ツーリング日和8(第30話)嫉妬と反感

 メシ食いながらユッキーと相談や。

「明日やけど」
「乗りかかった船じゃない」

 結衣の日本シリーズ準決勝は熊本のクラウンプラザや。

「明日は前泊か」
「ええ、その・・・」

 千葉から日帰りはキツイもんな。それやったら、島原十五時四十五分発やから、十五時は着いとらなあかんやろ。ナビ上で三時間半やから昼飯入れて五時間はみたいよな。

「八時に出たら楽勝じゃない」

 まあそうなるけど、これやったら雲仙飛ぶで。

「結衣が可哀そうじゃない。雲仙なら修学旅行でも来たことあるし」

 いつの時代の修学旅行やねん。ほいでも熊本は付いて行ってやった方がエエ気はする。ここで結衣が、

「熊本フェリー第二便の九時二十分にしてもらえませんか」

 結衣が出場するのは将棋日本シリーズや。この棋戦の特徴は早指しなんもあるけど予選があらへんねん。参加出来るのは八大棋戦のタイトルホルダーと、賞金獲得ランク上位者の合わせて十二人やねん。

「シードをもらえましたから」

 タイトルホルダーやけど、神野名人棋聖、さらに蜷川棋王叡王、末松王将、法月王座、橋本王位に結衣や。シードは序列で神野、結衣、蜷川、法月となるそうや。トーナメント戦やけど、一回戦はノンシードの八人が戦って、勝った四人がシードの四人と二回戦になるねん。結衣は二回戦から出場や。二回戦を勝てば準決勝、決勝になる。

「三回勝てば五百万です」

 熊本は準決勝や。将棋日本シリーズは他にも特徴があって、すべての対局は公開で一局ずつ地方都市で行われるねん。決勝だけは東京やけどな。この辺は出場する棋士がすべて有名スター棋士やから、一局でも十分に観客を呼べるってことやろ。

 そういう対局システムやから、参加棋士はアゴアシ付きで呼ばれとるはずや。今回は熊本やけど、千葉に住んどる結衣に来いというにはキツイもんな。

「多くの対局は中部も含めた将棋会館で行われますから、アゴアシ付きで呼ばれる地方都市開催は棋士の憧れになっています」

 将棋会館での対局は自分で行かなあかんし、前泊とかしても自分持ちやし、ついでやけどメシ代も自前やそうや。まあ給料もろとるし、将棋会館は勤務先みたいなもんやろうな。とは言え対局のために東京と名古屋と大阪に渡り歩くんは地味に出費がいりそうや。

 これが地方開催やったら全部主催者持ちで、豪華なメシも出てくるらしいな。今回やったら飛行機で熊本まで来て前泊ぐらいのはずやねん。そうやそうや前夜祭はあらへんのかいな。

「決勝だけは前夜祭と前日検分がありますが、それ以外は前夜祭はなく当日検分になります。その代わりではありませんが、当日の十三時開催で打ち上げはあります」

 検分は対局場の将棋盤とか、駒、さらに会場の照明やとか、飾り付けやとか、とにかく会場設定のすべてを実際に対局する棋士がチェックすることや。持ち時間の長い八大タイトル戦やったら十時間も二十時間も盤面見んとあかんからやとなっとる。

 将棋日本シリーズは早指し戦やし公開対局やから検分は形だけらしいけど、タイトル戦やったら、庭の川の水音まで注文が入ったこともあるらしい。この早指しルールやけど、持ち時間が十分で切れたら五分の考慮時間となっとるけど、持ち時間と考慮時間って違いがあるんか。

「あれはテレビ対局とか、公開対局でよく使われるのですが・・・」

 まず将棋日本シリーズはチェスクロック方式やそうで、これは秒単位で持ち時間が減っていく。ほいでもって持ち時間の十分を使い切ると一手三十秒になるのはわかりやすい。

「一手三十秒になると、三十秒以内に指せば永久に指せます」

 通常やったら一分将棋やろうけど、早指しやから三十秒なんか。でもそれやったら、最初から持ち時間十五分でもエエやんか。

「時間の減り方の問題です。持ち時間は何秒で指しても減ります。ですが考慮時間は一手三十秒になってから、使いたい時に使えるのが特徴です」

 なるほど。最初の持ち時間が無くなり、三十秒将棋になっても考慮時間は減らへんってことやな。三十秒将棋合戦になって、ここぞいうところで考慮時間を切り札のように投入する訳か。演出としてテレビ将棋や公開対局におもしろそうや。

