ツーリング日和8(第37話)報復

 先手は法月王座やが初手をどうするかやな。初手いうても飛車先突くか、角道空けるかの二択みたいなとこもあるけど、奇策として端歩を突くやつもたまにおる。いきなり飛車振ったやつもおったな。

 いわゆる序盤の駆け引きってやつやが、戦型の決定権は基本的には先手にある。後手は先手の動きに対応して行くぐらいや。昔の将棋はまずガッチリ囲って、それからおもむろに戦端を開くのが多かったが、今の将棋は常に急戦展開を意識しとるのが多い。

 そりゃ、居玉のままで攻め潰して勝ってまう将棋も珍しいとは言えん。あれは囲うための手数を攻めに使うて優位に立とうの戦術ぐらいやと思うけど、プロ同士でそれが成立すのにビックリさせられるわ。

 法月王座が選んだのは2六歩か。まず飛車先を突いて来たな。これに対する結衣の応手だけでも戦型は変わってくる。角道を空けるか、8四歩と飛車先を突き返すだけで展開は違ってくる。

「法月先生。竜王と王座の差なら、昔なら香落ちでしょうか」
「なにを言い出す」

 駒落ちの手合い割りやが、昔は段位に差があるだけで平手で指せへんかってん。タイトル戦でも指しこみ言うて、連敗で追いつめられたら、相手に駒を落とされたりしてたんや。

「名人に香を引くってやつね」

 引かれた方はものすごい屈辱やったそうや。駒落ちの考えた方も歴史的な変遷はあるが、現在の将棋連盟の推奨なら下手が先手で一段差、香落ちで二段差とはしとる。もちろんやけどプロ同士の対局やったら、名人と新四段が指しても平手や。

「駒落ち戦は出来ませんが、幸いな事に法月先生が先手ですからこれで一段です」
「なにを抜かす。先手後手は振り駒だけの話だ」

 あくまでも平手のはずで、プロ同士の対局で先手後手はハンデとは見ん。

「そんな古臭い認識で先手後手を考えておられるとはさすが王座です、これでは先手一段のハンデだけでは足りそうもありません。ですので時間のハンデを差し上げましょう。それで竜王と王座の将棋になれるかもしれません」
「なんだと!」

 えっ、結衣は持ち時間も考慮時間もなくなるまで指さへん気か。いくら早指し戦でも無茶過ぎるで。法月もなんやかんやと言うても現役の王座や。舐めてかかったら火傷するで。そやけど持ち時間と考慮時間が過ぎ去る間も結衣はペラペラと。

「竜王にとって時間などハンデにもなりませんから、勝ち方の指定もしておきましょう。五十手で王座は投了となります」
「ふざけるな。わずか五十手で必ず勝つというのか」
「必ずそうなります。それが竜王と王座の差です」

 法月王座は怒ってるな。そりゃ怒るやろう。トップ棋士相手に持ち時間も考慮時間もなく、一手三十秒で、しかもたったの五十手指定で勝つ言うんやからな。

「あらまだ御不満があるようですね。それでは五十手以外、少なくとも多くとも王座の勝ちにします」
「そんなことが出来るものか」

 そりゃ公式戦やもんな。そんな勝手なルールを急に作られても立会人が困るやろ。それでも結衣は気にする風もなく、

「それでは遊んでいるようなものですから、もう一つ条件を加えましょう。王座の玉は5五で詰みます」
「そこまで愚弄するか」
「5五以外で詰んでも王座の勝ちです」
 
 都詰で仕留めるって言うのかよ。法月王座の顔が赤くなって来とるわ。そりゃ、ここまで小馬鹿にされて怒らん方が不思議や。

「それでも公式戦のルールはルールですから、法月先生とのルールにしましょう。先ほどのルールで負ければ、先生が大好きな裸踊りをさせて頂きます。この会場でするのに問題があると仰られるのなら、ホテルの先生の部屋で披露させて頂きますよ」

 そこまで言うか。

「そんなコケ脅しは通用せんぞ」
「コケ脅し、冗談がお好きなこと。これは対局ではありません。竜王が王座を躾けるものでございます」
「躾だと!」

 結衣は盤外戦でも強いわ。法月王座を翻弄しとる。そこからもトゲトゲしいやり取りの応酬が続き、やがて、

「茅ヶ崎竜王、最後の考慮時間がなくなりました。ここからは一手三十秒でお願いします」

 戦型はお互いの飛車先の歩を突き合った後に法月王座が角道を空ければ角換わりやが、7八金、3二金と上がって相掛かりやな。ここもすぐに飛車先の歩を交換せずに3八銀、7八銀に展開するのが多いんよな。理由は歩交換の後に飛車の位置を相手に読みにくくさせるそうや。

 その次は9四歩ぐらいが多いんやが、その先になるとバリエーションが多いわ。後手も端歩を突き返すのもあるし、角道空けたり、先手なら3六や4六の歩を突いたり、後手かって7四の歩を突いて銀や桂馬の活用を考えるぐらいはようある。

