アームチェア・ディテクティブ

 日本語訳が安楽椅子探偵となっていますが、う~ん、いまいち馴染みが個人的に良くない感じです。概略をwikipediaより、

現場に赴くなどして自ら能動的に情報を収集することはせずに、室内にいたままで、来訪者や新聞記事などから与えられた情報のみを頼りに事件を推理する探偵

 こういうスタイルのミステリーはあり、高木彬光の邪馬台国の秘密もそうじゃないかと思います。細かな定義はあれこれあるようですが、能動的に証拠を集めて推理するのではなく、受動的に集まった証拠から推理を重ねるぐらいに考えています。

 ですが昔と今では証拠を集めるツールが変わっています。古典的な探偵小説時代の情報源は新聞・雑誌ですが、今はネットがあります。ネットを使った情報収集がないと日常風景としても無理があります。古典的には図書館巡りの末にようやく見つけ出すことが情報が、もっとお手軽に出来るからです。

 それと設定を考えていて、探偵が現場に行けない理由も必要と感じました。よほど遠方とか、交通不便の地であればともかく、ある程度推理を重ねれば行かない方が不自然です。だから探偵が体の障害等で動けないとしているのは良くあります。

 そういう設定でも良かったのですが、探偵役が先に決まっていて、若くて、体力もあってすこぶる付きに健康。好奇心も旺盛で金持ち、それこそプライベート・ジェットも駆使するになってますから、現場に行けない理由が必要になってしまいます。

 アームチェア・ディテクティブの傾向的なものとして、

安楽椅子探偵の傾向として、自分の推理の正しさを自分から立証しようとしないという物があり、場合によっては探偵自身が「これはひとつの推論に過ぎない」などとして、真相はどうであったかは曖昧にしてしまうケースもままある

 これは犯人に証拠を突き付けて、『あなたが犯人です』的な展開に出来ないからだと考えています。ここも、そうできないとするか、そうする必要が無いの設定ぐらいは必要になります。両方ミックスもありです。

 あくまでもwikipediaですがアームチェア・ディテクティブの醍醐味は、

作品の出来映えには、論理的な破綻を読者に感じさせず、なおかつ予想外の驚きを与えるという相反する構成を要求される

 予想外の驚きはミステリ全体に要求されるものですが、予想外の驚きを読者に与えるためには、途中で読者にある予想をさせておくのがキモの気がしました。こういう結論に持っていきそうだの流れを見せておいて、最後にひっくり返すぐらいでしょうか。

 えっと、言うは易し、書くは難しでした。