ツーリング日和9(第6話)弁天さん

 コトリがナビとニラメッコ。

「ここは急がば回れやな」

 吉野から今日の宿へのナビ上の近道はあるみたいだけど、

「この辺の県道は険道やろ」

 だろうね。奈良盆地の中ならまだしも、吉野川から南側は近畿の屋根みたいな険しい山岳地帯だから、国道でも酷道になりやすいけど、県道なんかゴチゴチの険道になっても不思議じゃない。

 小型バイクだから道さえあれば走れるけど、いくらお互いタフだと言っても、今日は朝の三時出発だから、ここからの険道はさすがに避けたいもの。ちなみに近道すればどれぐらいショートカット出来るの?

「ナビ上で二十分ぐらいや」

 二十分と言ってもナビ上のことで険道の程度によっては帳消しどころか、余計に時間がかかることもあるし、疲労度は比較にならないものね。そういうことでまずは吉野山を下り吉野川を西に戻る。下市まで来た時に、

「次の信号左や」

 国道三〇九号で天川、黒滝方面に行くんだね。吉野川を渡って、この街並みは旧街道だろうな。そこを抜けると田舎道。それでも二車線あるから快適、快適。ツーリングはこうでなくっちゃ。

 それでもワインディングロードになってきた。山ん中だものね。これからかなり登るはずなんだ。道の駅があるけど通過か。一時間ぐらいだからコトリは一気に走り抜けるつもりなんだろう。下市から四十分ぐらい走った頃に、

「時間があるから寄り道や。次の信号を右行くで」

 まだ早いものね。寄り道歓迎だけど、どこ行くんだろ。

「あそこの赤い欄干の橋渡るで」

 左折か。橋の向こう側に見えてるのは鳥居かな、

「そうや天河大弁財天社や」

 なに! 弁天様だって。弁天様と言えば縁結びの神様。

「ちゃうやろ。財宝とか、芸術、芸能の神さんやろ。まあ七福神の紅一点やから恋愛も担当しとるやろうけど」

 ほらみろ。それも天河の弁天様は日本一。

「自称するのは勝手やけど、五大弁財天には入るわ」

 細い道に入ると弁天様だ。コトリによるとここの弁天様は、呼ばれないとたどり着けないとか。まあ、こんな山の中にあるから、昔なら相当気合を入れないと行けないところだものね。でもさすが弁天様だね。なんとなく神社全体が艶の感じがする。弁天様なら、

「ウン、ソラソバ、テイムイ、ソワカ」
「なんじゃそれ」

 弁財天呪じゃないの。

「ようそんなもの知っとるな」

 そこに書いてあるじゃない。七回唱えれば願いを聞いてくれるのよ。

「なんの願いや?」

 男に決まってるでしょ。ツーリングと言えば旅先での出会いだし、そこで花咲く清らかな恋でしょうが。

「清らかねぇ・・・・」

 他に何があるって言うのよ。やったって風呂に入れば清らかになるじゃない。

「それどっか間違ってるで」

 そういうコトリはどうなのよ。

「ここでの出会いはアカンで。弁天様が嫉妬して仲を引き裂くからな」

 そんな格調高い会話をコトリとやりながら参拝を終えて、今度こそ今夜の宿に。ここの弁財天社もまたまた役行者絡み。大峰山だからそうなるのは、そうなる。だけど空海も高野山を開く前にここで三年修業をしたの伝説が残ってる。