 それにしても結衣は五秒もかからんな。まさしくビュンビュン指しとるわ。ちょっとでも法月王座が考えると、

「もうちょっと頑張ってくれませんと、五十手もかからなくなって、こちらが負けてしまいますわ。そんなに裸踊りを御所望ですか」

 あれだけ盤外戦でやられたら、かなわんやろな。ユッキーは、

「それもあるけど、法月王座はやったことはあるけど、やられた経験は少ないんじゃないかな」

 かもしれん。いつも一方的に口撃しとるだけかもな。さて局面は序盤から中盤に入るぐらいやろかな。

「ここで手番の茅ヶ崎竜王に封じ手をお願いします」

 早指しで封じ手やと。なるほど次の一手クイズか。これも演出でファンサービスの一環ってことか。結衣は用紙を受け取ると考える様子もなく書いとるわ。そやけど難しいとこやな。いわゆる手が広いって言われるとこやもんな。そやから封じ手クイズにしたんやろ。

 このクイズの間は休憩時間か。ここまで快調に指し進んではいる。法月王座も研究範囲内ってことやろ。大盤解説でもあれこれ候補手を並べとるわ。ここでは攻める手も守る手もあるもんな。会場の回答用紙も回収されて勝負再開や。さて注目の封じ手やけど、

「茅ヶ崎竜王の封じ手は2四飛車です」

 えっ、ここでまさかの飛車切り。会場がどよめいとるわ。こんなもん誰も当たらんで。そやけどどういう狙いなんや。まさかの失着とか。あの結衣に限ってそんなことは無いはずやが・・・ここは同銀しかあらへんと思うが、法月王座も考え込んでしもうた。大盤解説も困っとるもんな。

「法月王座、十分の持ち時間が終了しました。ここからは一手三十秒でお願いします」

 早指しやから長考が出来へんのが辛いとこやが、考慮時間まで使ってやっと指したんがやっぱり同銀か。他にあらへんもんな。そしたら結衣は、

「あらあら、あれだけ時間を使って、こんな手とは。これじゃ、三段リーグさえ陥落しますわよ」

 コトリもマジックを見とるみたいやった。失着としか見えんかった飛車切りから、たった数手で法月王座の前線が一遍に怪しなってもたやないか。あの同銀が失着とでも言うんか。そこからさらに数手で法月王座の玉が見るからに薄なってしもてる。苦しくなった法月王座は残りの考慮時間を投入したんやが、

「あらそんな手しか思いつかれないのですか、しょせんは王座ですわね」

 あれは攻め合いに活路を見出そうとした手と言えんこともないし、大盤解説も法月王座の勝負手ぐらいと言っとるが、コトリが見ても無理がある。法月王座も焦ったな。ああ言わんこっちゃない、法月王座の飛車も角も、ああされてもたら働かへんやんか。

「そうそう衣川未知は覚えていますか?」

 それをここで持ち出すんか。

「なんの話だ」
「あれから調べさせて頂きましよ。ちゃんと見つけ出してゲロしてもらいました」

 そうか、そうやったんか。

「ご安心ください、もう刑事も民事も時効です」
「なにを言っておるのかわからんが・・・お前は誰なんだ」

 法月王座の顔が真っ青や。

「見ての通りの竜王です。そして竜王とて人の子、衣川未知も娘ぐらい産みます」

 言うとる間に法月王座の玉が5五に追い詰められて行くんやが、

「法月先生は衣川未知の裸踊りをお楽しみになられ、丁寧な躾をされております。まだ手元にお持ちなだけでなく、今でも時々見ておられるとか」

 もう投了にしてもしても良さそうやが、

「こうやって法月先生を躾ける日が来るのを楽しみにしていました」
「うるさい、そんなビデオなど知らん」
「あら無いとは残念な。竜王の父親の若き顔を知る手掛かりでしたのに。それもですよ、竜王を孕ます時の姿でしたのに。まあ、お相手が誰かはわかりましたけどね」

 えっ、まさか、それって、

「ひょっとすると法月先生の娘かもしれませんよ」
「知らん、知らん」
「あらそうですか。いくら否定してもDNA鑑定もございます。父親でない方の躾けは先にさせて頂きました。躾け終わった様子を見て頂けないのは残念です」

 法月王座の顔は土気色やんか。

「法月先生への躾けはこれから念入りにさせて頂きます。母も大変お世話になりましたから」

 そして結衣は冷ややかに、

「これで詰みです」

 法月王座はハッと気づいたように。

「負けました」

 ありゃ、詰みや。プロの将棋で詰みまで指すのは珍しいな。

「以上五十手をもちまして茅ヶ崎竜王の勝ちになりました」

 この後は感想戦のはずやけど、法月王座は逃げるように退席してもた。慌てて事務局員が追いかけて行きよった。ここからは感想戦を大盤でやるはずやけど、あそこまでやられたら出来へんってことやろ。

 そやから結衣の独演会みたいな大盤解説になってもたけど、結衣のトークはウケてるわ。上手いもんや。そこから出場棋士が観客に握手しながら見送るのが慣例やそうやけど、法月王座の姿はやっぱりあらへんかった。

「潜って来た修羅場の差が出たね」