ツーリング日和8(第36話)熊本へ

「コトリどう?」

 そやな。ナビやったら百三十キロで三時間四十分となっとる。途中でフェリーも挟むからな。時間的には余裕やが結衣への負担が心配や。

「いえ、そのルートの方が意表を突けます」

 結衣に言わせれば、昨日に熊本に姿を現さんかった時点で雲仙経由を考えるはずだとしとる。十三時にはクラウンプラザに行かなあかんから、熊本市内かその周辺に泊まってると見るやろ。そやから雲仙も有力候補の一つになるし、雲仙からやったら島原でオーシャンアローを使うのは誰でも考えつくわな。

「フェリーターミナルで騒ぎを起こされ、足止めを喰らわされるリスクは避けたいところです」

 そやから裏をかいて口之津から鬼池に行くのか。でもやな、コトリらがおるから妨害なんかさせへんで、

「旅の仲間を出来るだけトラブルに巻き込みたくありません」

 よう言うた。

「コトリが走りたいだけでしょ」

 ユッキーもやろうが。そやけど出発時刻は繰り上げる。あいつらかって始発に罠を仕掛けへんやろ。つうかやっぱりターゲットが多すぎる。そりゃ、前泊しとるとこは熊本市内から阿蘇ぐらいまで候補に上がるやろうから、その全部に手を回せんわ。

「だからオーシャンアローは危ないのです。一点に絞ればそこですから」

 さすがやな。宿から口之津まで三十分ほどやから六時半に宿を出た。七時には口之津に着いてくれたから、七時半の始発に乗れたで。八時には鬼池で下りて一時間ぐらいで、

「パールラインだ♪」

 天草を付けんとパールラインは他にもあるで。ほいでもさすが西の松島と言われるだけのことはある。

「コトリ、熊本は」
「いつもの日航や」

 十一時には熊本に着くがクラウンプラザに直接乗り込むのはやめとく。法月王座がどんな罠を仕組んどるかわからんからな。そやから日航ホテルで準備して乗り込ませてもらう。

「服もいるよね」

 さすがにラインディング・スーツやったらようあらへん。とくに今日は月夜野うさぎとして行かなあかんし。結衣の衣装は振袖に袴の謝恩会スタイルやな。そやけど女流が袴で対局するのはタイトル戦やと聞いたこともあるけど、

「女流のルールは竜王には関係ありません。それにこの一局は別物です」

 気合は入っとるな。手配は済んどるからホテルに入ったら身づくろいや。髪のセットもあるからダッシュでやってもらう。結衣は将棋日本シリーズの事務局に電話しとるが、

「十三時の開催には少し遅れますが、それまで法月王座に座を持たせるように連絡お願いします」

 いや、間に合うけど、

「遅れた方が勝つのが決闘ですよ」

 お前は巌流島の武蔵かよ。十三時にホテルの車寄せから、

「派手に行くわよ」

 リムジンで乗り込むで。十分ほどでクラウンプラザに到着。可哀想に顔を真っ青にした事務員がお出迎えや。ずっと結衣は行方不明状態やったもんな。会場に案内されて入ると、

「おおぉ」

 観客もやきもきしとってんやろ。なるほどこの状態で会場に入れば法月王座もなんも出来へんわ。そやけど法月王座は結衣が遅れたさかい怒っとるな。

「どうやって詫びるつもりだ」

 まあこうなるやろうけど、

「遅れたことをお詫びします」
「言葉だけで済むか!」

 これも盤外戦の一環やろか。そうやなくとも年長者を待たせたんやから、これぐらいは言うのはあるやろ。結衣がどう出るかやが、

「わかりました。ではお詫びに法月先生がお好きな裸踊りをお見せします」

 そういうや否や結衣はするすると袴を脱ぎ捨て、帯に手をかけたんや。

「誰も裸踊りが好きだとは言っておらん。もう良い」

 あれは法月王座が制止せんかったら素っ裸になって裸踊りをやっとるわ。結衣はそこまでの覚悟でブラフかけとる。もちろん法月王座が止めに入るのは計算してのブラフやろうけど、止めんかったら法月王座が結衣に裸踊りをさせたの大恥をかかせてやろうがビンビン伝わったわ。

 結衣のこの勝負にかける気迫は尋常やない。遅参の詫びかって、穏当にやる方法はいくらでもあるはずやのに、もっとも過激な方法を選びよった。あれは詫びたんやない、逆に一発殴り飛ばしたんや。


 さてこれが公開対局場か。ステージの右側が大盤解説で、左側には屏風の前に畳を敷いて将棋盤と座布団が敷いてあるわ。そやけど、これやったら大盤解説が丸聞こえやな。これが公開対局の醍醐味やろか。

 対局時刻も迫っとるから着席やけど、ここでも法月王座はやらかしよった。あっちは上座になるはず。古典的な手やけどかましに来たんやろ。ここも結衣がどう切り返すかや。大人しく下座に回るのもありやし、無礼を咎めて控室に引き返すなんて事もあったそうやけど、

「あら法月先生、おボケになられたとはお気の毒に。右と左の区別も付かなくなるとは深刻です。こんな対局をしている場合じゃございません。ただちに病院を受診してくださいませ」

 ウケた。そやけど法月王座は古典的な返しをしよった。

「名人でもあったし、竜王でもあった。新入りの小娘相手に下座に回る理由はない」
「あれまあ、ボケが深刻なこと。今はタダの王座です。竜王に下座を強いる無礼さえ認識できないとは、なんと御いたわしいこと」

 さらに結衣は、

「裸踊りをお見せ出来なかったのは心残りでございますが、定刻も迫っておりますからファンサービスもこれぐらいになさいませ。御来場の皆様も対局を心待ちにしておられます」

 これもキッツイな。法月王座も下座に回りよったわ。これ以上やっても醜態や。ここからやけど普通の対局準備になったな。ここも多分やが、ホンマやったら対局場に入る前に対戦棋士の紹介があったり、意気込みとかを聞いたんやろうが、結衣が遅れてドタバタになってもたからカットになった気がするわ。

 それにこれもたぶんで申し訳あらへんが、今から振り駒しよるけど、これも棋士が着座する前にやるはずやねん。そこから結衣が箱から駒を取り出して盤上に広げ、双方ともまずは駒並べや。並べ終わったところで記録係が、

「将棋日本シリーズ公式戦、準決勝第二局、茅ヶ崎竜王と法月王座の対局です。それでは藤井女流二段お願いします」
「振り駒の結果、法月王座の先手となりました。持ち時間はそれぞれ十分、それを使い切りますと、一手三十秒未満で指して頂きます。ただしそれぞれ一分単位で五回の考慮時間があります。それではお願いします」

 へぇ、本式の対局ってこうやってやるんか。コトリも初めて見たわ。これかっていつもとちゃうとこがあるかもしれんが、対局前のドタバタがウソのような緊張感が張り詰めて来とる。さすがプロの公式戦や。