「あそこに縁起物で五十鈴も売ってたけど、あれは弁財天やのうてアメノウズメやろ」

 アマテラスが天岩戸に隠れた時にアメノウズメが岩戸の前で踊った話は有名だけど、凄まじい格好で踊ってるのよ。

「ああ、古事記には背を反って胸乳を丸出しにして、裳の紐を女陰まで押し下げてやもんな」

 裳ってなんになるかだけど、今でいえば巻スカートに近いかな。だからアメノウズメはアソコが見えるところまでこれをずり下ろして踊っていたことになるんだよ。

「セクシイダンスになるけど、ああいうのって素っ裸になるより、半裸状態の方がエロいんよな。アメノウズメはその効果を計算しとったんかもしれん」

 そんな格好で踊ったら男どもは熱狂するだろうけど、そんな格好で踊るものかな。

「特別の踊りと考えるのも一つやが・・・」

 そういう考え方も出て来るか。つまり男の神々の娯楽として存在していたってこと。宴会とかの出し物で、セクシイダンスが定番にあったぐらいだよ。さらにそういうダンスを踊った後は、

「そんなもん一つやろ」

 興奮した男神と乱交に雪崩れ込むだ。つまりアメノウズメは、

「西洋で言う神聖娼婦みたいなもん」

 さらに言えば古事記が成立した頃にも、そういう娯楽はポピュラーだったと見て良いと思う。ポピュラーだったからこそリアルなアマノウズメのダンス描写が出来たはずなんだ。想像だけだったら見事な踊りぐらいで済ませれば良いもの。

「つうか巫女の位置づけもそういうとこあるもんな」

 巫女は神社に仕えてると思われそうだけど、全部が全部そうじゃなかった。むしろ身近なのは歩き巫女だった気がする。歩き巫女は祈祷もするけど体も売ってたんだよね。女の地位の低さに憤慨していたら話が進まないけど、古代で女が出来る商売となると、

「世界最古の商売になってまうとこがあるものな」

 芸人もそうなのよね。歌舞伎の元祖の出雲のお国も兼業してたって話だよね。

「今でさえそんなところがあるけど、気に入ったってお屋敷に呼ばれたら、望まれることは一つやもんな」

 だから男はってのも話が長くなるから置いとくけど、

「まあ、それでも古代の方が性に関してはおおらかやったんは間違いない」

 良い意味でも悪い意味でも処女信仰が強くなって性常識は変わったものね。だってだよ、かつては夜這いが常識だったんだもの。年頃の娘の家に夜這いをかけ、身ごもったら女が夜這いをかけて来た男の中から、気に入った男を指名してたんだよ。

 処女どころか、誰が本当の父親かなんかわかったもんじゃない。でもそれが常識として根付いていたんだもの。そんな調子で夫婦になるもんだから、貞節とか操の概念が今と全く違うのはわかると思う。

「あの頃はあの頃でオモロかったけど、やっぱり今の方がエエな」

 そう思う。

「ほいでも極端なフェミは合わん」

 まあね。なんでも極端なのにロクなものはないけど、女を性欲の対象として見るのをあそこまで忌避されると引くよ。異性に恋するのと性欲の対象と考えるのは紙一重どころか、混然一体となってるものだもの。

「男が恋愛より性欲の比重が高くて、女が逆のケースが多いのは否定せんけど、そこのバランスが恋やし、永遠のロマンの部分やと思うてる。女かって一夜のアバンチュールを楽しみたい時があるやんか」

 百組のカップルがあれば、百の恋物語がある。肉欲に走るのもあれば、純愛に傾くのもあるってこと。

「エッチかってそうや。好き嫌いの差はピンキリや」

 でもさぁ、やっぱりロマンチックなのがイイよ。だんだん高まって行って、ついに結ばれるのが夢じゃない。

「まだ足らん。結ばれたらムチャクチャ良かったが欲しいで」

 ムチャクチャは贅沢でも、結ばれて良かったと思いたいもの。

「まあ、アレでどれだけ良くなるかは体の相性の問題も絡むから複雑なんやが」

 こればっかりは難しいよ。男女の究極はアレだけど、入れたら万事解決じゃないのよね。でもこの点についてだけはわたしもコトリもベテランなんてものじゃない。どんな男だって満足できるだけのテクニックはある。

「そやけど最初の問題に戻るんよな」

 そうなのよ。とにもかくにも相手がいるのよ。だからどうしたって、

「男が欲しい」

 こんなにイイ女がいるのに、どうして出会いがないのよ!