ツーリング日和8(第27話)現代将棋

 関門国道トンネル抜けたら門司やねんけど結衣は、

「博多で屋台♪」

 行かへん。博多なんか毎年のように行っとるからな。それだけやない、博多なんか行こうと思たら延々と都会の市街地走行せんとせんとあかんやんか。結衣は高速走れるからエエかもしれんが、こっちは原付やからな。そやからまず門司から田川に向かう。そこから飯塚抜けて鳥栖や。

「佐賀ですか?」

 佐賀まで行かん吉野ヶ里や。ここは歴女のコトリには外せんとこや。ほいでも田川や飯塚いうても田舎なりに街やな。そりゃ、北九州市や福岡走るのに比べたらマシかもしれんけど、このあたりを抜けようと思うたら市街地走行は避けられへんもんな。

 そやから北九州は走りとうなかったんや。九州までツーリングで遠征してきて、何が悲しうて信号とお付き合いせんといかんのや。

「ボヤかない、ボヤかない。この苦難を乗り越えないと地の果てにはたどり着けないよ」

 そのために走って来たようなもんやからな。エエ加減うんざりしたとこで、

「ホームセンターに寄ってくれる」

 かまへんけど、何買うねん。

「色紙とサインペンに決まってるでしょ」

 そういうことか。文房具屋でもエエけど、バイクを停めにくいもんな。コトリらのはどうとでも停められるけど、結衣のKATANAはそうはいかん。色紙を買い込んだらやっとこさ吉野ヶ里町や。ここもそこそこの街やな。

「吉野ヶ里歴史公園は右折ってなってるよ」

 今日は行かん。宿はもうちょい先の国道三十四号沿いにあるはずや。えっと、えっと、なんも案内の看板があらへんな。

「橋だ!」

 行き過ぎや。

「ちょっとストップ」

 ナビ確認してUターン。この辺の路地みたいなとこに入るみたいや。あった、あった、

「玄関のところに止められるから便利ね」
「屋根付きみたいなもんやろ」

 結衣がちょっと意表を突かれたみたいで、

「ここなのですか?」

 そうや。吉野ヶ里歴史公園からも近いし、値段も格安やねん。なにせで五千五百円で風呂もメシも出る。それとやけど玄関はチープに見えるけど、裏が新館やから部屋も綺麗と思うで。ついでに言うたら蒲団も期待できる。

「蒲団ですか?」

 そうや。ここは蒲団屋もやってるねん。気持ちのエエ蒲団で寝られるのは大事なこっちゃ。風呂入って食堂でメシ食って、部屋でビール飲んどってんけど、

「結衣、頼むわ」
「あまり書かないのですが・・・」

 プロの将棋指しは字も綺麗やなかったらあかんのよな。たとえば段を取得した時の免状や。アマの段位やけど、会長と、名人と、竜王の署名が入るんよ。

「結構書かされました」

 一枚、一枚手書きやからな。

「あれって結構なお値段なのよね」

 六段ともなると二十七万五千円やからな。

「初段でも三万三千円よ」

 でもゼニ出したら取れるもんやないから、それぐらいの値打ちはあるかもしれん。コトリも初段でエエから欲しいもんや。

「コトリ、一局指してもらったら」

 あほ言え、相手は現役竜王やぞ。

「コトリだって小林東伯斎に教えてもらったのでしょ」

 そんなもん誰も知らんわい。ほいでも竜王と指したのは記念になるかもしれん。結衣も座興に付き合ってくれて平手で指したんやが、これが現代将棋ってやつか。変わった手を指すもんや。あっと言う間に捻られてもた。

「なにかクラシックな将棋ですね」

 うるさいわい。コトリが教えてもうた小林東伯斎は天野宗歩の弟子やからしょうがあらへんやろ。そんな事はともかく、現代将棋は将棋史上最強の時代でエエと思う。将棋が大きく変わったのは二十一世紀の初めころや。当時のトッププロがAIに完敗してもたんや。

