純文学と大衆文学

 小説投稿サイトを利用しようとして困ったのは、ジャンル分けがあることです。これは読む方からは必要と言うか便利なものですが個人的には悩む点ですが、えらい細かく分けているものだと感心したぐらいです。

 そういうジャンル分けで一番大きいのは純文学か大衆文学かです。某サイトではもっとドライにラノベか文芸かで分けてました。ここについては純文学には遠いと思ってラノベにしていますが、そもそも純文学と大衆文学の違いってなんだろうぐらいです。

 これは世代もありますし、家庭環境の違いもありますが、私が言われたのは、

    純文学 >> 大衆文学 >>>>>>>マンガ

 こんな感じでランク付けられてました。とりあえずマンガは論外に低俗で読むに値しないどころか、

    読むとバカになる
 これぐらいに位置付けられ、高校までマンガを買うなんて考えられない家庭状況でした。反動で大学に入ってからテンコモリ買いましたけど。

 それでも小説は買ってくれました。これも妙に覚えているのですが子ども向きの偉人伝シリーズでしたが、なぜか親が選んで買い与えてくれたのが二宮金次郎。どうして二宮金次郎だったのか理由は不明ですが、今から思えば、あれでよく本嫌いにならなかったものだと感心しています。

 偉人伝シリーズはかなり読んだと思うのですが、次は記憶が確かならモーリス・ルブランのルパン・シリーズだった気がします。この辺は家でテレビ、とくにアニメはまず見れなかったので本で代用(になるはずないですが・・・)したぐらいです。

 ただ親はすぐにすぐに良い顔はしなくなりました。曰く、

    ちゃんとした本を読め
 そう、ちゃんとした本とは純文学作品で大衆文学作品は下らないです。ただ肌に合わなかったのはたしかです。あれも極端な気がしましたが、親が通販で買いそろえたのが世界の名著と言うか、デカルトとか、ショーペンハウエルとかも含むとにかく小難しいシリーズ。

 芥川もありましたがウジウジと捻った文章で書いてある心理描写ばかり長くて、物語としての面白さを感じなかったぐらいです。面白かったのは司馬遷ぐらいだったかな。たまたま読まされたのがそうだっただけかさもしれませんが、

    純文学作品 = 小難しくてツマラナイ
 こうなってしまった次第です。あれから幾星霜ですが、小説を書き始めて改めて純文学とはなんぞやの疑問が出てきています。あれこれググってみたのですが、「純文学と大衆文学」の違いをわかりやく解説がまとまっていたので御紹介しておきます。
純文学 大衆文学
作者が読者に媚びない

作中の内容より文体にこだわる

プロダクトアウト
作中の内容を中心に構成する

読者にとっては敷居が低い

マーケットイン

 う~ん、なんか純文学を褒め過ぎというか、大衆文学を貶し過ぎてる気がしますが、まとめ的なところに、

日本語特有の微妙なニュアンスの違いや文体の複雑さをを巧みに操るのが純文学です。
一方で、内容を重視し、平易な文体で伝えるのが大衆文学です。

要するに、純文学は日本語の文体を楽しむ。
大衆文学はストーリーそのものを楽しめばいいってことですね。

繰り返しますが、どっちか優劣があるものでもないんですね。

 綺麗にまとめられていますが、純文学を悪く言えば小手先の文飾に走った自己満足の塊ぐらいとも言えそうになります。ここでふと映画の事を思う浮かべたのです。映画もまた様々なジャンル分けがなされますが、活劇映画系とドラマ映画系はあると思っています。ここも強引ですが、

    純文学  ≒ ドラマ映画
    大衆文学 ≒ 活劇映画
 どちらのジャンルの作品も面白いものがありますが、個人的に秀作と感じるのは両方の要素を取り込んだものです。活劇映画でありながら登場人物のドラマ的な要素をしっかり描いたもの、ドラマ映画でありながら爽快な活劇要素を取り込んだものです。

 映画の場合は上映時間の縛りがありますから、二つの要素を取り込むのは容易ではありませんが、小説なら可能と言うか、出来て当然の気もします。巧緻な文体で綴りながら壮大な物語を書いたものが真の秀作の気がしないでもありません。

 ブツブツ書きましたが、純文学作品は出会いが悪かったのか、今でもそうラベリングされているだけで回避と言うか忌避してます。書く方は才能の不足もありますから、文章表現を捻くり回すよりラノベがお似合いだと思っています。