一億総白痴化

 テレビは1953年(昭和28年)2月にNHKが本放送を開始し、同年8月には民放も放送をスタートさせています。放送開始時には受像機の値段は高く、人々は街頭テレビや電気屋のテレビに群がったのは良く知られています。

 テレビは人々の心をとらえ、冷蔵庫、掃除機と並ぶ手に入れたい生活必需品の一つとして、白黒テレビが1950年代に挙げられています。さらに1960年代になると、自動車、クーラーと並びカラーテレビが生活必需品として挙げられています。もちろん今もテレビがない家庭を探す方が難しいぐらい普及しています。

 ただテレビというかテレビ番組には常に批判があります。その元祖みたいなものが大宅壮一氏による、

テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。

 これは週刊東京の1957年2月2日号「言いたい放題」に掲載されたものですが、wikipediaによると、

この造語によって大宅は日本の「テレビ時代の初期においてその弊害を看破した」と評されている

 西暦で書かれるとピンと来にくいのが歳ですが、昭和の30年代初期のお話です。この説は昭和40年代にも子どもの教育現場で大きな影響を及ぼします。

    曰く、テレビばかり見て勉強しない
    曰く、テレビばかり見て外で遊ばない
    曰く、テレビばかり見て自分で考えない
 いかに子どもにテレビを見せないかが教育現場の一つのテーマになっていました。とはいえ既に一家に一台時代でしたし、お茶の間に鎮座してましたから、子ども1日1時間までとか、何時までとかのルールの提唱が毎年のように繰り広げられてました。

 いかに子どもにテレビを見せないかの工夫談がもてはやされ、テレビ無しの生活が美談のように扱われていたはずです。

 で、どうなったかですが、みんな見てました。そりゃ、親が手本を示せなかったからです。子どもに見るなと言いながら、親がたっぷり見ますからね。それじゃ、テレビまで捨てた家庭はどうなったかですが、子どもが翌日の話題に参加できず仲間外れにされる現象が起こります。

 テレビ害悪論は今でもあるでしょうが、これが下火になったのはテレビ・ゲームの爆発的流行からじゃないかと思っています。ファミコンの販売開始が1983年(昭和58年)ですが、

    曰く、ゲームばかりして勉強しない
    曰く、ゲームばかりして外で遊ばない
    曰く、ゲームばかりして自分で考えない
 こんな感じでしょうか。これもテレビ同様に教育現場で目の敵にされましたが、みんなやってました。さらにゲームは進化し、テレビ無しのコンパクトなものになり、さらにスマホでも手軽に遊べるようになっています。

 まあ歴史は繰り返すと思っています。どんなものでもメリットとデメリットはあります。新製品が誕生した時に必ずデメリット面を強調する論者が登場し、これも決まり文句のように、

    子どもに悪影響を及ぼす
 これで意識高い系の方々の絶賛を頂くぐらいでしょうか。まあテレビの本放送が開始されてから67年、一億総白痴化の警鐘が鳴らされてから63年、白痴化はさほど進んでないように思っています。