、

『陰キャの地味子』

 そうならざるを得ないところがある。いやそうなってたし、カンナからも母親からも、散々に言われまくった。ファッションとかオシャレには無縁だし、家での母親とカンナとのバトルで手いっぱいだから、恋愛みたいな浮ついたものに向ける余力もなかったからね。

 母親も食事だけは作ってくれたけど、ここぞとばかりに母親から阿呆陀羅経のように嫌味を聞かされた。高校にもなるとエルだって黙って聞いていたわけじゃない。これでもかの嫌味で言い返してた。

 食卓との嫌味バトルではカンナは母親の尻馬に乗っていたけど、毎日やっているから嫌味はヒートアップするし、グレードだってアップする。それも顔を合わせた瞬間から双方とも喧嘩腰だから食事の時間は嫌味の銃撃戦で満ち溢れていた。

 この状況に音を上げたのはカンナだった。要するに食事時間がちっとも楽しくないんだよね。カンナも口を開けば、エルからの嫌味の切り返しが来るだけで閉口したんだと思う。半年もしないうちにエルの食事時間は別になったよ。

 その代わり母親とカンナの二人のエルへの嫌味のバカ話が轟いてた。さすがにエルへの嫌味ばかりじゃ、話題がもたないから嫌味もある程度だったが正しいと思う。引きこもりじゃないけど、家では自分の部屋にひたすら籠っていたかな。


 家でそんな調子だったから、学校もどうしても延長線になる。学校と家でキャラを変えるほど器用じゃなかったし、根が陰キャだったのもあると思うけど、基本的には不愛想で塩対応だったのよね。

 これも女子相手にはまだしもだったけど、男子には塩撒いて追っ払うぐらいだった。そうなったのはエルがイジメに遭ったから。イジメと言っても物を隠されたり、机に落書きされたりの類じゃなく、理由はわからないけど罰ゲームのターゲットにされ続けたんだ。いわゆるウソ告白ってやつ。エルは陰キャだったけど気は強いのよ。

『エルさん、ボクは君のことを・・・』

 この後に好きだから付き合って下さいになるのだけど、

『あなたのことは嫌い。友だちにもなる余地もゼロ。顔も見たくない』

 ニコリともせずに言い放ってケリを付けてた。それでも食い下がろうとするのがいたけど、

『日本語が理解できない人は国語の補習でも受けてください』

 公開でもやられたけどはっきり宣言して追い払った。それとね、陰キャがウソ告白にこんな対応をすれば、陰キャ女を笑い者にしそこねた報復があるものなの。これも逆恨みも良いとこだと思うのだけど、

『陰キャの地味ブスが調子に乗りやがって・・・』

 こんな感じで詰め寄られたりするのが定番だけど、なぜか無かった。どうせ裏で陰口、悪口叩きまくっていただろうけど、耳には入らなかったのはラッキーだったかもしれない。あれは高校だったはずだけど、

『塩姫』

 こう呼んでいるやつがいるもの知っている。ウソ告白への対応から塩はわかるけど、姫はおかしすぎるだろ。姫って美人に付けられるけど、性格がツンケンしてるのにも付けられたはずだから、強いて言えばそっちかな。あだ名なんて自分で付けるものじゃないから根拠は知らないよ。

 ウソ告白はとにかく多かった。高校時代なんてどれだけされたことか。やらなかった男子の方が少なかったんじゃないかと思うほど。あれは塩姫をなんとか騙したくなった陽キャ連中が躍起になりすぎた結果だと思う。

 そのせいか、いかにもやらかしそうな男子だけじゃなく、あんな内気そうで優しそうな男の子まで駆り出されていたもの。さすがに可哀想と思ったもの。男子ってあんなに簡単にウソ告白に参加する人種だって軽蔑はしてたけどね。


 進学もカンナとはまったく別だった。カンナに入れ込んだ母親は私立中に進学させた。塾の送り迎えなんか毎晩のようにやっていた。あれだけやって、あそこかよと思わないでもなかったけど、どうでも良い。

