ツーリング日和10(第27話)道央ツーリング

 道東と道央の境目は襟裳岬。行政区画的にはサンタタウンの広尾町が道東で、えりも町に入ると道央。ちなみに道北と道東の境目は浜頓別町の次の枝幸町までが道北で、その次から道東になる。

「オロロンラインやったら厚田までは道央で、そこから北が道北ぐらいでエエやろ」

 道東と道央のもう一つの境が大雪山かな。今日は道央観光だけど中心は札幌、小樽に加えて旭川とか富良野がメジャーかな。でもそっちはさすがにパス。道東には摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖って有名な湖があるけど、

「道央には支笏湖、洞爺湖がある」

 ツーリングで市街地走行目指したくないから、こっちを目指す。

「苫小牧から支笏湖って近いんやな」

 しょせんは関西人だからそんなものだけど、苫小牧から四十キロぐらいなんだよね。これは北海道感覚じゃなく関西人感覚でも近いはず。

「行きまっせ」

 今日も加藤さんが先導だからラクチン。

「コトリやったらシンドイんか」

 そういう意味だけど。支笏湖は周囲四十キロの日本で八番目の湖なんだけど、深さはなんと三百六十メートルもあり、田沢湖に次いで二番目。貯水量も二番目で琵琶湖の七十五%もあるんだよ。

「それだけやないで。透明度は摩周湖やバイカル湖に匹敵して、日本最北の不凍湖や」

 水質の良さは支笏ブルーと称えられるんだって。ここの取材はどうするの。

「湖畔の道を走り抜けまっさ」

 加藤さんに言わせれば日本でも屈指のレイクサイドロードらしい。というのも、普通は道路と湖の間に林があるものだけど、これが綺麗さっぱりないのよね。休憩がてらの加藤さんの写真撮影に付き合って、

「洞爺湖に向かいまっせ」

 美笛峠を越えて行くのだけど、道は良いのだけどこれまた五十キロあるんだよね。支笏湖、洞爺湖と言えば一体に思っちゃうけど、ここまでで苫小牧から百キロなんだよ。着いたのは昭和新山駐車場。

 昭和新山が出来たのは昭和十八年のこと。当時はあんまり話題にならなかったのは第二次大戦中だからで良いと思う。だけどまさに自然の驚異で、山があったところは東九万坪と呼ばれた畑作地帯。そこに四百メートルもの火山が突然出来上がちゃったんだよね。

「今やったら連日ワイドショーで大騒ぎや」

 昭和新山は立ち入り禁止だから、

「有珠山から見ますわ」

 有珠山もまた活火山。昭和新山も有珠山の噴火の一つになるらしい。実はって話じゃないけど、コトリもわたしも有珠山に来たことあるのよね。

「全然変わってもたけど」

 一九七七年から一九七八年の大噴火であの頃とは一変してるんだもの。そうこれから乗るロープーウェイも昔に乗ったものとは別物。でも窓が大きくて見晴らしの良いゴンドラだ。六分ほどで山頂に着き、USUテラスから眺望を。昭和新山が良く見えるけど、

「かなり木が生えたな」

 そうなのよ、わたしが覚えてる昭和新山は全部禿山だったけど、中腹以上にも森が出来てるもの。有珠山の展望台には行かないの?

