ツーリング日和7(第32話)白鳥の歌

 コウも活躍してる。いや大車輪の活躍で良いと思う。谷村省吾を口説き落としてるし、他のゲストもそう。最後のオーケストラにはコウも参加してたけど、バイオリンに五藤穂乃果まで参加してたもの、

「それだけやない。ユリにはわからんかったと思うけど、会場の観客やったらすぐにわかっとる」
「あれだけで涙ものだよ。わたしなんか、出てくるのがわかっていても、実際に見たら涙が止まらなくなったもの」

 あの時のドラムが芹沢敦、ベースが沖田颯だそうだけど、

「飛鳥井瞬のバックバンドのメンバーなんだよ」

 ひょぇぇ、よく出演してくれたものだ。

「キーボードの新見誠は無理やった」
「あれは仕方ないよ」

 でもそれだけそろえば飛鳥井瞬は完全復活だ。

「ならん」
「ならないから、出演してくれたようなもの」

 どういうこと?

「マスコミには伏せさせてもうたが、飛鳥井瞬はあの夜に亡くなった」

 えっ、えっ、あんなに元気そうだったのに。

「あれはコトリが悪かった」
「コトリのせいじゃないよ」

 飛鳥井瞬は末期の癌だったなんて。

「本当の最後だから協力してくれたんやけど、予想以上にガンの進行が早うてな」
「神戸には連れて来たけど、そのまま入院しただけじゃなくて、ベッドからも起き上がれなくなってた」

 一関から神戸に来てから病状がドンドン悪くなったそうだ。すぐに入院となり、なんとか体調を戻そうとしたそうだけど、食事も取れなくなり、歌どころか話す事さえ怪しくなってしまったそうなんだ。じゃあじゃあ、そのまま起き上がれていなかったら、

「そん時は飛鳥井瞬を偲んで終わりやった」

 というか。そのつもりだったらしく、

「あれもお蔵入りになってもた」

 飛鳥井瞬を出演させるのは無理だと判断して、出演者全員によるメドレーまで練習していたそう。あの日は、

「飛鳥井瞬がせめて会場まで連れて行ってくれと言いだしてな・・・」

 控室まで運び込んでいたそう。でも体調が戻るはずもないはずだけど、

「あのトイレ休憩の少し前に飛鳥井瞬が立ち上がったのよ」
「信じられへんかった」

 本来のサプライズ・プログラムは出演者によるメドレー、それも一曲目の方だけだったんだって。それが飛鳥井瞬が歌うとなって、

「あれも止めたんよ。あんな激しい曲は無理やんか」
「一曲だってまともに歌えるかどうか疑問じゃない」

 それを飛鳥井瞬が押し切ったのだけど、

「演出が変わるし、幽鬼のような飛鳥井瞬のメイクの時間もいるやろ」

 まさに舞台裏はドタバタなんてものじゃなかったよう。だから唐突なトイレ休憩、コウのピアノ演奏の延長、さらにコウと谷村省吾のトークが急遽組み込まれたそう。つまりは時間稼ぎ。でもメイクって凄いな。ステージに出て来た飛鳥井瞬にそんな影は一切なかったもの。

「メイクだけやない」
「そう言う事情を知っていても驚いたもの」

 そのはず。ステージの上の飛鳥井瞬には光輝くオーラがあったもの。登場した瞬間に観客を熱狂させるぐらいに。

「二十年の思いだけが飛鳥井瞬を動かしとってんやろ」
「舞台の袖に入った瞬間にバッタリでね。そのまま意識は戻らず亡くなったよ」

 あれが飛鳥井瞬の最後の熱唱だったのか。全盛期と較べてどうだったのだろう。

「それは較べたらいけない。どんなに気合を入れようが歳には勝てないもの」
「全盛期とは別物やが、あれこそ白鳥の歌やった」

 白鳥はアポロンに捧げられた聖なる鳥で調和と美しさの象徴とされて、歌う鳥の代表にされてるんだよね。その白鳥が死ぬ間際の歌が最高とされてるんだよ。ここから、死ぬ間際に人生最高の作品を残すことを白鳥の歌ってされてるのよね。コウは、

