エミの青春:歴女の本領

 日本史の自由研究の発表は噂通りのもの。見てるとムカツクぐらい小馬鹿にしまくるのよね。発表で多いのは戦国時代以降。捻って日露戦争や、太平洋戦争を取り上げてた班もあったけど、悉く撃沈。豆狸がその辺に強いのはリサーチ済。

 サヨコのリサーチによると、豆狸は比較的古代史に弱いところがあるって話だったの。たださすがは豆狸、古代史でも有名どころはガッチリ押さえてるらしい、だから卑弥呼とか、聖徳太子とか、大化の改新あたりはダメらしい。壬申の乱も過去に轟沈例があったらしいって聞いてる。

 さらに言えば歴史小説とか、ましてやマンガの題材にされたところはまず難攻不落で良さそうだとしてた。今年もそこから発表のネタを選んだところもあったけど、まさにケチョンケチョンにされてた。

 その情報を聞いてコトリさんがテーマを選んでくれたけど、エミも名前だけは授業で覚えたけど、何した人か思い出せないぐらい。でも豆狸が不得意そうなのは、

 「不比等か・・・」

 野川君が発表前にポツリと漏らしたのだけでもわかった気がする。一通り発表が終わって、豆狸の質問タイム。

 「それでだな、不比等落胤説の最大の根拠が公卿補任というのかね」
 「いいえ、そういう噂が公卿補任の記録として残されるぐらいあったことです」

 問題の公卿補任だけど、

 『内大臣大織冠鎌足二男(一名史。母車持国子君之女與志古娘也。車持夫人)』

 この意味は不比等が、内大臣で大織冠を授けられた藤原鎌足の次男で、別名が史で、母が車持国子君の娘である与志古娘ってぐらい。この但し書きみたいに、

 『實天智天皇之子云々』

 この意味は実は天智天皇の子どもだってなってるのよ。エミなんて、これだけで決定的な証拠って飛び上ったぐらい。でもコトリさんに言わせると歴史ムックのとっかかりぐらいだって。


 公卿補任も初めて聞いたのだけど、要は官人の出世記録。律令制では官職に任命される事を補任と呼んでたんだけど、中務省・式部省・兵部省・治部省が年二回の除目に合わせて補任帳を作っていたんだって。

 ここは難しく考えなくと、今の政府や会社と同じで、人事をするためには、今どうなってるかの記録がないとどうしようもないものね。ちなみに公卿は三位以上の上級貴族を指すんだけど、この上級貴族の人事記録の抜き書きみたいなのが公卿補任。

 この公卿補任も外記局が管理してたんだけど、応仁の乱で朝廷が衰微しきった時に朝廷では維持できなくなって、そこで有力貴族が書き写して引き継いでいったんだそう。写本だし、とにかく書き継いでいくから何系統かあるんだって。

 書き写す時に自分の家が有利になるような書き換えも行われてたみたいで、とくに平安前期の記録の扱いは怪しいとか。そんな公卿補任だけどコトリさんは、

 「奈良時代のは書き換えるほどの必然性がないやろ」

 公卿補任のスタートは天武天皇の時代から。藤原氏の初代は鎌足だけど、鎌足が中臣氏から藤原氏になったのは死の直前で、不比等は二代目だけど実質的に初代みたいなもの。さらに言えば藤原を名乗る貴族は、不比等しかおらず、その次は不比等の子の時代になるのよね。

 不比等は後世の藤原貴族の源流というか元祖みたいな人だけど、子孫の藤原貴族が自分を有利にするために、不比等の業績を書き換える必然性は乏しいだろうって。

 「まあそうなんだが、これだけでは根拠は甘いだろ。不比等落胤説はだな・・・」

 そこに豆狸が絡むのは予想済み。野川君も心得てて、豆狸の言葉を断ち切ってサット切り返した。

 「先生、通説では認められておりませんが、そもそも落胤を名乗る意義がないからとも考えられます」

 これも言われてあっと思ったんだけど、御落胤を名乗って何をしたいかなのよね。今と違って天皇家も一夫多妻。皇子もたくさんいる上に、皇子の格は母親で決まる部分も多いし、ましてや天智天皇の跡継ぎの大友皇子を倒して天武天皇の時代になってるんだよ。皇子として認められても、せいぜい冷や飯の天智系の皇子にしかなれないってこと。

 「不比等は巧妙だったと思われませんか。天武天皇の時代は後に皇親政治と言われるぐらい、皇族を重視しています。その中で頭角を現すには、臣下であるが実は落胤であるの話が有利だと考えられます」
 「う~ん、次は持統か・・・」

