ツーリング日和14(第10話)勝負の付け方

 亜美さんの心配もよくわかる。茅ヶ崎竜王は強い強いって評判は知ってるけど、プロ同士の将棋だから絶対はないはず。それにしても茅ヶ崎竜王の指し手は早いな。相手が指した瞬間にもう指してる感じじゃない。

 あれって研究ってやつかな。戦術を予め決めておいて消費時間を節約するってやつ。にしても早いよ。あれって考えて指してるんだろうか。茶谷六段の指し手が止まったぞ。難しい局面になったのだろうか。

 うんうんって感じで考えた末に茶谷六段は指したけど、その瞬間には茅ヶ崎竜王はもう指してるじゃない。どうなってるんだあれ。茶谷六段はその手を見て顔色がまた悪くなってるように見える。気のせいかな。

 ユリが見てもどっちが優勢なのかわからないけど、茶谷六段の顔色と、消費時間の多さから考えると茅ヶ崎竜王が優勢だと思うのだけどね。その後も何度か考慮時間を大きく使った茶谷六段は、

「茶谷先生。持ち時間を使い切りましたから、後は一分以内でお願いします」

 茶谷六段は一分ギリギリまで使って辛うじて指してる感じだけど、茅ヶ崎竜王の指し手のペースはまったく変わらない。茶谷六段が指した駒から指が離れた瞬間に自分の駒に指が向かってるもの。対局が始まって一時間ちょっとぐらいで、

「負けました」

 茶谷六段が頭を下げてるけど茅ヶ崎竜王は、

「悪いですが明日は有馬温泉で王将戦がありますから、感想戦は失礼させて頂きます」

 メットを抱えて対局場を後にした。これって、明日はタイトル戦の対局が有馬温泉であると言うのに、わざわざ敦賀までバイクで来て指してるんだよ。明日の王将戦があるからサッサとケリを付けたかったのだろうけど、あれで勝ってしまうってなんて強いんだよ。

 茶谷六段を相手にほぼノータイムだよ。まるで練習将棋を指してるみたいな感じで軽く一蹴だもの。茅ヶ崎竜王にとって六段程度の対局なんて座興に過ぎないのだろうか。宮司は、

「この勝負、こなたの勝ちで御座る。これは神前での決着、双方とも遺恨なきように」

 これに続いてコトリさんが、

「月夜野と如月が立会人として見届けた勝負や。この結果に因縁を付けるのは、月夜野と如月に喧嘩を売っていると見なすで。双方とも忘れんといてや」

 うわぁ、迫力ある。あれは本業の月夜野社長の顔だ。晋三郎とママンは怒ってるみたいにも見えるけど、不承不承みたいな感じで退散しやがった。こっちはこっちで亜美さんが泣いてるよ、道夫さんもだ。あらためて挨拶して、

「あの時の娘さんが・・・こんなに立派に。今回のことで本当にお世話になりました」

 何度もお礼を言われたけど、お母ちゃんが受けた恩を考えたら、これぐらいは当たり前だよ。道夫さんがいなければ中絶されて、ユリはこの世にいなかったのだもの。コトリさんたちもやってきてお昼にしようって話になったんだ。

「そんなので良いのですか」
「なにがそんなんやねん」
「敦賀市民熱愛グルメを食べなくっちゃ」

 レストランと言うより洋食屋さんの趣もあるけど、

「ユリ、ここでこれ食わんかったらモグリやで」

 出て来たのはカツ丼のようだけど、なんじゃ、蓋からはみ出してる巨大カツは。それにカツ丼なのに卵でとじてないじゃない。

「福井もソースカツ丼なんや」
「おもしろいでしょ。福井県民熱愛グルメよ」

 前もそう感じたけど、ユリも手に負えないような大きな問題を抱えて二人に出会ってるのよ。なのに会うだけで問題が次々に解決してしまうのよ。今日だってそう。茅ヶ崎竜王がよもや負けるとは思ってなかったけど、この勝負って茅ヶ崎竜王が勝てば終わりじゃないんだよね。

 負けたら論外で、この場から亜美さんは晋三郎を連行しかねない。いやそうしたと思う。もちろん指を咥えているつもりはないけど、亜美さんが行かなければ道夫さんの会社が倒産の道へと突き進んでしまう。

 じゃあ勝てばすべてが終わるかと言われればそうはならいのよね。ここは福井で、争いごとは北井一族の内輪もめみたいなものだから。本家である晋三郎やママンが大人しく引き下がるかと言えば、そうはならないのがこの世の中だ。

「まあそういうこっちゃ。世の中で強いのは声が大きいやつ、力を持ってるやっちゃ。力はな、ルールなんかに縛られへんねんよ。ルールで縛ろうとするのは弱い方や。弱い方が理屈でゴチャゴチャ言うても強い方は押し潰して終わってまう」

 だから真の問題はどうやってこの約束を守らせるかになってくる。世の中は常に正義が正しくて勝つと決まっている訳じゃなくて、正義を守らせる強制力が必要ってこと。国際問題だって小国同士なら国連も機能するけど、大国が動くと国連だってお手上げになるのと同じだ。

 身も蓋もないけど現実世界はそういうところがある。日本国内ならもめれば警察だとか、裁判所があって、逆らえば刑務所なりに放り込める強制力があるけど、今回の場合は警察だって動きにくいだろうし、裁判にするのも厄介だ。だから、これだけ将棋勝負で完勝しても、

『あんな勝負は認めない』

 これを晋三郎とママンが喚き散らされたら、無効にされてしまう心配もあったもの。

「そやからコトリらが来て立会人をやったんよ。今回はユリでは弱いからな」

 だから本当に助かったし感謝してる。この二人がエレギオンHDの社長と副社長として立会人として見届けたし、あそこまで言ってくれたから、この約束を反故にでもしようものなら、北井グループはエレギオン・グループを敵に回すことになっちゃうもの。

 それがどんなに深刻な事態を招くかは実業界に身を置いている者なら知らいない人はいないはず。あの伝説であり恐怖の、

『女神は逆らう者を決して許さない。逆らった者の末路は悲惨』

 これを実体験させられるって宣告されたのと同じだ。