アブダクション

 ちょっとだけ話題になった用語です。アブダクションの日本語訳としてまず挙げられるのは誘拐で良さそうです。誘拐には他にkidnappinngもありますが、英語圏の人々でもアブダクションは誘拐がまず浮かぶ人が多いとされます。

 kidnappingとアブダクションの使い分けの本当のところはわかりませんが、おそらくkidnappingは少し軟らかめの表現で、アブダクションは硬めの表現に使われてそうな気がします。これは法学的に強制売春や強制結婚のための婦女誘拐の意味でもあるそうだからです。他にも外転という意味もあり医学の整形分野で使われています。

 おそらく上記したぐらい知っておられれば、アブダクションの知識として十分ではないと思います。恥ずかしながら私も知りませんでしたから。

 さてアブダクションにはさらなる意味もあるようです。これがなんと哲学です。哲学と聞いただけで腰が引けてしまうのですが、提唱したのはチャールズ・サンダース・パース(1839-1914)です。存じ上げないのを遺憾としますが、プラグマティズムの提唱者の一人だそうです。

 デカルト主義の批判と言われてもデカルト主義自体を知らないのですが、wikipediaより、

  1. 我々には内観の能力はなく、内的世界に関する我々の知識はすべて、外的事実に関する我々の知識からの仮説的推論に由来する。
  2. 我々には直観の能力はなく、すべての認識は先行する認識によって論理的に決定される。
  3. 我々は記号を用いずに思考することはできない。
  4. 我々は絶対的に不可知なものの概念を持つことはできない。]
 こんな感じだそうです。おそらくぐらいしか言いようが無いのですが、1.と2.ぐらいから出てきた推論のやり方だと思うのですが、演繹法と帰納法とは異なる手法となっています。

 もう嫌になりそうですが、演繹法や帰納法は事象から結論を導くものですが、アブダクションは結論が先にあり、そういう結論になる仮定を立て、そういう結論になる理由を考えるぐらいでしょうか。あははは、自分で書きながら、自分が一番わかっていない気がします。

 例みたいなものがあったのですが、まず子どもが泣いているとします。これが結論で、ここから子どもがどうして泣いているかの理由を推理するようなものとなっていました。子どもが泣く理由として、誰かに怒られたをまず考えます。

 しかし子どもが泣く理由は他にもあり、誰かにいじめられた、欲しいものを買ってもらえなかった、お腹が空いている、どこかが痛い・・・あげだすと次々に湧いてくるのですが、その場の状況で最も納得のいく理由を見つけ出すぐらいとなっています。

 ハア、ハア、ハア。初心者向けの解説サイトを読んで咀嚼しようと頑張ってみましたが、哲学の基礎知識が薄すぎて消化不良も良いところになったのは遺憾とさせて頂きます。それでも最後の子どもが泣いている話からヒントをつかんだ気がします。

 これとて自信が無いのですが、アブダクションとは推理小説に近いのじゃないかと。例文を考えると、

    殺人事件が起こった。殺人と言う結論があるからには犯人がいるはずだ。外部からの侵入による行きずり殺人の可能性は低そうだ。そうなると内部の犯行となるが、被害者は恨まれていたらしい。怨恨の線で考えるとA、B、Cが候補に挙がって来るが、殺害推定時刻のアリバイは・・・
 なにか近そうな気はします。ただ推理小説の場合は状況証拠の積み重ねであっても犯人が観念するほどのロジックを積み上げますが、そこまでアブダクションには必要なのかは不明です。

 それと推理小説には単語としてのアブダクションはあまり使われない気がします。原文で読むほどの英語能力はないので推測ですが、たとえば婦女誘拐殺人事件の時に困りそうです。


 今日のテーマはアブダクションの意味を知るのもありましたが、もう一つはこの用語がどれほどポピュラーなのかです。日本語訳は方法的仮説ともされているようですが、演繹法、帰納法に比べてもマイナーな感じがします。

 専門畑によるとは思いますが、知っていないと恥とは思いにくいですし、ましてや知っていない非専門畑の人を罵倒するのに使うのもどうかと思います。罵倒は言い過ぎですかね。単にこういう横文字言葉を知っているのを自慢したかっただけかもしれません。