古代製鉄のムック2・欧州の鋼鉄史編

今日も基礎知識編です。基礎知識と言うより私の誤った先入観の訂正と理解のために書いています。


鋼鉄の生産法

製鉄法自体は紀元前15世紀のヒッタイト時代には遅くとも出来ているのですが、古代の製鉄法では鉄鉱石の産地によって出来上がった鉄が鋼鉄になるか、錬鉄になるかが決まっていたようです。そのため欧州ではかつて鋼鉄と錬鉄は別の鉄だとまで認識されています。鋼鉄は刃物やバネなどに有用な金属であり、そのために鋼を作れる鉄鉱石は珍重されたぐらいです。錬鉄にならずに鋼鉄になる鉄鉱石の条件は、どうも低リン・低硫黄だけでなくマンガンが大量に含まれていたためとされます。

鋼鉄が出来る鉄鉱石が限られていたため、錬鉄を鋼鉄に変える方法も考案されています。これも長い間「秘伝」だったようですが18世紀のフランスで科学的に解明され滲炭法として確立され普及します。しかし滲炭法で錬鉄を鋼鉄に変えるのは当時としては大変な手間がかかり、鋼鉄は貴重品として扱われていたようです。

古代の製鉄法は低温での製鉄であったので、直接錬鉄や鋼鉄が得られましたが、この方式では生産量が少なく、さらに出来上がった鉄を取り出すのに炉を壊す必要がありました。そこに登場したのが高炉方式です。14〜15世紀に登場したとなっていますが、高炉の基本原理は、

  1. 炉内を1500℃以上にする
  2. 上から鉄鉱石を投入する
  3. 下に落ちる間に酸化還元反応が起こり、銑鉄と鉄滓になる
  4. 溶けた銑鉄と鉄滓が下から流れ出す
鉄より鉄滓の方が軽いので分離は容易だそうです。この方式なら鉄を取り出すのに炉を壊す必要がなく連続製鉄が可能になります。現在の製鉄もこの方式が基本の理解で宜しいかと思います。高炉方式の生産効率は桁外れで、古代製鉄法がキログラム・オーダーであったのがトン・レベルに増えることになります。

ただ高炉方式で得られる鉄は銑鉄です。高炉は炉内の温度が現在では2000℃以上、当初でも1500℃以上になっていたそうですが、これは鉄の融点を越える一方で炭素を取り込みやすくなるそうです。古代製鉄では炭素の少ない錬鉄に炭素を加える方法が求められましたが、高炉方式で銑鉄の大量入手が可能になると、今度は銑鉄から炭素を抜いて鋼鉄や錬鉄を作る方法が求められることになります。そういう脱炭素の手法の一つとして誕生したのが反射炉の理解で良いようです。

反射炉の基本原理は石炭と銑鉄を直接接触させずに熱する点の理解で良いようです。石炭の燃焼室と溶解室は分離されており、燃焼室からの焔が溶解室を熱する手法ぐらいでしょうか。反射炉と言えばパドル法が出てくるのですが製鉄の歴史より、

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銑鉄(融点は1200℃)を熱して炭素が減っていくと融点が高くなり粘りが出てきて均一の脱炭素が出来なくなるので、小窓から棒(paddle)を突っ込んで攪拌し、最終的には球状の鉄に仕上げる方法のようです。反射炉では銑鉄を溶かす1200℃は得られましたが、錬鉄の1400℃までは得られなかったのでこういう手法が必要であったとなっています。後は取り出した鉄を高温下で圧伸・圧延して滓を除けば銑鉄が錬鉄になります。ただこの方法では10数時間を必要とするため大量生産に向かなかったのと「どうも」普通にやると錬鉄になってしまうので、鋼鉄の大量生産のためには19世紀のベッセマーの転炉の誕生を待つ必要があったようです。


ベッセマー転炉

ヘンリー・ベッセマーは銑鉄に直接空気を起こりこめば炭素や珪素を除去できることを発見します。これも製鉄の歴史より

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具体的な手法としては、高炉から取りだれた銑鉄は取り鍋に注がれ転炉に運ばれます。転炉を傾けて取り鍋から銑鉄を注入し、空気を送り込みます。そうすると最初は珪素が静かに燃え始め、続いて炭素が爆発して燃えます。この燃焼熱は1500℃を越え、わずか20分程度で炭素を1%程度に減らす事ができます。後は再び転炉を傾けて取り鍋に注ぎ、取り鍋から鋳塊台に注げば鋼鉄が出来上がります。ベッセマー転炉が革新的なのは空気を送り込むだけで、新たな熱源が不要なのと、炭素の除去時間が非常に短いことです。ベッセマー転炉は改良は行われていますが、現在でもベッセマーが考案したスタイルで使われています。

ベッセマー転炉は鋼鉄の生産量を飛躍的に増やしましたが、欠点もありました。反射炉では低温であるため燃えてしまうリンや硫黄分が、高温であるが故に鋼鉄に取り込まれてしまう点です。そのために良質の鋼鉄を得るには低硫黄の鉄鉱石が必要で、それは北欧やロシア、アメリカから輸入する必要がありました。脱リンはトーマス転炉で成功しましたが、脱硫黄は「どうも」平炉の発明まで待つ必要があったようです。平炉は脱リン・脱硫黄も容易であり、1950年代には鋼鉄生産の9割を占めるほどになっています。

ベッセマー転炉の欠点は他にもあり、鋼鉄中に窒素も多く取り込まれてしまう点もあったようです。これについては戦後になり純酸素が容易に入手できるようになった事で解決したようです。空気の代わりに純酸素を送り込むことで低窒素鋼の生産が容易になり、硫黄もリンも少なくなり平炉より鋼鉄の品質が良くなったそうです。改良されたベッセマー転炉は平炉を圧倒し、現在の鋼鉄の殆どはベッセマー転炉が作っているとして良さそうです。


雑感

古代製鉄法は量産に難はありましたが、低温での製鉄のため不純物の少ない錬鉄、良質の鉄鉱石が得られれば鋼鉄を作る事も可能でした。大量生産のために高炉が発明されたのは画期的でしたが、その代わりに得られるのは銑鉄になっただけでなく、硅酸やリン、硫黄の不純物が多く含まれることになり、これの除去技術が求められます。

欧州の鉄の歴史を調べていて、なかなか理解できなかったのは銑鉄・鋼鉄・錬鉄のうち最後に出来たのが銑鉄であった点です。先にたたら製鉄をある程度調べていたのですが、たたら製鉄はまずズク押し法と呼ばれる銑鉄を作る手法が先行しています。そこから大鍛冶場で再び加熱し鋼鉄や錬鉄に作り替える作業工程です。欧州と違い、直接錬鉄や鋼鉄を作るケラ押し法が普及したのは天文年間以降で大規模に作られ始めたのは19世紀になってからとなっています。

たたら製鉄の歴史を読んでいて先入観として、まず製鉄は炭素の多い銑鉄が作られ、そこから技術改良で鋼鉄、錬鉄と進んだと思っていたので、欧州の鉄の歴史を調べていると「あれれ」となったってところです。古代の製鉄法の原理自体はたたら製鉄でも、欧州古代のレン炉も中世のシュトゥック炉も大差はないぐらいに思っていますが、たたら製鉄ではわざわざ銑鉄を作っていたのだろうの疑問です。

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