セレネリアン・ミステリー:アダムとイブ

 「あらユッキー副社長、どうされたのですか」
 「だ か ら、こうやって無理やり登場しないと今回は出番が無いのよ」

 やっぱり寂しいのだろうな。

 「コトリ、なに調べてるの」
 「人類や」
 「歴女もそこまで遡ったの?」

 霊長類の祖先は八千五百万年前にも遡るとされ、六千五百万年前の化石が北アメリカで発見されています。そこからサルやゴリラと分岐していき、約七百万年前にチンパンジーと分岐したとなっています。

 そこでヒト属が生まれるのですが、原人から旧人に進化し、二十五万年前に新人であるホモ・サピエンスが誕生し今に至るとなっているぐらいです。ただ進化と言っても一遍に入れ替わった訳じゃなく、原人と旧人、旧人と新人が混在した時期はあります。

 「人類の祖先がアダムとイブに行きつくのは面白いよね」
 「それって創世記じゃ」
 「それに喩えてるだけだよ。日本ならイザナギ、イザナミかな」

これじゃわかりにくいですが、

 ・Y染色体アダム
 ・ミトコンドリア・イブ

 これを調べたからとなっています。これは遺伝子の系統検査法の一つです。遺伝子は子孫を残す時に組み換えが起るのですが、Y染色体の特定部分と女性のミトコンドリアDNAにはそれが起らいないのです。

 「ここで注意やけどY染色体アダムは息子にしか伝わらず、ミトコンドリア・イブは娘にしか伝わらへんねん」

 たとえばY染色体カインを持つ夫婦の娘が、Y染色体アダムを持つ男との間に息子をもうけた場合、その息子にはY染色体カインではなくY染色体アダムが伝わる事になるのです。ミトコンドリア・イブも同様です。

 「これはミトコンドリア・イブから見た方がわかりやすいかもしれん」

 ミトコンドリア・イブは娘にのみ伝わります。これが現在まで伝わるためには、ミトコンドリア・イブを持つ初代の娘から現在に至るまで、必ず娘が生まれて、なおかつ娘をまた産む連鎖を途切れることなく続けていたことになります。

 「もしどこかの世代で息子しか生まれんかったら、そこで途切れて消えてしまうんや」
 「イブ以外の系統は?」
 「残らへんかってんやろ」

 ここで誤解されやすいのですが、すべての女性の始まりではありません。ミトコンドリア・イブ以外の遺伝系統は絶滅した訳でなく、息子を通じて残されています。イブを持つ母系の直系の遠祖が一人の女性になるぐらいです。

 「Y染色体アダムも同じようなもんや」

 Y染色体アダムも必ず息子が現在まで連綿と生まれつづけたことになります。この世代間の遺伝の断絶は年数が長いほど確率的に起るため、Y染色体にしろ、ミトコンドリアにしろ、遺伝系統は減る傾向になるとされます。

 「アダムとイブの遺伝系統が減少するのはわかるのですが、それ以外に残らなかったのは極端ですね」
 「地球人全部検査したらおるかもしれんけど、たぶんおらへんやろ」
 「それとヒトって一種なんですよね」

 ヒトはチンパンジーが七百万年前に分岐した後、原人、旧人、新人とさらなる分岐を続けているのは確認されていますが、最後の分岐は十六万年前のホモ・サピエンス・イダルトゥが最後とされています。

 この辺は議論も多く、イダルトゥから現在のホモ・サピエンス・サピエンスに進化したのか、そうでないかはありますが、現生人類がホモ・サピエンス・サピエンスの一種しか存在しないのだけは間違いありません。

 「なぜそうなったかトバ・カタストロフで説明されてるわ」

 七万年前のスマトラ島のトバ火山が大噴火を起こしています。ともかく桁外れの大噴火であったとされ、大気中に巻き上げられた火山灰は日光を遮り、気温を五度下げたとされます。このためヴュルム氷期に突入し、これが六千年続きます。