「そりゃ強いよ。過去のありとあらゆる棋譜を完璧に覚え込んでデーターベース化してるのだもの」

 AIはそこも強みやねんけど、本当の強みはそこやないのに棋士たちは気づいたでエエと思う。将棋はどこを指しても良いんやけど、やっぱり定跡とか、常識はあるねん。人やったら、そこにどうしてもとらわれてまうねんけどAIにとっては無関係や。

「当時はAIにしか指せない手ってよく言われたものね」

 そこがポイントやったんよ。AIは決して創造はせえへんねん。創造しとるように見えても、過去なり、ある計算結果で導き出された手になるねん。このAIの思考過程を習得できたらAIと肩を並べ抜き去ることは可能と考えたんよ。

「当時のトッププロがAIの思考に勝てないのなら、AIの思考を手に入れたら天下を取れるはずのモチベーションになった」

 その時から将棋研究のやり方が変わったんや。AIならこの局面でどういう手を指し、それをどういう思考過程で導き出したかを身に着けようと誰もが懸命になった。これはその身の着け方が強いほど勝敗に直結する時代になっていったんや。

「やがてトップ棋士はごく普通にAIの手を指せるようになって行ったものね」

 従来の人間の思考の枠を越えられへん棋士は一線から駆逐されてもたわ。

「棋士はさらに先に進んだものね」

 AIの手が当たり前になると、今度はAIの手を指される前提で次の手を考えるようになる。あの頃はAI越えとか言うとったけど、どれだけAI越えの手を出せるかが勝負の分かれ目になって行ったぐらいや。

「結衣はどうだった」

 そんなもんわかるかい。実力に差があり過ぎるわ。そやけど結衣はAI越えが当たり前の現代将棋を蹴散らしてるねん。それもやで、熊本で対局があるのに、コトリたちのツーリングにのんびり付き合ってるやんか。

 棋士はな、対局前に入念に研究をするんよ。相手の好む指し方、得意な戦法、苦手な戦法とかや。先手やったっらどうやって自分のペースに巻き込むかやし、後手やったら相手のペースをどうやって乱すとかの研究を必死になってやるもんや。

「持ち時間対策でもあるね」

 棋士のAI研究がいくら進んでも、情報処理能力はやはり勝てん。同じ答えを導くのにどうしたって時間がかかる。だから可能な限り相手が指す手を予測して、その対策を予め立てて対局に挑むんや。

 それでも中盤や終盤に入ると未知の局面が現れて来るから、そこでは新たに考えなしょうがあらへん。相手が想定外の手を指して来てもそうや。そこで使える時間を上手く配分するのも将棋やねん。そしたら結衣が、

「その考えさえ古いものです。将棋は既に完結したゲームになっています。終盤ではなく中盤、いや最初の一手で既に勝負はついています」

 最初の一手は言い過ぎやろ。

「将棋は最初の一手から終局までのストーリーが既に出来ています。わかりやすく言えば先手が必ず勝つゲームです」

 将棋でも先手は有利やが、囲碁ほどの差はなかったはずや。そやから囲碁みたいに先手後手でコミのハンデはあらへん。

「後手が勝つには、先手のミスを待つしかありません。将棋の完成形は、先手有利を絶対にしたものです」

 結衣、それってまさか。

「だからプロになりました。真剣師をやるより余程儲かりますからね」

 それは将棋の終わりを意味することになるで、

「結衣の中では終わっています。ですが将棋が本当に終わっているかどうかはわかりません。結衣を越える者が現れれば、また将棋は変わります。かつてAIが将棋を変えたように」

 結衣はニコッと笑って、

「当分は超えられないと思いますから、しっかり稼がせてもらいます。わたしは求道者ではないですからね」

 結衣の勝負根性を越えられる奴もそうはおらんかもしれん。