渋茶のアカネ:三十階仮眠室にて

    「ユッキー、なんか用か。わざわざここに呼び出しって大層やんか」
    「そうよ大事な用事よ」

 なんやろ。大学や大学院通ってる間はお互いフリーが原則やねん、用事があるとしたら女神の仕事、そうイタリアでやった天の神アンの残党騒ぎクラスや。

    「また変なんが湧いて来たとか」
    「それはだいじょうぶ」
    「だったら」
    「でも、これもある意味、女神の仕事」

 ある意味ってなんじゃろ、

    「シノブちゃんは?」
    「旦那さんの看病で休職中」
    「ミサキちゃんは?」
    「こっちも旦那さんが入院しちゃって」
    「マルコが!」

 あの歳になっても瞬間湯沸かし器は健在みたいやねんけど、怒って滑って転んで骨折。

    「ボケなきゃ、イイけど」
    「ホントにね」

 まさかユッキーの奴、シノブちゃんも、ミサキちゃんも不在だから寂しさの余りコトリを呼んだとか。それなら、それで相手したらなしょうがないけど、ユッキーが宿主代わりの時にはどうする気やろ。

    「クレイエール・ビルも五十年になるのよね」

 そやなぁ、これ建てたんは綾瀬社長の時代やもんな。

    「少々老朽化したのと、さすがに手狭になってきたから建て替え考えてるのよ」
    「もうちょっとだけ待った方がええんちゃう」
    「その辺は考えてるけど、コトリと基本意見を一致させときたいし」

 建て替え時のネックはミサキちゃんだもんな。やるならミサキちゃんが宿主代わりに入った時期しかあらへん。

    「前のプランか?」
    「コトリの意見は」
 前のプランを練ったのは三十年ぐらい前だっけ。エレギオンHDが設立された時に、本社ビルを新築しようってなったんや。三ノ宮の駅前に土地も確保しとってんけど、駅前再整備事業と絡んで消えてもた。

 エレギオン本社ビル新築の話が頓挫した表向きの理由はそれやけど、裏の理由もあって、仮眠室の拡大プランを考えとってん。今のはワン・フロアに建ててるから、平屋やし、屋根も格好悪いやんか。

 ユッキーも玄関を吹き抜けにして大きな階段作りたいっていうし、コトリもあれこれ部屋が欲しかってん。そこで出来上がったのが五フロア分使っての三階建て計画。これやったら二人の希望をほぼ盛り込めそうやってんよ。

 しかしミサキちゃんが大反対。まあわからんでもない。それだけのビル内建築物を建てるとすれば、ビルの構造をよほど強化しないといけないし、仮眠室だけで五フロアも取るのは誰から見ても非常識だし、住んでるのは二人だけだし。

    「さすがに五フロアぶち抜きは拙いんちゃう」
    「コトリもそう思うよね」

 ユッキーの出してきたのは三フロア・プラン。

    「三フロアといっても、ぶち抜きは二フロア分にする。規模は今とあまり変わらないけど、屋根がちゃんと出来るのと、ロフトが作れるよ」
    「ロフトは感じ良さそうやん」
    「それと庭がちゃんと作れるの」

 いまの庭は床の上にうっすら土を敷いた程度。とにかくワン・フロア分しか高さがないから、木を植えるのも大変。

    「なるほど、一階目は社長室とかの役員室やな。仮眠室に入るには一階目からの専用エレベーターってわけか」
    「どう」
    「コトリは賛成やけど、どうせミサキちゃんが宿主代わりに入らへんかったら、手つけられへんやんか」
    「それはそうなんだけど、今回の話ってわたしもコトリも出番がないじゃない」

 たしかに。

    「このままじゃ、出番なしで終りそうじゃない」
    「そんなことは・・・あるかも」
    「でもこれってシリーズものだし、このシリーズの真の主役はわたしだし」
    「違う主役はコトリだ」

 おっとここで喧嘩したらあかん。

    「とにかく飲もか」
    「そうね。そうだそうだ、コトリに飲んでもらいたいビールがあるんだ」

 あれ、缶ビールかいな。それも冷やしてないし、コトリは温いビールはあんまり好きじゃないんだけど、飲まへんのも悪いし。

    「これ、これって、まさか、あの時の・・・」
    「そうあの時のラウレリアのビールを再現したつもり。コトリにもそう思ってもらえたら成功かな」

 懐かしいなんてものじゃない。二度と飲む事なんてないと思ってた。

    「ヒントは?」
    「グルート・ビールよ」
    「でもあれは何となく似てるけど、やっぱり違うで」
    「ダテに九年間も遊んでなかったよ」
    「そういうのを遊んでるって言うんやんか」

 エレギオン黄金時代の掉尾を飾る珠玉のビール。これが現代のエレギオンに復活するなんて。あの頃の思い出が一遍に甦る気分や。

    「コトリ、あの夜に終わっちゃったけど、またここから始めよ。今度こそ二人でエレギオンの平和を守ろう」
    「もちろんや。あんな事には絶対にさせない。コトリとユッキーが組めば世界最強やし、今は主女神だって復活してる。真の黄金時代を思う存分謳歌するんや」

 ユッキー、ありがとう。今日の本当の目的はコレだったんや。あの苦しいアングマール戦のさなかにユッキーが見えた平和な世界まで生き抜いて来れたんだ。後は楽しまないと。

    「ユッキー、ビールはあるの」
    「それがね・・・」
    「・・・わかった、わかった協力する。二人でコンビを組めばすぐに問題は解決」

 山のような試作品が溜まっていて、飲んで処分するのに悪戦苦闘中だって。

    「ユッキー。こっちのはイマイチ過ぎるで」
    「なかなか難しくてね」
    「でも、当時やったら一級品や」
    「あははは、そうとも言える」

 現代のビールも大好きだけど、当時のビールは格別。現代人の口にはあわへんかもしれんけど、これこそが世界で二人しか覚えていないエレギオン時代のビール。

    「コトリ、こっちなんだけど」
    「うん、これは踊る魚亭だよ」
 そう、あそこからの苦しいことを思い出すんじゃなくて、あそこからあの戦争がなく続いて築いたはずの時代を作るんや。来年からコトリも復活だし。