ツバル戦記:建艦競争

「それとだけどツバルみたいな小国も最近ではキナ臭くなってるのよね」
「みたいですね」

 世界の覇権争いは二十世紀と言うか、第二次大戦後は米ソでしたが今は米中です。中国の躍進は二十一世紀に入ってから目覚ましかったのですが、

「あの国は独裁国だからゴリ押しが剥き出しだし」
「ええ、エレギオン・グループも中国進出は最小限にしてるぐらいですし」

 これは国の発展によりかつての工場国としての魅力が薄れたのもあります。技術水準は上がりましたが、賃金も高くなってインドあたりと比べるとコストがペイしなくなっています。

 この辺は中国特有の問題ではなく、低賃金を武器として工場国として栄えた国は、さらなる低賃金国に地位を奪われます。かつての日本もそうですし、アメリカだって例外とは言えません。

 その分、市場としては魅力的ですが、現地生産となると規制がうるさいですし技術流出のリスクも相変わらずの国です。でもそれだけでなく二十一世紀半ばぐらいから国として息切れを起こしかけています。

「あれだけ軍事費をかけたらね」
「アメリカも向こう傷は深かったですよね」

 中国は国土も広いし人口も多い国です。さらに少数民族も多く住む国です。こういう国を統治するのは大変だと思っています。国の運営と言えば議会制民主主義が思いつきますが、インドでそれが出来てるのが不思議なぐらいかもしれません。

 中国は共産党による独裁ですが、あれほどの超大国なら統治体制としてやむを得ないところがあるぐらいにミサキは考えています。そうでもしないと国がすぐに割れてしまいそうな気がするからです。

 中国も歴代王朝が変わるたびに群雄割拠状態になった歴史があります。それだけでなく幾つもの国に分かれたままで何百年も過ごした時期もあります。今だってなにかの拍子にそうなる可能性のある国だと思っています。

 それを共産党独裁で抑え込んでいると見えなくもありませんが、独裁体制にも弱点があります。国家主席を筆頭とする指導部が実質的に終身制であることです。世襲でこそありませんが、共産党王朝みたいなスタイルになっています。

 指導部が統治を続けるには指導部への国民の求心力が必要です。これはどこの国の政府も多かれ少なかれそうなのですが、議会制の国と比べると政権交代が容易じゃない点です。政権交代とは指導部の失脚であり、失脚した指導部は下手すれば死刑、良くとも幽閉軟禁ぐらいは普通に起こります。

 つまりというか独裁国の政権交代は政権抗争ではなく権力闘争になり、これに敗れれば野党として下野でなく、身の破滅に確実になるのです。そのために権力を握ればその維持に文字通りの命懸けになります。

 共産党内の権力闘争も熾烈ですが、一党独裁体制ですから政党としても交代の余地がなく、もし共産党政権が倒れれば革命騒ぎにつながります。そこで共産党自体は伝統的に、

『共産党の指導は無謬である』

 無謬の政治なんてありえませんが、無謬であるように国民を誘導するためのプロパガンダを行うぐらいです。プロパガンダと言っても宣伝だけでなく、情報統制、国家権力による口封じ、買収ぐらいは当然のように行われます。


 中国は二十一世紀になってから経済的に躍進し国も豊かになっていったのですが、豊かになったらなったで問題が出てくるのがやはり政治です。貧富の差とか、教育格差とか、政治的な自由を求める動きとかです。

 人権問題や政治的自由は過激なぐらい抑圧していますが、いくら政府が頑張ってもこのグローバルな時代に国民に海外情報をシャット・アウトするのは不可能です。その点は中国国民もしたたかですからね。

 様々な強権的手法でいわゆる人民の声を抑え込もうとしていましたが、強権的手法を取れば取るほど反発も強くなります。

「そうなのよね。管仲は、

『倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る』

こう喝破したけど、中国もこの状態を本当の意味で満たした時代はなかったのよね。でもついに満たした時代が来ちゃったぐらいと思ってる。」
「そうかもしれませんね。衣食住が満たされた次の要求の対応に困ったと見ています」

 国民が豊かになるのは国民の力が増すことを意味します。共産党内の権力闘争はコップの中の嵐の一面もありますが、その権力基盤をどこに置くかもあります。国民の力が強くなればそれを権力基盤に置く者も台頭することになります。

 当時の李主席は、そういう風潮を苦々しく考えていたようですが、とはいえ無視できないと言うか、放置すれば地位を脅かされる危機感も強く抱いていたで良さそうです。ミサキも、そういう風潮になるのは国の発展に伴う必然みたいなところもあると思っていましたが、

「姑息策に走ったと思ってる」
「ええ結果としてもそうですし」

 李主席は内政への不満を国民の目を外に向ける事で逸らそうとしたのです。ナショナリズムの利用は常套手段であり、かつては外征が良く用いられました。しかし現代では外征は失う物が多すぎます。

 そこである種の幻想を国民に植え付けることに事にしています。バラ色の夢の目的を強力なプロパガンだで定着させたのです。それは、

『海洋覇権国家の確立』

 これが出来れば中国は世界を制し、莫大な富を得ることが出来るぐらいです。このプロパガンダは異様なぐらい成功し、国民は海洋覇権国家の夢に熱狂することになります。

「サジ加減って難しいね」
「ホントにそう思います」

 海洋覇権国家になるために必要なのは海軍の拡張充実になります。おそらくですが、当初はそこそこの規模の艦隊を編成するぐらいだったと考えていますが、

「アメリカも過激に反応しちゃったものね」

 中国の海洋覇権国家構想をアメリカの覇権への挑戦と受け取ったのです。中国では、これもナショナリズムの一環で良いと思いますが、反日教育も盛んですが反米教育も盛んです。アメリカが対抗するなら負けてなるものかが世論になってしまったのです。