「往復三時間でっからパスしまっさ」

 それならしょうがない。遊覧船は、

「洞爺湖も支笏湖もイマイチで」

 イマイチか・・・でもわたしは乗って中島まで行ったのよね。妙に楽しかった印象があるけど、子どもだったし、あの頃と同じかどうかはわからないよね。

「島やったか、そうやなかったか記憶に怪しいけど、ツブ貝食べたな。あれもサザエにしたら小さいと思とってんけど、そもそも別の貝やと知ったんはいつやったやろ」

 テラスからは羊蹄山まで見えるんだ。そこからサイロ展望台に移動。こんなところに展望台があったっけ、

「コトリも記憶にあらへんわ」

 ここからはヘリ遊覧も出来るみたいだけど、ツーリング動画には向いてないかもね。それでも洞爺湖の景色は昔と同じだったと思う。

「ミサキちゃんとシノブちゃんへのお土産に気合入れへんと」

 そうだそうだ。サイロ展望台はお土産屋さんも充実してるから、賄賂はしっかり渡さなきゃ。ここからどうするかだけど、

「お昼も取材なんで」

 三十分ほどでニセコに。羊蹄山がまじかに見えて迫力あるよ。加藤さんに連れて来られたのが・・・これって移動販売だよね。

「ピタパンサンドが話題でんねん」

 ツーリングで立ち寄って食べるのにオシャレなのか。それにしてもピタパンとは日本では珍しいのじゃない。真ん中が空洞でポケット状になってるから、そこに詰め物をするとサンドになると思うけど、ここはミートソースが基本で、

「コトリはピキニニミート」
「わたしはナチュラルチーズミート」

 オープンカフェみたいになっていて楽しいな。

「スパイシーカレーミートも」
「八丁味噌ガーリックミート食べたろ」

 デザートもあったからシフォンケーキと生ガトーショコラも頂いて、

「なんかリゾート地に来た感じせえへんか」

 つうかニセコはリゾート地だと思うよ。コトリとわたしで四種類食べたけど、

「助かりますわ。杉田が帰ってもたから、食レポどうしよかと思てましてん」

 それなら二人がかりで、

「あ~ん」

 お昼も堪能したから、

「ニセコパノラマラインを下りまっせ」

 北海道では指折りのワインディングロードの一つみたいだけど、

「内地とはワインディングロードの感覚がかなりちゃうな」

 途中のドライブインで休憩かと思えば、

「ここも取材ですわ」

 ドライブインというかレストハウスだろうな。そこから伸びる遊歩道にある神仙沼に行きたいとのこと。木道もちゃんと整備してあるところだけど、寄るほどの価値は・・・ある。

「なるほど神や仙人が住みそうなとこや」

 わたしは見るのは良いけど、住むのは嫌だよ。

「コトリもや」

 三十分ほどで見終えたら、

「積丹半島に行きます」

 岩別から一時間程で見えて来たのが神威岬だ! 岬にある駐車場から続くのがチャレンカの道。これは義経伝説に因むもので、衣川の襲撃を生き延びた義経は蝦夷地に逃れ、

「ジンギスカンになった」

 それは高木彬光でしょうが。伝説ではアイヌの首長の娘であるチャレンカと恋仲になったものの、野望を捨てきれない義経はさらに北に向かい、ついには大陸に渡ったとなってるの。

「ほらみろジンギスカンや」

 義経がモンゴル語を話せるわけないじゃないの。背格好も違うし、ジンギスカンの親兄弟だって記録ではっきりしてるんだから。たく話の腰を折りやがって。どこまで話したっけ、北に上がった義経を追っかけたチャレンカだけど、ついに義経に捨てられた事を悟り、この岬で身投げしたとなってるんだよ。この時に、

『婦女を載せた船がここを過ぐれば覆没せん』

 こう叫んだから神威岬一帯は女人禁制になり、今でもチャレンカの道の入り口には女人禁制の札が出てるんだよ。今はそうじゃなから行けるけどね。風が強いところだけど、今まで見た岬の中で一番最果て感があるかもしれない。

「ここまで来れる岬が珍しいで」

 岬の先まで行っても、その先にはまだ岩礁が並び、

「あれが神威岩やな」

 まさに三百度の大眺望。水平線が丸く見えるもの。ここからチャレンカが身を投じたのか。

「海がシャコタンブルーや」

 綺麗なのよ。

「ここも何回も来てまっけど、これだけ天気に恵まれたのは初めてですわ」

 とにかく風が強いところで、チャレンカの道は良く通行止めになるそうなのよ。さてこれからどうするのかな。

「そんなもんジンギスカンや」

 コトリしつこいよ。神威岬からなら余市もあるけど、

「アルコールの入るところはパスにしてまっさ」

 ツーリング動画だものね。そしたら加藤さんが悪戯っぽい顔をして、

「エレギオンHDの社長、副社長にお願いがあります」

 そういうことか。コトリ良いよね。

「ミサキちゃんに頼んでみるわ」

 でも加藤さんのお願いを叶えないと、

「そや、待ち時間がどうしようもあらへんようになる」

 ちゃっかりしてるよ。