ツーリング日和11(第3話)衝撃の事件

 そんな陰キャの地味子の塩姫にも春が来た。誤解して欲しくないけど、エルだって男が好きだし、恋だってしたいんだよ。別に真性の男嫌いじゃないし、ましてやレズでもない。言うまでもないけどトランスジェンダーでもない。

 社会人になって六年目だったけど取引先の担当者に惚れられた。二つ年上だったけど、いわゆるエリート・コース驀進中で、背が高くてイケメン。交際が深まり告白されて同棲とお決まりのコースを一直線。

 ついにプロポーズを受けて結婚にってなったのだけど、結婚までのステップに両方の親への挨拶ってのがある。彼氏の家の方は無難に済んだのだけど、問題はエルの両親。とくに母親。会いたくないし、ましてや話なんか絶対に嫌だった。

 でもね、彼氏はどうしてもって言うんだよ。まあ常識的には結婚すれば親戚になるから、結婚前から角を立てるのもおかしいし、結婚式に両親を呼ばないのも体裁が悪いのは間違いない。

 渋々だけど実家に彼氏を連れて行った。顔合わせは思っていたよりスムーズだった。歳月は人を変えると思ったぐらい。親への紹介が無事終われば次はいよいよ結婚式の準備だ。エルだって花嫁姿とか、結婚式に夢はあったから彼氏と二人で準備に励んだ。

 だけど結婚式が近づくにつれて彼氏が結婚式の打ち合わせに段々と顔を出さなくなったんだ。理由は、

『急な出張が入って』
『残業でゴメン』

 エリートだし仕事が忙しいのは良く知ってたから、仕方がないぐらいに思ってた。それでも日取りが決まり、招待状も出した頃にエルの実家に突然呼び出された。なにか結婚式の準備とか招待客のことかと思って行ったんだよ。

 家に上がるとニコニコ顔のカンナと、エビス顔の母親と、渋い顔の親父が待ってた。ちなみにカンナは大学の時も、社会人になってからもずっと自宅住まい。だからカンナが家にいること自体は不自然じゃない。カンナは開口一番、

『結婚が決まった』

 はぁ、ついに結婚しても良い相手が見つかったのか。それはそれで目出度い事だけど、いつ結婚するの。

『出来るだけ早く、遅くとも年内に』

 そりゃ、急だな。だけど、そこまでの彼氏がいる自慢話はなかったぞ。カンナがやらなかったのは不思議だな。すると母親が、

『赤ちゃんが出来たのよ』

 へぇ、カンナがあえて妊娠までするのは余程の相手だな。あれだけ遊びまくってたから避妊だけはしっかりしていたはずだもの。でもだよ、エルも二十九だけどカンナも二十八だから本気で捕まえたんだろう。それはそれでかまわないけど、

『カンナの旦那を紹介してあげる』

 なるほど今日も目的はそれだったのか。カンナも面食いだからさぞやのイケメンを見せびらかしたいのだろう。これぐらいは付き合ってやらないと仕方がない。結婚すれば親戚になるからね。カンナは嫌いだけど旦那さんに喧嘩を売る気はないものね。

 カンナが呼びに行って部屋に入って来たのだけど、その男の顔を見て、生まれてこれぐらい驚いたことはなかった。茫然となるとはまさにこんな事だと思ったもの。なんとだよ、その男はエルの彼氏であり婚約者だったんだ。母親はとりなすように、

『赤ちゃんまで出来たから、譲ってあげなさい。エルはお姉ちゃんなんだから』

 久しぶりに母親のあのセリフを聞かされるとはね。彼氏、いやもう元カレの顔を見た瞬間は頭が真っ白になっていたけど、母親のセリフで我に返り、自分でも驚くぐらい冷静になった。

 そうだね、悲しいよりバカバカしくなったんだよ。元カレへの愛情は瞬間に蒸発して枯渇し、母親への肉親の情も絶対零度まで下がったかな。エルも塩姫になり、

「もらうものをもらったら譲るよ」

 エルがあっさり『譲る』と言ったものだから母親もカンナも大はしゃぎだった。だけどね『もらうもの』は1ミリたりとも譲らなかった。母親は、

『お姉ちゃんだから』

 これですべて踏み倒そうとしやがったけど、エルを舐めるなよ。エルと元カレの関係はタダの恋人状態じゃないの。親への挨拶も済んだ婚約者だし、結婚式だって招待状まで送ってるのよ。ここまでの婚約をぶち壊した償いは発生するってこと。慰謝料の請求を持ちだしたら母親もカンナも発狂状態になった。

「カンナには赤ちゃんがいるのよ。結婚式だってやらないといけないのに、そんなもの払えるわけないじゃない」
「血を分けた妹から慰謝料を取り立てるなんて信じられない。あんたには血も涙もないの。お姉ちゃんでしょ」