「凄かったものね」
「凄すぎたと思っています」

 海軍だけでも第二次大戦以降の蓄積がアメリカにはあります。国力もまだまだアメリカの方が上です。そんな状態からアメリカを凌ぐ大艦隊を作ろうとしたのです。

「まるで第一次大戦前の英独の建艦競争みたいでしたよね」
「規模から言うとあれ以上ね」

 その凄まじさはついにアメリカが先にリングを下りてしまったぐらいです。中国は勝利に沸きましたが、

「あれで三十年は遅れたってなってるもの」
「いや、もっとの試算もあります」

 外野から見れば中国の発展段階からインフラ整備に資金を投入すべきだったのです。インフラの整備による国内経済の発展を促すぐらいです。ところがそれに投入すべき資金はすべて軍艦になり艦隊になってしまったと見られています。

 軍隊はいくら大きくなっても富を生み出しません。富を生み出した時代もありましたが、現代では単なるカネ食い虫です。海軍であっても例外ではないのです。

「十六世紀のスペインとか十九世紀ぐらいまでのイギリスの時代と違うものね」

 中国経済は軍需産業こそ栄えたものの、民生産業が弱体化し低迷することになります。国際的には大失速とも呼ばれています。国内の不満も高まりついに李主席は失脚し幽閉状態になります。

「それじゃ済まないぐらい後遺症は深刻ね」
「なにかどこを目指しているやらになっちゃいましたものね」

 海軍が巨大化すると海軍の発言力も肥大化します。李主席に取って代わった張主席は海軍を権力基盤にしているのです。そのために海軍関連の予算は聖域化してしまいす。さらに聖域化を維持するためのプロパガンダも展開します。その結果として、海軍の維持拡張も継続しながら国内経済の建て直しも並立する状態に陥ります。

 この辺は長年国家を挙げて続けられた海洋覇権国家教育の影響もあり、海軍縮小なんて発言しただけで失脚の危険性もあるぐらいで良さそうです。その肝腎の海洋覇権国家ですが、数だけならアメリカを凌いだ中国海軍でですが、制海権を確保しているのは東シナ海から南シナ海に留まります。

 日本から台湾、フィリピンを結ぶラインをどうしても突破できなかったのです。もちろん突破させないようにアメリカも艦隊充実させた結果ですけどね。もしこれを破ろうとすればアメリカとの全面対決になり、さすがにそこまでは出来なかったぐらいです。

 しかし海洋覇権国家熱が続く国民はこの状態に不満が高まります。ここもプロパガンダが影響するのですが、大海軍の維持のために、いよいよ富の収穫の時が来たとしたのもあります。そのために国内経済を犠牲にしてきたロジックでしょうか。

 とはいえ張主席もアメリカとの全面対決は望みません。やれば全面核戦争にも発展しかねないからです。

「海洋覇権の次のステップの言い訳として、やろうとしたと思うけど」
「これも長年のツケが出ています」

 張主席が狙ったのは太平洋島嶼国への進出です。具体的には巨額な借款と引き換えに租借地を得て、そこに海軍基地を建設し太平洋に海軍を進出させるぐらいです。

 長年のツケとは借款と租借地のバーターは相当な不評なのです。中国による借款は中国企業による中国人労働者による建設が主体で、借款により得た資金は中国に環流するようになっているのです。そのうえで、租借地はまるで中国の植民地のように運営されます。

 太平洋島嶼国も警戒しますし、アメリカだって内海みたいなところに中国の海軍基地を建設されたくありません。さらに言えば中国も経済の疲弊によりかつてのような巨額な借款をやりにくくなっています。結果として張主席の計画は実を結べていません。

「だからヤバイと見てるの」
「張主席もヤバそうな人ですし」

 張主席のやっていることは中国の実情に目を向けていません。中国のためを思うなら、海軍を縮小し国内経済の建て直しに注力すべきなのです。しかしそれは長年の海洋覇権国家構想を御破算にするだけでなく、無謬でなければならない共産党の指導の誤りを認めてしまうことになります。

 そのために姑息な保身策に出ています。海洋進出を小出しにしながら、国民の目をそちらに向けさせ、自分が権力者にいる間を生き延びようぐらいでしょうか。

「まさか」
「そんなアングラ情報が中南海筋から出てるのよ」

 太平洋島嶼国はどこも小国です。最大のパプア・ニューギニアこそ七百万の人口がありますが、その次はフィジーの八十五万人です。ちなみにフィジーで正規軍が三千五百、予備薬が五千六百ぐらいです。フィジーはそれなりに軍事力はありますが、人口十万人のトンガなら警察まで合わせて五百人程度です。

「そうなのよね。トンガも小さいけど、トンガの次になると五万人以下の国になって、それが五つもあるもの」

 そんな太平洋島嶼国でも最小なのがツバルになります。

「コトリ社長にも相談したけど、いくら軍事的に容易でもあんな絶海の孤島に手を出さないだろうって」
「そうですよね。中国本土から遠すぎますし」