デパートの大食堂

歳はかなりバレているので良いとしますが、子供の頃のデパートのお楽しみは、屋上遊園地とおもちゃ売り場と大食堂でした。田舎者でしたから都会に出るだけで高揚し、都会の象徴たるデパートに行くと言うのは間違い無くハレの場に出ることであり、そういうハレの場のお楽しみが上記の3点セットです。つうか、子供には他のお買い物が退屈だったのも大きかったところです。

このデパートの大食堂ですが、昭和生まれだ、文句あっか!様のデパートの大食堂とお子様ランチによりますと、

 日本で初めてデパートに食堂を設けたのは日本橋白木屋で、なんと明治40年(1907年)のことだ。同年に、若干遅れて三越でも食堂が開業。三越呉服店として日本初の「デパートメントストア」宣言をおこなってから3年目のことだった。

 開業が早かったせいかどうかは分からないけど、お子様ランチのお初を世に送ったのも三越で、昭和5年(1930)に日本橋三越の食堂部主任だった安藤太郎氏(アンタローさんの名でも有名)によって考案された。当時は「御子様洋食(定食)」という名前だったよ。お一人様30銭也ぃ。当時のお子様用ハヤシライスが15銭だったことを思うと、相当に贅沢なメニューだったことが分かるよね。ご飯を山型に盛って旗を立て、おかずにハンバーグやエビフライ、唐揚げ、ナポリタン・スパゲティ、プリンなどを添えてひとつのプレートに盛って出すというお約束は、既に御子様洋食の頃には出来上がっていた。

1930年にはお子様ランチは成立していたようです。ここでのポイントは、デパートの大食堂が子供の憧れになったのは、子供でも歓迎された点だったかもしれません。現在のようにファミレスや回転寿司が普通にある状態ではなく、そうは子供を気軽に外食に連れて行けなかったのもあるように思います。そう言えば子供用の椅子なんてのが出てきた記憶があります。

 デパートの大食堂が全盛期を迎えたのは、百貨店が庶民のものとなった戦後で、高度経済成長期たけなわの昭和30年代も後半になってからだ。飽食と少子化のダブルパンチで何でも屋の座を専門店に明け渡す昭和50年代まで、デパートの大食堂は、最上階まで客を引き寄せ、結果、全階を回らせるという役目を担い続けたのだった。

ありゃ、悔しいほど私の記憶とシンクロしています。昭和40年代、それも前半の頃がデパートの大食堂の黄金期だったかもしれません。この大食堂が急速に衰退したのは、昭和も50年代に入ってからのようです。これも個人的に記憶が残っていて、久しぶりに大食堂で昼食を取ろうと言う話になった時に、その寂れ方に驚かされた記憶があります。

昼食時には列が出来て当たり前だったのが、店内自体が閑散としており、閑散とした店内にお似合いの従業員の数と質みたいな感じといえば良いでしょうか。漠然ともう来る事はないと思いましたし、実際にそれから数年後には栄光の大食堂は消滅していました。


デパートの大食堂が衰退した理由は様々にあると思いますが、単純には大食堂以外の食事の選択枝が出来た事だと思っています。黄金時代には都会とは言え子供連れで家族で食事を取れる店はそうはなかったんじゃないかと思っています。ない事はないと思いますが、現在より遥かに少なかったです。そのうえ、当時は今より核家族化の度合いがマシだったので、デパートでの食事も3世代家族も珍しくなかったのもあるとは思っています。

デパートの大食堂にはステータスもそれなりにあり、3世代家族であっても受け入れられるキャパシティがあり、さらに3世代の誰もが自分の好みを注文できるメニューの多様性も備えていたと言えばよいでしょうか。

衰退理由はこれの裏返しになり、

  1. 子供連れ家族を受け入れる競合店が増えた事による選択枝の多様化
  2. 核家族化がより進み、大人数家族を受け入れる必要性が低下した
  3. メニューの多様性は、結果としてどれもイマイチの評価に変化した
  4. 専門店の台頭によるステータスの低下
とくにメニューの多様性は、客の年齢層の幅広さにに対応していたものですが、多様性の価値が出るのは幅広い年齢層の客が単位と言うか家族として同じテーブルを囲む時には威力を発揮します。ところがこれがバラバラになれば、食べたい物の専門店に行く傾向が出ます。そっちの方が美味しいという理由です。