 あのな、どの男の子どもを身籠ってると思ってるの。エルの元婚約者だよ。カンナとは血を分けた姉妹だけど、その婚約者を略奪するって人としてどうなのよ。畜生にも劣るわよ。いや畜生ならやるもんか。

 婚約は婚姻じゃないけど、婚約もある程度まで進むと婚姻状態って見なされるのよ。だから婚約不履行は立派な責任問題になる。誰に責任が生じるかと言えば婚約をぶち壊したやつだ。

 これでもわかりにくいなら、エルと元カレは夫婦同然と見なされて、そんな状態で夫である元カレとカンナが不倫したのと同様なんだよ。それも不倫だけでない、エルと離婚して不倫相手のカンナと結婚しようとしてるってこと。

 婚約不履行の理由も不貞行為じゃないか。不貞行為は立証しないといけないし、こういう時の定番のラブホへ入る写真とかはない。その代わりにカンナのお腹の子どもがいる。その子が元カレの子どもであると自分で証言してるから世話ないよ。

 母親やカンナを相手にしても話が進まないから弁護士に任せた。ここで猛烈に焦り出したのが元カレだった。エリートのクセにアホとしか言いようがない。どうしてエルさえ身を引けば万事解決なんて思ったのだろう。

 まず結婚式の招待状まで発送してるから、エルと元カレが婚約者であり結婚寸前であることは元カレの親戚から会社関係まで周知されてるんだよね。エルとの結婚が中止になれば、なぜ中止になったのか説明が必要になる。

 理由をまともに話せばどうなるかだ。結婚式寸前の不貞行為、それも妊娠までさせている。これだけでも余裕でスキャンダルだけど、その相手が婚約者の妹のダメ押しだよ。こんなものが知れ渡ったら、社会人として終わるってこと。

 社内の倫理規定に抵触したらクビになりかねないし、クビにならなくても同僚からの悪口、陰口は広がり放題で、そういう事をやらかす男のレッテルは社内だけでなく、社外にも広まって出世は夢となり、左遷冷遇の未来しかないってこと。社会的信用を失うってやつだ。

 だから慰謝料は六百万円にもなった。これは本来の慰謝料が三百万円で、エルの口止め料が三百万円の内訳だった。言うまでもないけど式場のキャンセル料は元カレ負担だ。元カレはエリートだから招待客も多かったから百五十万円ぐらいは必要だったはずだよ。

 母親とカンナは徹底抗戦の姿勢だったけど、説得は元カレに任せた。もし説得できなかったら口止めは反故にすると釘刺しておいたからね。カンナからも三百万円ふんだくってやった。

 だけどエルにも向こう傷があった。会社を辞めざるを得なくなったのよね。エルも婚約を破棄されて捨てられた女のレッテルが貼られたってこと。それを考えると三百万円は安かったと後悔はしてる。


 そうそう、この慰謝料騒動の真っ最中に親父は離婚した。そんな親父にまた呼びだされた。この日の親父は見たことも無いぐらい饒舌で離婚の真相を教えてくれた。親父と母親は見合い結婚なんだけど、親父は婿養子だったんだよね。

 親父は結婚はしたものの、母親とは結婚当初から反りが合わなかったそうだ。子どもはエルとカンナの二人だけだけど、

「息子を作れなかったのはあれこれ言われたな」

 女しか作れない・・・ここは自主規制するけど、女なら女腹みたいな言われようで良さそう。だったら三人目を作れば良さそうなものだけど、反りが合わない夫婦はカンナが生まれてから完全にレスになり今に至るか。

「家には居づらくなり仕事に逃げてしまった」

 エルも家には居づらかったけど、先に親父が居づらくなり、エルが物心ついた頃には空気になり、極端な寡黙になっていたのか。それでも今さらだよ、

「今度の件で愛想が尽きた。エルは大事な娘だよ」

 親父は家にいたから知っているのだけど、エルが元カレを家に連れて行った時にカンナの欲しい欲しい病が発症したようだ。カンナだってエルの一つ下だから、母親だってそろそろ身を固めるべきだで意見が一致。

 アホかと言いたいけど、エルが連れて来た婚約者をカンナに奪わせるように仕組んだで良さそう。イケメンでエリートなのはわかるけど、姉の婚約者だよ。

「エルには申し訳ないことをした」

 親父は口にはしなかったけど、カンナよりエルが好きだったみたいだ。それはなんとなくわかるところがある。カンナは見た目も性格も母親似だけど、エルは親父に近いかも。それとこれは初めて聞いたのだけど、学校とかの費用の支払いも母親がヒステリーを起こしたから、全部親父が出してたって。

 親父もエルを守りたかったみたいだけど、母親とは延々と冷戦状態みたいなものだったから、あれぐらいしかしてやれなくて悪かったと頭を下げてくれた。イイよ、大学進学の時に助けてくれただけで十分に父親の務めを果たしたと思ってる。