 とはいえ考慮時間を合わせても時間は十五分やから、二時間もあれば余裕で終わるんちゃうかな。そやから対局終了は夕食前になって、関係者も招いて打ち上げのスケジュールか。

「ファンサービスの一環でもあります」

 だからこその地方対局やろ。そのまま泊まって翌朝に帰るんやろうけど結衣は、

「出る杭はどうしても・・・」

 そりゃそうやろ。とくに結衣の場合はこれでもかってぐらいやらかしとるから、恨まれたり妬まれん方が不思議や。ほいでも将棋界も実力主義や。強いもんがタイトルも取り賞金も稼ぐ。プロの世界ならどこかて当然やけど、それで全員が納得する世界には必ずしもならん。

「新たな強豪の出現は自分の地位と収入を脅かすものね」

 そうなってしまうのもまた当然やけど恨み妬みを募らせるのが必ず出てくる。

「女なのもある」

 男世界やったからな。将棋で女性棋士がここまで誕生せんかったんは不思議やが、ボードゲームやから性による能力の差なんかあらへんはずやねん。そやけど結果的に男だけの世界になってもてるから、

『あんな小娘に負けるなんて』

 こう思う奴はゴッソリおるはずや。

「期待された活躍とは違ったものね」

 将棋界が女性プロ棋士の誕生を渇望しとったのはホンマや。将棋界全体としては、女性プロ棋士の活躍で将棋が注目を浴びスポンサーが増えることが何より重要やからや。そやけど女性プロ棋士に求めとったのは、

「そこそこで負けるだよ」

 少しは勝ってくれんと注目を浴びへんからな。そやな、タイトル戦の挑戦者決定トーナメントなり、リーグに入り、時に挑戦してくれるぐらいが目いっぱいぐらいや。

「なんとか一期か二期を取るぐらいで打ち止めかな」

 それぐらいやったら、宣伝塔としてのメリットが大きいから歓迎されるぐらいや。そやけど結衣はそんなレベルやない。

「一番良く知っているのは棋士だよ」

 結衣の将棋は異質やそうやねん。対戦したある棋士は、何をどう指しても気が付けば挽回不可能なほどの劣勢に追い込まれてるとしとった。まるでAIが台頭してきた時みたいな感想やねんよ。

 悪手や緩手で負けるんやのうて、悪くても次善手ぐらいのはずやのに、結衣が一手指す毎に追いつめられてしまうぐらいや。途中から挽回なんて到底無理で、プロがよくやる形作りさえ困難を極めるそうやねん。

 これもコトリ如きじゃわかりもせえへんが、結衣の将棋に一般的な意味での定跡はあらへんらしい。そやけど定跡はあるんやないかと見られとる面はある。それがどう指しても追いつめられてしまう点や。

 これは定跡みたいな狭い枠組みやのうて、もっと広い目で見て、途轍もなく高いところから見ている気がする。これが結衣が言う完結した将棋なんかも知れん。そやから事前研究が通用せんとも言われとるぐらいや。

 結衣の強さはそれぐらいしかわからんが、結衣は将棋だけやのうて存在自体が異質や。そりゃ、いきなりアマから竜王になってプロ入りなんもあるけど、お世辞にも大人しくしてへん。その態度は慇懃無礼とまで言われるぐらいやねん。

「礼儀は守ってるつもりですが」

 慇懃無礼は言い過ぎやった。本来結衣のような地位に就く者は赫々たる実績が積みあがっとるねん。実績が地位を作り、立場を作るねん。そこまでになってから、竜王を取れば人は納得する部分がある。

 結衣は飛び入りみたいなもので、さらにこのまま将棋界を席巻してまいそうなとこがある。この辺は、将棋界に長い間、絶対王者が出現してへんのもあると思う。最後は二十世紀の前半ぐらいやもんな。

「男性棋士にも妬まれていますが、もっと妬まれてるのは女流棋士です」