ツーリング日和3(第3話)惟喬親王と小野小町

「惟喬親王のゆかりの地ね」

 知らん人が殆どやと思うから解説しとくわ。時代は文徳天皇の御代や。時代背景的には藤原氏の勢力がドンドン強くなって、他の氏族が小そうなっていった時代ぐらいの理解でエエやろ。

「藤原氏 VS 非藤原氏みたいな時代ね」
「非主流派の藤原氏も非藤原氏グループに入るやろな」

 文徳天皇の第一皇子が惟喬親王やねん。どうもやけど非藤原氏は期待したみたいやねん。このまま成人したら非藤原氏の天皇の時代になるぐらいかな。

「でも第四皇子に藤原氏の皇子が生まれちゃったのよね」

 非藤原氏の期待と言うか、声はかなり大きかったと見て良さそうやねん。第四皇子は惟仁親王いうんやけど、生まれて八か月で立太子、そう天皇の公式の後継者である皇太子に藤原氏は強引にしてもたんや。

「文徳天皇も抵抗はしてるよね」

 いくらなんでもの横車やから、惟仁親王が成人するまでは惟喬親王を皇位に就ける案を出したぐらいや。

「それはそれで問題が・・・」

 まあそうや。鎌倉時代の持明院統と大覚寺統の両統迭立みたいなもんになりかねへん。そやからこの案はポシャたんやけど、

「とにかく人気はあったで良いんじゃない。きっと才気煥発、眉目秀麗の美男子だったはずよ」

 美男子だったかどうかはわからんが、人気はあったんかもしれん。惟喬親王は十三歳で元服するんやけど、十四歳の時に文徳天皇が亡くなった途端に大宰権帥に飛ばされとる。妙に声望があるのが面倒やからトットと都から厄介払いされたんやろ。

 その後も冷遇やったんやと思てる。二十八歳で出家して大原とか、山崎とか、水無瀬を転々とし後に雲ケ畑の高雲御所に住んだぐらいや。これだけの貴人やから村人からは崇拝され、あれこれ交流の逸話も残されてるぐらいや。

「雲ケ畑松上げも惟喬親王由来だよね」

 二間四方の櫓を組んで、たいまつを文字の形に取付けて燃やすもんで、惟喬親王の慰霊のために始まったとされとるからな。

「小野小町とのロマンスはあったと思う?」

 ユッキーもよう知っとるな。小野小町も経歴がはっきりせえへん人物やけど、とにかく美人やったんやろ。そんな小町の伝承に文徳天皇の更衣やった言うのはある、更衣とは天皇のお后の階級やけど、

 皇后 → 中宮 → 女御 → 更衣

 お后の一番下やけど、この下にも宮人とか女官はある。ただし后やのうて愛人ぐらいの位置づけかな。この伝承がホンマやったら小町が惟喬親王を見初めたのは宮中いうより清涼殿の中になるけど、

「さすがに不倫は拙いよね」

 不倫言うても小町の方が十歳ぐらい年上やねん。惟喬親王が元服した頃は既に二十代の半ばや。小町から見たら子どもやんか。組み合わせから見たら無理あるし、惟喬親王も元服してすぐに大宰府に飛ばされてるやんか。

「でもさぁ、小町は当代一のモテ男の業平に肘鉄食らわせてるじゃない」

 小町の恋愛話で後世に残っとるのは深草少将の百夜通いや。この深草少将のモデルは業平とするのは多いんよ。

「業平に肘鉄食らわせるぐらいだから、心に決めた人がいると見るべきよ。たとえば・・・」

 ユッキーが注目したのは小町の恋の歌の中で、

『思いつつ ぬればや人の見えつらむ 夢としりせば さめざらましを』
『夢路には 足も休めず かよへども うつつにひとめ 見しごとはあらず』

 どっちの歌にも夢が入ってるねん。愛しい人にせめて夢の中で会いたいとするのは今も昔も変わらへんけど、

「それを夢でなければ逢えない人、つまり身分違いの恋とも解釈できるじゃない」

 強引やな。小町の文徳天皇更衣説も怪しいとこテンコモリやねんけど、小町がそれ以外に結婚したとか、子どもを産んだ話もあらへんねん。通説では独身のままやったとされとる。それでも美人やしあれだけの歌が詠める才人やから求愛は多かったはずとは言えんことないか。

「伊勢物語の八十三段は意味深だと思わない?」

 これは業平が惟喬親王を訪ねた話やねんけど、まず訪ねた場所が、

『小野にまうでたるに、比叡の山のふもとなれば』

 比叡山の麓の小野に惟喬親王は住んどったことになる。この小野やねんけど通説では大原ぐらいにしとるのが多いけど、山科とするのもある。山科は小野氏の勢力の強いとこやし、晩年の小町が住んどったする説もあるぐらいや。

「そこで業平が詠んだ歌だけど・・・」

 あれね、えっと、えっと、思い出した。

『忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとは』

 これは惟喬親王と会えた感想やと解釈されとるけど、

「ちょっと歌が大げさ過ぎない。だって惟喬親王とはこれからも会おうと思えば会えるじゃない。これは惟喬親王のところに行ったら、思いがけない人に出会ったと解釈すべきよ」

 なるほどな。業平はプレイボーイやけど、ひょっとしたら振られた女は小町だけやったかもしれへん。男も女もそうやけど、振られた相手に妙な郷愁というか未練と言うか、切ない思いを抱き続けることがあるもんな。

「それだけじゃないよ。この時の惟喬親王を三十歳過ぎとしたら小町は四十歳越えてるよ。あの時代の四十歳だよ。それでも業平の昔の恋を思い出されるほどの魅力があったんじゃない」

 ユッキーも熱心やな。小町の経歴はとにかく不明な点が多いんやが、小野氏の一族であるのは間違いないやろ。才色を見込まれて宮中に出仕したのも事実やと思う。そやけど小野氏の家格は高いとは言えん。

 女官の地位も家柄に連動するねん。結婚相手もそうや。そんな小町が惚れてもたんが惟喬親王で、大宰府に飛ばされたぐらいの後に、小町は実家があった山科に帰ってるというのはあっても良さそうや。

「相思相愛だったかもしれないよ。男は姉さん女房に惚れた時の方が激烈じゃない」

 小町を追いかけて惟喬親王が山科に来て、もう出家して身分差に関係なく結ばれたは無いとは言えへんか。

「あるあるよ。それが男じゃない」

 言い過ぎやろ。しかしそうなると小町の一番有名な歌の解釈も変わってくるやんか。

『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』

 これはかつての容色が衰えたことを嘆いていると解釈されるんやが、

「そうじゃなくて、容色が衰えてもやっと掴んだ恋を歌っているんじゃない」

 強引やで。だってやで惟喬親王と小野小町の恋なんて伝承どころか伝説にもあらへんやんか。

「最初は、お側仕えだったんじゃないかな。そこからお互いに燃え上がる思いを抑えきれなくなって・・・だから雲ケ畑を選んだんじゃないかな。ここなら誰にも見つからない。そんな心のゆとりが出来たから里人との交流も出来たんだと思うよ」

 強引に結び付けてまいよった。

「ロマンチックな恋だよ。都で天皇やるより、ここで小町と暮らす方が惟喬親王に取っては幸せだったかもしれないよ」

 可能性は薄いとは思うけど、艶な話と思うで。ホンマに同棲しとってんやったら、ここから二人は雲ケ畑の風景を眺めとってんやろな。

「この風景はそんなに変わってない気がする」

 そうやな。