 そう不比等の時代の天皇は、持統と元明が天智の娘。この辺はややこしいのだけど、

 ・持統と元明は異母姉妹
 ・持統は天武と結婚して草壁皇子を産む
 ・元明は草壁皇子と結婚して文武と元正を産む

 草壁皇子は天皇になる前に若死にしちゃったけど、奈良朝の天皇は、

  天武 → 持統 → 文武 → 元明 → 元正 →聖武

 こう続くのだけど、男系で見れば天武の血筋だけど、女系で見ると

 ・持統は天智の娘
 ・文武は天智の孫
 ・元明は天智の娘
 ・元正は天智の孫
 ・聖武は天智の孫

 天武の死後に政権を握ったのが天智の娘である持統だから、当然とまで言いきれないけど、この状況なら天智の皇子でも必ずしも冷遇されるとは言いにくいところなんだ。

 ただね、ここでもう一つファクターが入るんだって。奈良朝の特徴として皇位に就けるのは草壁皇子の血筋ってのがあるって聞いてビックリした。

 「そやから奈良朝九代で五代も女帝が出てるんよ」

 ここも五代だけど四人。孝謙天皇が称徳天皇として重祚してるからだって。そうなった理由も面白そうだったけど、時間がなくて聞けなくてちょっと残念。そういう事情だから、天武系の皇子でも草壁系以外はかえって皇位を争うライバルとして排除される関係ぐらいと見て良さそう。

 ここで不比等が落胤であればどうだけど、持統も元明も天智の娘だから、不比等は異母姉弟になるんだよね。それにあくまでも御落胤だから皇位継承権を持たないから、才能さえあれば信用されて取り入る事が出来たんじゃないかって。

 とにかく不比等の官人のスタートは低くて、最初は下級官人の大舎人からだそうなんだ。普通なら大織冠鎌足の息子だから、もっと高位から華々しくデビューしそうなものだけど、鎌足は天智の筆頭重臣みたいなものだし、藤原氏の出身氏族の中臣氏が大友皇子に加担してるから、ここまで冷遇されてたってこと。

 「だが不比等の母は車持与志古娘で、兄までいるのだぞ」
 「定恵は六四三年生まれで不比等の十六も年上です」
 「でも実の兄弟だ」
 「鎌足には系図上だけでも九人の妻がいたとなっています。仮に兄の定恵を十五歳で産んだとしても、不比等を産む頃には三十歳を越えます。それに定恵と不比等しか子どもの記録がないのは不自然ではないでしょうか」

 コトリさんの話はさすがで、高校生にしたらレベルを超えすぎてるところがテンコモリ。公卿補任だけでもそうなんだけど、他も見たことも、聞いたこともない話がワンサカ。でも話し方というか、教え方が面白くて、みんな熱中して聞いてた。

 みんなで発表用の原稿書いたんだけど、コトリさんがチェックした上で殆ど書き換えちゃったんだ。あれだけ勉強したのにって苦情を言ったら、

 「今回のは勉強の成果の発表じゃないで。豆狸を返り討ちする作戦や。手の内さらしてどうするねん。これが戦術や」

 コトリさんが書き直した内容は、公卿補任で不比等が天智天皇の落胤であることを見つけたぐらいの内容。

 「こうしといたら・・・」

 後は想定問答集みたいなのを作ってくれたんだ。そう、この発表の内容なら豆狸はこうツッコムだろうから、こう切り返せみたいな内容。今日の発表だけど、コトリさんの予想通りに豆狸のツッコミが展開してるのにビックリしてる。

 「先生、車持氏の位置づけをどう考えておられますか」
 「えっ、車持氏は、えっと、えっと・・・」
 「車持氏は天皇の輿を作り管理する氏族となってますよね」
 「あ、ああ、そうだったのよな」

 サヨコのリサーチはさすが。あんなに詰まった豆狸を見たのは初めての気がする。これは豆狸の自信というか、過信というか、生徒を舐め切ってるところと思うけど、発表内容は当日まで伏せられてるのよね。

 発表当日に何を研究していたかを豆狸は知るわけで、予習は出来ないシステム。それでも生徒側は粉砕されてるのだけど、苦手分野を掘り下げられると苦しくなるだろうがコトリさんの基本戦略なんだ、

 「車持氏は上毛野氏の支族になり、榛名山の南麓に勢力があったとなっております。そんな車持氏の娘と鎌足が結婚するのは不自然と思いませんか」

 考えてる、考えてる。貴族の結婚なんて政略結婚が基本なのは常識。鎌足が車持氏と婚姻戦略を取った意味が必要なんだけど、そんなものどこにも記録が残ってないんだよ。

 「これは車持氏が地方豪族であったと考えれば、説明が可能になると考えています」
 「まさか采女・・・でもそんな記録は・・・」
 「そうでなかったの記録も存在しません」

 もう間違いない。この分野の豆狸の知識は弱い。