多様なメニューを用意すると言うのは、裏返しとしてそれぞれのメニューについては、そのメニューの専門店に勝てないと言う事です。そりゃそうで、カレー専門店なら看板のカレーが大食堂のカレーに負けたら存在価値がなくなります。他のメニューでも同様です。だからデパートの大食堂の後に成立したのが味の名店街とか、グルメストリート形式の専門店の集合体に変化しています。

デパートの大食堂とは違いますが、かつて道頓堀に「くいだおれ」と言う店がありました。私は店の前の有名な人形しか見た事が無いのですが、この店も多様なメニュー、品揃えを売りにしていました。しかし全国に名を轟かしたこの店も2008年には閉店となっています。



デパートの大食堂も「くいだおれ」も総合飲食店と表現しても良いと思います。総合飲食店のうち高級路線は現在では成立させるのが非常に難しくなっていると思います。ほいじゃ総合飲食店は現在では消滅したかと言えばそうとも言えないとは思います。高級路線は衰退しましたが、大衆路線はまだまだ健在だと思っています。それこそ社員食堂とか、学生食堂の類です。

生き残っている大衆路線の総合飲食店のポイントは「うまい」「安い」「お手軽」と考えています。「安い」「お手軽」はわかりやすいのですが、「うまい」の評価も今で言うB級グルメ的な「うまい」です。デパートの大食堂は、その位置付けにより「安い」はありましたが、「うまい」の方向性がA級グルメ路線であったのが致命的だったかもしれません。人の感覚は不思議なもので、同じ「うまい」であってもA級グルメ的な評価をするときと、B級グルメ的評価をするときではまったく違います。

つまり総合飲食店のうち高級路線はその成立過程によりA級グルメ評価での「うまい」を他の高級専門店と競う宿命にあり、専門店の成長によりその存在価値を失って言ったとすれば良いでしょうか。これに対し大衆路線は、B級グルメ評価であり、大衆店なりの専門店化があったとしても、まだまだ存在価値を残していると言えそうな気がします。

もう少し言えば、大衆路線で生き残っている総合飲食店は、総合と言いながら他店と競える売りがあります。名物の一品であったり、絶対的な価格差であったり、ボリュームであったりです。



ここでなんですが、高級店と大衆店と言う視点を入れてみたいと思います。両者の違いは「うまい」の評価がA級かB級かもありますが、A級とかB級の根本的な違いは何になるかです。これも独断と偏見で定義すれば、

    A級グルメ評価(高級店)・・・高くて旨い
    B級グルメ評価(大衆店)・・・安くて旨い
この高い安いにはサービス、店の内装などの雰囲気も含まれますが、今日は価格のみの差ととします。ここで一つの命題を出したいのですが、高級店と大衆店に高い安いの差がなくなればどうなるかです。

まず高いほうにそろえば、「高くて旨い」大衆店が成立するかの問題になります。わかりやすく言えば、大衆回転寿司の値段が高級寿司屋と同じになっても成立するかです。ジャンルが違う場合、たとえばラーメン定食とフレンチのフルコースが同じ値段でも成立するかです。

完全に滅びるかどうかはわかりませんが、「高い」という時点で強力なアクセス制限が発生し、同じカネを出すのなら高級店に行こうがモチベーションになると思います。高いカネを払うのは払っただけの代価を強く求めますから、その代価を受け取る可能性が高い店を選択するのが人情だろうと言う事です。

ではでは安いにそろえばどうなるかです。アクセス制限は低くなりますが、高いにそろえた時と似たような状況が起こると推測します。ただ価格によるアクセス制限が緩やかな分だけ、大衆店への選択枝も残る率は高い予測も出てきます。

ではでは「安い」にそろえた時に総合飲食店はどうなるかです。「高い」でもあんまり変わらない様な気がするのですが、飲食店を選ぶ時のポジションが非常に微妙です。デパートの大食堂が滅んだのと同じ理由で高級路線が復活できるとは思えません。大衆路線も現在同様に微妙すぎる位置で、総合と言いながら目玉商品がないと存在価値がなくなります。少なくとも価格差が売り物のところの存在は非常に難しくなります。