 ヴュルム氷期は最終氷期とも呼ばれますが、最終氷期の時代に殆どのヒト属は絶滅し、生き残ったのはネアンデルタール人とホモ・サピエンスの二系統のみだったと考えられています。

 「ヒト属の分岐は十六万年前で終っているのよ。それ以降はあらへんかったでエエと思う」
 「それは完成型だったからですか?」
 「わからないけど、ボトルネック効果で一応説明されてる」

 ボトルネック効果とはある種の数が短期間で減少し、そこから再繁殖した場合に遺伝的な多様性が失われる現象ぐらいで良いみたいです。ホモ・サピエンスは最終氷期中に人口が激減したがために遺伝的多様性が乏しくなり、新たな進化の分岐が起らなかったぐらいの説明になります。そこでユッキー副社長が、

 「やはりトバ・カタストロフの影響は大きかったと言う事よね」
 「推測によったら七系統ぐらいしか残ってなかったとなってるぐらいや」

 これはY染色体やミトコンドリアDNAだけでなく、他の遺伝系統もそうであったと見れるようです。

 「見ようによっては純血種みたいなものですね」
 「そういうこっちゃろな」

 遺伝子の多様性が失われ、ある種の純血状態になったがために、新たな人類の分岐も起らなくなったで良さそうです。

 「ここで一つだけおもろいのはミトコンドリア・イブは二十万年以上も遡れるとしてるんや。もっとシンプルにホモ・サピエンスの誕生の頃からあったとしてエエやろ」
 「Y染色体アダムはそうではないのですか」
 「そうなるはずやねんけど、六万年前どころかもっと遅いの研究まで出てるんよ」

 どういうこと。

 「突然変異やないかとされとるけど、そんなもん調べようがないわ」

 たしかに。ここでユッキー副社長が、

 「遡れる説もあったはずよ」
 「二十一世紀の初めの頃は絶対そうなるってしてたけど、最近ではそうやないが優勢や」
 「じゃあ、アダムとイブは結婚していない」
 「してるよ。今だってどれだけの数のアダムとイブが結婚してることか」
 「そうじゃなくて初代同士です」
 「今の話ならそうね。少々歳の差がありそうだもの」

 アダムとイブはとりあえずこれぐらいにして、

 「ネアンデルタール人が絶滅したのはホモ・サピエンスとの生存競争に敗れたからですか」
 「かならずしもそうやないみたいやねん・・・」

 ネアンデルタール人は四十万年前に出現しているけど、トバ・カタストロフを生き残るぐらい生活力もあったのは間違いありません。さらに知能も石器を使いこなし、火の利用も積極的だったのも確認されています。

 「これも仮説やけど四万年前にコーカサスやイタリアの火山が一斉に大噴火して、その影響でヨーロッパ中心に暮らしていたネアンデルタール人は絶滅に追い込まれ、アフリカやアジアにも幅広く住んでいて生き残った説があるわ」

 この辺も議論があり過ぎて、わからない部分が多いみたいですが、ネアンデルタール人の脳の容量はホモ・サピエンスより大きく、骨格も頑丈で骨格筋も発達していたとなっています。ライバルであったホモ・サピエンスに負けない要素もあったと考えている者も少なくないそうです。

 ホモ・サピエンスとの生存競争に敗れたとする説で有力な考え方の一つとして、ホモ・サピエンスの知能がある時期から急速に発達したためとするのがあります。

 「ホモ・サピエンスがこれだけの知能を急速に発達させた理由もはっきりしないところがあるんや」

 旧人時代から石器の使用は始まってるけど、その進歩は非常にゆっくりしたものになってると結論されているで良いと思う。それが五万年前ぐらいから突然って感じで急速に発達したで良さそうなんだけど、

 「ホモ・サピエンスの発生は二十五万年前ですが、それが五万年前に急速に知能が発達した理由は」
 「それを考えるのが歴女の楽しみ。学者の仕事とは別物やで。歴女の血が騒ぐで」

 なるほどこれも歴史の謎か。でもかなりディープな感じ。文献なんてありようも無い時代だものね。