ツーリング日和7(第31話)策謀

 想定外のことが起こったらしいのはわかるけど、それは例えばユリが突き飛ばされた事とか、

「あれは不確実性の部分はあったけど、ああなる可能性は高いと思うとった」
「そうね、ありがたかった」

 あのね、痛かったんだぞ。それにだぞ、あの後に殴られたり、蹴られたりだってあったかもしれなかったじゃない。

「そんなものさせるはずがないじゃない」

 だったら、突き飛ばさせるな。

「お掃除に必要だったのよ」

 とりあえず葛󠄀谷の残党が起こした罪は威力業務妨害と暴行になるはずだけど、

「タダの暴行やなくて暴行傷害や。傷害が加わるだけでだいぶ違う」

 たしかに怪我をした。コトリさんたちが言うには現行犯でこそないものの、残党の行為は映像にばっちり収められてるから、限りなく現行犯に近いものになるだろうって。それはわかるけど、

「ああなったら送検は免れん」
「ユリも被害届を出してるでしょ」

 そりゃ出すよ。コンサートは妨害されるし、止めに入ったユリは突き飛ばされてるんだから。

「送検後にどうするかは検事の胸一つや」

 送検された案件をどうするかは検事の判断らしいけど、あれだけの証拠があるから嫌疑なしや嫌疑不十分には出来ないって。そりゃそうだろ。そうなると、

「起訴猶予の争いになる」

 起訴猶予とは起訴するだけの証拠がそろっていても、社会的な制裁受けてるとか、本人が反省してるとかで起訴、つまり裁判にしないって扱いになるそうだけど、そういう時には、

 ・初犯である
 ・被害者との和解が行われている

 この二つが重視されるとか。今回は初犯になるはずだけど、

「和解は重視されるかな。暴行傷害は被害者の処罰感情も重視されるのよ。処罰感情がない証拠として和解の成立と被害届の取り下げがセットで見られるぐらい」

 和解の申し入れは実は相手の弁護士からあった。なんか上から目線の感じの悪い電話だった。内容的にはモロで『いくら欲しいんだ』だった。でもね、ユリじゃ和解交渉に応じられないように既になってたんだ。あれは絶対、

「ちょっとだけ火を着けただや」

 どこがちょっとよ。コンサートの暴行事件はすぐさまエッセンドルフに伝わってるのよね。これを知ったエッセンドルフ国民は大激怒状態になってるんだよ。コンサートの妨害もそうだけど、ユリへの暴行傷害は国辱ものみたいな感じだ。

 でもさぁ、でもさぁ、あの伝わり方はなんなのよ。コンサートにマフィアが引き連れて来た十三人の暴漢が乱入して来たって。実際は三人だし、ヤーさんでもない一般人だ。さらにその十三人を相手にユリが大立ち回りの末に撃退ってなによ。これも実際は突き飛ばされて転んだだけじゃない。

 それがちぎっては投げ、ちぎっては投げ状態で、暴漢をステージから叩き出し、その時に負った傷で入院って大ウソも良いとこじゃない。そりゃ、打ち身と擦り傷は出来たけど、あの後もコンサートを聴いてたし、終わったら家に帰っただけじゃない。

「いやぁ、あそこまで話が膨らむとはな」

 膨らましたのはコトリさんだろうが。コンサートの事件はエッセンドルフ議会にすぐに取り上げられて、厳重処分要請が満場一致で決議されちゃってる。さらにその決議を受けてハインリッヒが国家元首として、

『エッセンドルフ公国の名誉と尊厳を冒涜され、あまつさえ妹であり大使であるユリア侯爵を傷つけるとは許されざる蛮行である』

 これを日本政府に公式に抗議申し入れをしてるんだよ。だから相手方の弁護士には、

「和解のためにはエッセンドルフ議会の決議の撤回と国家元首であるハインリッヒ公爵の了解が必要」

 こう答えたら電話をガチャ切りしやがった。なんて態度が悪いんだよ。

「これであいつらが和解を成立させることが不可能になったやろ」

 そうなると起訴されて裁判になる公算が高くなるけど、

「次は執行猶予の争いになる。あれで無罪はあらへんからな。そやけど執行猶予でも和解の成立は相変わらず焦点になる」

 ここだけどあの連中は日本の法に依って裁かれて、どれだけの罰を与えるかは裁判官の心証になるそうだ。この心証の形成には裁判所に出てくる証言とか、証拠、検察側や弁護側の主張に限定されるのが原則だそうだけど、

「裁判官かって人の子や」
「盤外からの影響に無関心でいられないのよ」

 まずだけどあの連中が妨害行為を行ったコンサートは国際親善事業なのよね。その証拠に大使館が主催だし、大使であるユリも臨席してる。つまりはタダのコンサートじゃない。さらには妨害行為に対する相手国からの厳重抗議もある。

 ユリへの暴行傷害もタダの暴行傷害で終わらない部分はある、ユリは正式の大使だから外交官に関するウィーン条約で不可侵となってる。それも公務中だから、その辺の通行人への暴行傷害より重くなるぐらいかな。

「ユリへの暴言さえ、タダの暴言やなくなる」

 大使への自由や尊厳を脅かす行為も日本は防止する義務を負っている事になっていてそれが守られていないのは、重大な外交上の失態になる。ウィーン条約違反が直接あの連中の処罰につながらないはずだけど、裁判官の心証に無影響とは言い切れないだろうな。

 でもあの連中はヤーさんとのつながりがあるから、ユリの家だとか、それこそ夜道を襲うとかの報復行為というか脅しはあるのじゃない。

「ヤーさんもアホやない。家を襲えば大使館襲撃になるし、ユリを襲えば大使襲撃や。襲うだけやったら出来るけど、やれば組ごと吹き飛ぶぐらいはよう知っとる」
「あいつらは計算づくでカネになる暴力を使うのよ。ユリを暴力で抑え込むより、葛󠄀谷の残党連中と手を切るに決まってるよ」

 ユリを襲ってもカネにならないどころか身の破滅になるってことか。

「それとね、ダメ押しもしておいた」

 さらなる追い打ちもコトリさんたちはやってるのよね。突如出て来たヤクザとの癒着の暴露スクープ。こっちはこっちで暴対法に絡んで来るから警察が動き出してるらしい。これがリンクすれば執行猶予も難しくなるかもしれない。

 というか裁判になって執行猶予が付いても実刑だから再起不能だろうな。でもそこまでネタをつかんでいたのなら、もっと穏便にする手段もあったような気がしないでもない。

「こういうものは穏便やない方が効果が大きい」
「社会的制裁をプラスしてるだけ」

 ようそこまでやるわ。

「だから言うたやんか。知恵の女神の本領を見せるって」

 ここまでやるとは恐るべし。稀代の策士の呼び名はダテじゃない。