私の良く知ってる「とある業界」も、総合店路線から専門店路線に変わっていっています。そこの業界はかなり昔に「高い安い」の価格差が乏しくなった業界で、価格差は「安い」に傾いているとして良いかと思っています。そういう状況で客は総合店と専門店のどちらを選びたがるかと言えば専門店指向が強くなっています。それもより高級な専門店です。

大衆店も総花式の総合店がかつては主流でしたが、総花式では商売が難しくなり、それぞれに特色を出す専門店化が生き残りの課題になっています。ま、同じ価格なら専門店の方が「おとく」というところでしょうか。ただ専門店ばかりになりすぎて、客の需要に応じきれなくなる問題が表面化しています。そこで再び総合店を復活させようとしています。

総合店の復活自体は理屈として、そこの業界人は理解しています。机上論としては反対ではありませんが、ごく素朴な疑問として、客の指向がここまで固まった状態で、総合店だけを作っても食っていけるのかです。さらに復活のついでにオマケがテンコモリ載せられている事に大いなる懸念を抱いているわけです。

長々とデパートの大食堂の話を書いたのは、もしデパートの大食堂を復活させたければどうしたら良いのかの分析と思って頂ければと存じます。復活させたければ、復活できるだけの条件整備がセットだと言う事です。強引に現在の専門店街を撤去して大食堂を復活させたところで、どうなるかは誰でもわかるかと存じます。専門店街と並立させたらなおさらです。


この総合店構想も言われだしてからそれなりの年月は経っているのですが、未だにそもそも論が残っています。どういうターゲットを狙っているかです。新たな形態の店を作るのであれば、そこは具体的にどういうマーケット対象を想定するかです。現状を図式化すれば、

これに総合店だけ復活させても、
現状になったのは、もともとこういう図式から総合店が縮小消退したのですから、このままでは復活は困難です。そうなると総合店の位置付けとして考えられるのは、
これは日本以外の国々で多く取られている方式にやや似ています。ただし客の店のアクセスは悪くなります。何が何でも総合店の通過がないと次の専門店を訪れる事が出来ないからです。今まで自由に店を選べていた客から当然のように文句が出ます。どうやら目指しているのはどうやらこの方式のように見ていますが、10年単位でそもそも総合店の数が圧倒的に不足しています。

であれば過渡期として、

こういうのが考えられますが、大衆専門店に比べて総合店の分が悪いのは2番目の図から総合店が縮小消退したのと似ています。こういう構図で総合店が発展するには、大衆専門店を増やさないようにし、一方で総合店しか新規で作らないようにする必要が生じます。図式にすれば簡単そうですが、大衆専門店を減らすないし増やさないだけでも相当な強権が必要です。

長い目で見ればそうなっていく予想もありますが、3番目の図になるのはいつの事でしょうか。10年じゃ難しいと思います。かなりの強権を揮っても20年は必要ではないかと思います。それも途中で政策が変わらないのも必要な前提です。政策が変わる大きな要因としてアクセス制限による客の不満は必ず出ます。この客の不満は時に政府を動かすだけでなく、政権さえ倒すほど強いこともありえます。

もしも客の不満により政策が変わり2番目の図式で足踏みすると、総合医の居場所は危うくなると予測します。専門店との競争が不利なのは歴史が証明しています。ま、将来の図式がどうなるかを自分の責任で判断するしかないお話ではあります。早い内に3番目の図が完成すると予測するのも一つの判断ですし、どこかで挫折すると予測するのも一つの判断です。

両方を考えながら動くと言うのももちろんありえます。ただ現時点でわかっている情報は、総合店養成は純総合店養成路線です。専門店から総合店への衣替え路線はさして考慮されている形跡が乏しいところがあります。その辺に何か思惑もあるのでしょうが、両にらみ路線が果たして可能かは私ではなんとも判断がつきません。すべては不確実な将来予測になります。

この業界も大きな変動期に突入しており、将来の予測は非常に難しくなっています。これからこの業界に参入する人々はどの路線に将来性があるか、難しい判断が迫られていくように思っています。