 勉強はやった。一貫校でひたすら遊び呆けていたカンナと違い、自分で進路を見つけ切り開かないといけないから必死だった。あの頃は大学に進学したら家を出るのが心の支えだったもの。

 エルは公立オンリー。大学もそうでカンナはエスカレーターで大学まで上がったけど、エルは国立だよ。でもさぁ、大学進学となれば高校より学費の問題は重くなる。重いと言ってもカンナの私立とは桁が違うはずだけど、嫌でも相談せざるを得なくなる。

 入学試験は合格したものの、さすがに困っていたんだ。どうしても母親に相談する気になれず、思い余ってやっとつかまえた親父に相談したんだ。親父は黙ってエルをレストランに連れて行ったんだ。食事が始まっても親父は黙ったままでしばらくしてから、

「合格おめでとう」

 どうもエルの合格祝いのつもりだったみたい。だけどそれだけ言ったらまたダンマリ。よくこんな無口で会社勤めなんかやってられるかと思ったもの。フルコースっていうやつのはずだけど、デザートの時になってやっとこさ、

「こうなってしまった責任は私にある。学費は心配しなくて良い。エルは家を出て下宿しなさい」

 親父のこんな長い言葉を聞いたのは初めてかもしれない。これもどう頼もうか悩んでいた下宿もさせてもらえる事になって嬉しかったもの。学費や生活費は親父から振り込まれていた。


 大学生になってもエルは相変わらずの陰キャの地味子の塩姫だった。成人式は当然のようにパスしたから晴れ着も無し。晴れ着どころか服だって高校時代の延長で地味のまま。化粧も初めてしたのが就活の時だからスッピンのまま。

 髪だってすっと散髪屋で、美容院に初めて行ったのもこれまた就活対応のため。合コンに誘うのもいたけど、引き立て役なのはミエミエだから、塩対応ですべて撃退。普段着と部屋着しか持ってないのに誰が行くものか。

 ここまで徹底した地味子やってたのに大学でもウソ告白するのが多いのに驚かされたよ。陽キャ連中とは死ぬまで反りが合わないものと悟ったぐらい。だからでもないけど恋人どころか親しい男友達もゼロだった。

 就活は頑張ったよ。初めて化粧もしたし、美容院デビューまでやったもの。会社は制服だったけど、飲み会とかプライベートもあるからアクセサリーも買ったよ。さすがのカンナもエルの下宿まで盗みに来なかったからね。そうそう、さすがに社会人でウソ告白するのはいなくなったかな。


 エルの大学時代はこんな感じだったけど、カンナは派手だったみたい。別に知りたくもなかったし、姉妹仲が良くなった訳じゃない。カンナはエルから盗むものがなくなってからも持ち物自慢、彼氏自慢でマウントを取ろうとしてたってこと。

 カンナにも塩対応だったのだけど、カンナはしつこいから無理やり聞かされた。聞きながらわかったことだけど、カンナはエルのものだけではなく、他人が持っているものを無暗に欲しがるようだ。

 そんなものは誰にだって多かれ、少なかれあるのだけど、カンナの辞書には我慢と言うのもがなさそうだ。そうだな、欲しいものがあればカネを持ってそうな男を誘惑して買わせるだけ買わせてポイって感じだ。

 まあカンナの外面なら男は転ぶだろうけど、大学生ともなればカネ持ちのボンボンの競争率は高くなる。つまりは彼女持ちが多い。まあカネ持ちのボンボンでモテないやつは、相当な難あり商品だものな。

 カンナも面食いだから、落とすのは必然的に他人の彼氏になるけど落としまくっていたな。だけどそんなカンナとの交際はまさに、

『カネの切れ目が縁の切れ目』

 いくらボンボンだって、カンナの欲しい欲しい病にいつまでも耐えられる訳じゃない。渋り出したらカンナはポイ捨てして次のボンボンをゲットしていったみたいだ。これはカンナが社会人になってからも同じというよりエスカレートしてる気がする。

 姉妹とは言え他人の勝手だからどうでも良いのだけど、よくまあ、あれから次から次へと男を乗り換えられるものだと感心させられた。カンナに思うところはテンコモリあるけど、そうだね、ああはなりたくないと思ったぐらいかな。