日曜閑話79-4

今日は古代の銅精錬についてのムックです。


銅の精錬法

新井宏氏の「青銅器中の微量成分と精錬法」から受売りです。新井氏は青銅器中の鉄、ヒ素アンチモンに注目して論文を書かれています。まず銅の精錬に用いられた原料として、

最初に自然銅が、ついで赤銅鉱(Cu2O)や孔雀石(CuCO3・Cu(OH)2)などの酸化銅鉱石を製錬した銅、そして最後に黄銅鉱(CuFeS2)などの硫化銅鉱石を製錬した銅が用いられたと考えられている。

で原料の違いにより精錬法が変わり微量成分の構成もまた変わる事になります。大雑把に表にまとめると、

原料 精錬法 ヒ素 アンチモン
自然銅 微量 微量 微量
酸化銅 低温精錬 微量 定量 定量
高温精錬 増える 微量 微量
硫化銅鉱 高温精錬 定量 微量 微量
酸化精錬 微量 微量 微量
酸化精錬が可能になったのは比較的最近の事とされ、古代では高温精錬までだったとされます。ポイントは銅鉱石を用いた場合、
  1. 精錬温度が高いほど鉄が多く含まれる
  2. 精錬温度が低いほどヒ素アンチモン含有量が増える
これぐらいに理解して良さそうです。でもって新井宏氏の分析結果ですが、

弥生時代古墳時代の青銅器中の微量成分が、世界各地の青銅器中の微量成分とほぼ同一な傾向を示している

これだけでは判りにくいと思いますから

Craddockによれば、ヨーロッパ各地の青銅器の鉄分析値を5000件近く集めて解析した結果、青銅器時代の初期ほど、他の不純分は多いのに鉄の値が低く、後期になると不純物はむしろ減少するのに、鉄の値は高くなって行くという。その原因について、青銅器時代の初期には、比較的鉄分の少ない高品位の鉱石を使用したため、流動スラグの形成が不十分で、銅中に鉄が入る機会が無かったことを挙げているが、要は低温製錬のためと考えても良いであろう。

新井氏は精錬温度の差に結論を持って行っておられますが、私は初期ほど自然銅を使う比率も関連していると見ています。初期は入手しやすい自然銅を使う事が多く、自然銅が枯渇して来れば酸化銅鉱も使うようになった部分も複合してくるぐらいの見方です。ここはこれぐらいで良いと思います。


新井氏の論文から、

鉄分に対して錫含有量の影響が認められることから、弥生時代の青銅器の場合、錫は錫石の形で、鋳造溶解時に添加された可能性が高い。

これは新井氏だけではなく、青銅器研究の論文でも良く言及されているのですが、これに関連して古代銅コインのケイ光X線分析(第4報)に興味深い事が書いてありました。これによると、

日本の弥生時代の青銅が、古墳時代の青銅に較べて、錫の含有量が少なく、銅の純度が高い

従来はそうなっている説明として

大陸から移入された青銅器の再溶解による

こうされていたそうです。これを古代の銅貨を使って検証した論文です。結果として錫は再溶解しても蒸発しにくい一方で、鉛は容易に蒸発するの結果を示しています。ところが弥生時代の青銅は鈴が少ない一方で、鉛も一定量含まれている事が判っています。言い換えるともし輸入青銅器の再溶解によるものであれば、

  1. 錫の含有量は輸入元の青銅器に近いはずである
  2. 鉛の含有量は輸入元の青銅器よりかなり低いはずである
そうなっていないので、輸入青銅器の溶解説には疑問が生じる部分があるぐらいです。


国産か輸入か

長々とムックしてきたのは、日本の弥生時代の青銅器の原料が輸入青銅器(さすがに銅の延べ板とか銅鉱石は輸入しないでしょう)なのか、国産なのかです。いろいろ情報を漁ったのですが、輸入説が強いようです。しかしムックしてみるとそうとも言い切れない情報もあるのが判りました。細かい事を言うと青銅器でも、弥生時代古墳時代では成分が違い、奈良期(大仏建立)になると全く違うそうです。この辺は技術の進歩もあるとは思います。で、今注目したいのは弥生時代の青銅器です。

最初の論文から考えると、日本の青銅器はまず自然銅から作られたものが多いと考えます。並行して輸入青銅器はあったと思いますが、考えてみれば貴重な輸入品をドンドン再溶解する必然性が乏しい気がするからです。精錬技術も加工技術もどう考えても大陸の方が格段に上と考えられるからです。再溶解されたものもあったでしょうが、かなり限定される気がしています。ただ自然銅は精錬加工しやすいですが、採れる量も限定されます。そこで酸化銅の精錬ぐらいまでは進んだ可能性はあると見ています。

日本の青銅器文明は他国とやや違う様相で展開しています。通常なら石器時代の次に青銅器時代があり、その次に鉄器時代に移行するのですが、日本では青銅器と鉄器がほぼ同時に大陸から導入されたと考えられております。鉄器の溶解の方が高温が必要なので酸化銅の利用ぐらいは可能だったと見ます。一方で錫の入手が難しかった可能性を考えています。青銅器は錫が含有される事によって強度を増すのですが、その錫がそう簡単に手に入らなかったんじゃなかろうかです。そのために輸入青銅器をあえて混ぜ合わせて強度を増した可能性ぐらいは考えても良いかと思っています。


奈良の青銅器

弥生時代の奈良で自然銅が採れたかどうかですが、採れたそうです。この根拠は前に五色塚古墳を見学に行った時に、神戸市の学芸員の方から聞いたものです。奈良では銅が採れたので古代文化が栄えたと。ホンマかいなと言うところですが、とりあえず東吉野村の三尾鉱山は自然銅の採取で有名だったそうです。ただ弥生時代に採取されていたかどうかは何とも言えません。他はないかと探していたら2つほど見つかりました。

鉱山名 場所 産出物
竜神鉱山 御所市朝町 輝銅鉱、斑銅鉱、黄銅鉱、輝水鉛鉱、ブロシアン銅鉱、珪孔雀石
三盛鉱山 御所市朝町 斑銅鉱、黄銅鉱、硫砒鉄鉱、輝水鉛鉱、赤銅鉱、孔雀石、藍銅鉱、ブロシアン銅鉱、珪孔雀石
奈良盆地内でも銅鉱石が採取できていた事がわかります。それなら自然銅もあっても不思議はないと考えられます。ここで話を銅鐸に持って行きますが、wikipediaより、

  • 紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された
  • 1世紀末ごろを境にして急に大型化する。
  • 銅鐸は2世紀代に盛んに創られた。

銅鐸は紀元前2世紀から作られていますが、紀元1世紀末に急に巨大化し、2世紀頃に盛んに制作されたとなっています。ちょうど弥生時代の後期、古墳時代の手前の時期になります。でもって銅鐸(近畿式)の分布は銅鐸分布考様より、

神武東征伝説の時期を2世紀中と前は推測しましたが、1世紀まで遡るのは十分可能です。銅鐸の大型化との関連性を考えている次第です。