ツーリング日和(第28話)番組収録

 加藤と晩御飯を食べ、オレの家で荷造りの最終チェックを済ませ松山観光港に、

「出航が九時五十五分って、なんでこんな半端やねん」

 オレも妙だった。松山・小倉フェリーは一日一便だけだ。どうして十時にしないだろう。なにか事情があるだろうが、乗船手続きを済ませ船内に。

「二等はここか」
「高校の時の宿泊訓練を思い出すな」

 あれよりマシだが、布団を並べての雑魚寝か。まあ空いてるから気楽だけどな。加藤の寝つきはいつもながら感心する。もう寝てやがる。とにかく五時下船だし、長距離ツーリングとキャンプ撮影が待ってるから早く寝よう。暗いうちに加藤に起こされて、

「暗いな」
「高速走るから心配あらへん」

 小倉北ICから北九州都市高速から九州縦貫自動車だ。まだ夜も開けてないからがら空きで快適だし、走っているうちに夜も明けてきて、ますます快調だ。

「益城まで二時間かからんな」
「とばしすぎて捕まるなよ」

 益城熊本空港ICで降りて、

「腹ごしらえといくか」

 さすがに朝が早すぎてSAのレストランは開いてなかったから、この辺でと思ったが開いてないどころか、喫茶店一つ見つからない。

「奥阿蘇まで行ってからにしよ」

 途中で撮影を挟みながらケニーロードを爽快に走り抜けて行った。レースも好きだがツーリングも良いよな。風を感じて走るのは最高だし、バイク好きならたまらない道だ。今回の番組の目玉だから念入り目に撮って。

「杉田、あの店、開いとるで」
「やっとメシにありつける」

 腹を満たしたら県道十一号から上色見で曲がった。一度走ってみたかった道だ。

「結構なワインディングだな」
「カメっ」

 バリ伝だな。グンが秀吉と峠で出会ってバトルした時に秀吉が提案したのがウサギとカメ。いわゆる先行・後追い形式だ。そこでヒデヨシがコーナーに突っ込む時に必ずカメと叫べと言ったんだ。だったらオレも、

「カメっ」

 バリ伝の頃はインカムなどなかったはずだから、フルフェイスのメット被って叫んでも意味ないなんて言ってたが、今日は違うぞ。カメもグンはバカみたいと付き合っていたが、途中から『必殺のカメ』とか呼ぶようになってたっけ。バイクは阿蘇市を抜けて大観峰展望所まで登り、そこから西へ。

「これがマゼノミステリーロードやな」
「加藤が謎の失踪をするかもしれんぞ」

 目指すは押戸石の丘。この辺は見ての通りの草原だが、その丘に謎の巨石群がある。おっとここだな、

「加藤、右に入るぞ」
「了解」

 こりゃ、細いな。クルマでも上がれるそうだがキツイだろうな。おっと見えてきた。ちゃんと案内所があるんだな。料金を払うとパンフレットの説明とコンパスを貸してくれて、

「この押戸石の周囲を回ってもらえるとパワーをもらえます」

 それにしても気持ちの良いところだ。阿蘇ぐらいじゃないと日本じゃこんな風景は見れないかもしれないな。

「あれか」
「そうだろう」

 丘の頂上に近づくと石が見えてきた。まず最初に目に付いたのがはさみ石。夏至にはこの間から太陽が昇り、冬至には沈むそうだ。加藤が間を通ろうとしたが、

「うそつきは挟まれて通れないともなってるぞ」

 加藤じゃ無理だ。腹が出過ぎだ。祭壇石もあったが、

「飛鳥の酒舟石とはだいぶちゃうな」
「時代が違うのだろ」

 次の石には聖牛、蛇神となっているが、

「杉田、これが牛か」
「その下のが蛇みたいだな」

 たしかにそういう形に見えなくもないが、シュメール文字って、楔形文字じゃなかったけ。

「ああそれか。楔形文字になったのは紀元前二千五百年前ぐらいや。その前にあったのがウルク古拙文字で、これは紀元前三千二百年前ぐらいから使われてる。これが整理されて楔形文字に転換されている」

 妙に詳しいな。

「牛はグゥだが蛇は忘れた」

 本当にシュメール文字なんだ。さらに加藤は、

「文字の形はな。そやけどシュメール神話では動物は随獣になっておって牡牛は月の神ナンナや。蛇とか竜はシュメール神話では少のうてムシュフシュぐらいかな」
「本物だな」

 すると加藤は笑いながら、

「ちゃうやろ。この岩見てみいな。いかにも脆そうな安山岩や。こっち見てみ。ここに何か見えるか」

 何もないが、

「この画像見てみいな。ここにかつてベル神と弓を持つ人があってん」

 でも今は影も形も、

「そういうこっちゃ、自然の悪戯や」
「じゃあ、ここは聖地でもなんでもなかった」
「それとは話が別や」

 磐座信仰というらしいが、大きな岩を神と見立てる神道の古い形態らしい。言われてみれば巨岩とか、大木にしめ縄がよく巻いてある。

「これだけのロケーションに、これだけの岩があったら信仰されたんちゃうか」

 そうだよな。丘の上でかがり火で神事を行ったら似合いそうだ。

「そやから縄文時代かもしれん。弥生時代になったら、この辺は用無しや」

 どういう事かと聞けば、弥生時代とはイコール稲作文化であり、田んぼに出来るところにしか人は住まないだって。

「縄文時代も畑を作っていたと今は考えられてるけど、採集も盛んやった。森の人のイメージやな」

 最後に一番大きな押土石でコンパスの反応を撮影して丘を下りた。加藤が丘を下りながら話してくれたが、超古代文明に興味を持った時期があったそうだ。とくにペトログリフに興味を持っていたそうで、

「線刻文字になるけど、なぜかシュメール文字なんよな。だから超古代には同じ系統の文明が存在していたっていう説になるんよ」

 どこかでそんな話を聞いたことがあるけど、

「ある時に読んだ本に書いてあったんよな。そんな風化した岩に文字が残るかってな。日本ではとくにそうやけど、雨風にさらされたら、刻んだ文字は読めんようになるんよ。それこそ千年どころか、百年しただけでも読めんようになる」

 言われてみれば、

「ほとんどが偽造やろ」

 それとシュメールでは豊富にあった粘土で固めた粘土板に文字を記したようだ。その時に葦を使うのだが、粘土に葦では繊細な文字が書けず、ラフな象形文字になったとしていた。楔形文字になったのは、楔形が刻みやすい筆が発明されたためだとしていた。

「単純な記号やから、もし古代の線刻であってもウルク古拙文字に似ると思うで」

 原初の文字の起源は記号であったろうと加藤はしていた。これが文字として文章になった過程は不明だが、

「文字ってな、必要なかったら普及せんのや」

 文明が発達し集落から都市になり、文字で記録することが必要な商業とかが起こって普及するものだとした。江戸時代の日本の識字率は異常だったそうだが、欧米での文盲率は高く、文字を知っているだけでエリートとみなされたらしいからな。

「まあ、これはこれで絵になるからどっかで使えるで」

 押戸石の丘を下り、今度は国道二一二線を南に走り、ミルクロードを東に。そこからグルっと回り込むように阿蘇市戻ってきて坊中キャンプ場へ。テントを設営したら、

「今日は豪勢にいこか」
「おう、買い出しや」