「月夜野社長、小山社長、本当にありがとうございました」
「わがまま言いやがって」
「ホントよ。まあ飛鳥井瞬を聴けたから良かったとしておくわ」

 少しだけ複雑な思いはユリにはある。飛鳥井瞬の一夜限りの復活は賛同意見も多かったけど、やはり二十年前の事件からの非難の声も少なくなかったのよね。それはわかる気もする。どう考えたって犯した罪は軽くないもの。

 だからあのまま人知れず消え去るのも選択としてあったと思ってしまう。コトリさんたちがあれだけコウの願いを叶えるのを渋ったのは、そういう声が出るのがわかっていたからだと思う。リスク高いものね。

 今回だって出来るだけコウたちが向こう傷を蒙らないように、あれだけの準備を重ねてるもの。あれは形の上ではユリが全責任を負う形になってる。ユリと言うより在日大使であるユリア・エッセンドルフ侯爵が持つぐらいだ。

 大使なら少々の責任問題や、非難があったとしても外交特権で防げる計算かな。まあユリなら音楽界から追放とかになっても痛くも痒くもないし、問題が大きくなれば外務省が動かざるを得なくなるものね。これだってユリに迷惑がかかるから乗り気じゃないところがあったと思う。

 でもさぁ、でもさぁ、コウの言いたい事もわかるのだよね。飛鳥井瞬が罪を犯したのはそうだけど、その罪って償うのはどうしたって無理なのかって。罪に対して罰を受けたら清算じゃない。

 もちろんだよ、懲役を受けただけではまだ罪を償うには不十分だって見方もある。それこそユリが被害者の身内だったりすればどうかと言われたら、返答に困るところはあるもの。たぶん死んでも許さないと答えそう。

「それは感情やからどうしようもあらへんとこがある。犯罪者は罪に対する法が与える罰を受けるけど、被害者にとってその罰が満足に値するものかどうかは、まったく別次元の話になるねん」

 そういうことか。法による処罰による償いと、被害者の感情はリンクしてないものね。法の上で償っても直接の被害者だけじゃなく、その他大勢の感情も収まるとは言えないもの。でも、だからと言って個人の感情のままの報復が良いとも言えないぐらいか。これが法治国家と言えばそうなるのだろうな。

「それでもや。飛鳥井瞬には申し訳あらへんけど、あそこで死んで良かったと思うてる」
「そうなのよね。元気で完全復活なんてなったら、どれだけ騒ぎが大きくなることか。わたしたちでも手に負えないかもしれない」

 ユリにも答えはわからない。飛鳥井瞬は歌うべきだったのか、それとも静かに消え去るべきだったのか。あのコンサートで飛鳥井瞬のライブを聴けたのは感動だったけど、引き換えにするものがどうしたって出てくる。

 こんなもの誰もが満足できる答えなんかあるはずないよ。わかるのはあれだけ大勢の人が飛鳥井瞬が歌うのを待っていたこと。だけどそれを許せない人もいたぐらいだよ。なんか平凡だけど、あんな罪を犯さないのが一番かな。

「ユリは関係あらへんやんか」
「そうよ。ユリの身は日本政府にだって指一本触れられないもの」

 それは意味が違うって。たまたま、今は変な身分と地位にいるだけ。

「ほんじゃ、コウ。コトリらは別で帰るさかい」

 えっ、どうして。

「どうせ帰りにどこかで燃えるのでしょ」
「ファイヤ、ファイヤ」

 お前らな、真昼間の展望レストランで冷やかすセリフか。もちろんコウと愛を深めるけどね、もう痛くないもの。帰り道でコウは、

「ユリ、ありがとう。ユリがいなければ飛鳥井瞬の一夜の復活さえ無理だった」

 コウのためなら一肌や二肌どころかパンツまで全部脱いだって構わない。パンツぐらいならこれからホテルで脱ぐけどね。けどこんな騒ぎはこれが最後になって欲しい。