こりゃ、どう転んでもみたいな・・・の続編

続編と言うぐらいですから初編があるのですが、これが随分前で、

これを書いたのが2010年9月16日になります。ほぼ3年前になります。当時引用したマスコミ記事が残っていないかと探してみると、あるもんですねぇ、めでたく全紙見つかりました。いずれも一審判決の様子を伝えているのですが、今回の続編は二審判決の様子になります。ここで簡単な年表を作っておくと、

年月日 経緯 経過日数
2001年12月18日 36歳男性が発熱・頭痛・嘔吐で開業医受診 0日
2001年12月19日 翌日意識不明となり緊急入院 1日
2005年1月6日 死亡 1115日
2010年9月13日 一審判決 3191日
2013年7月31日 二審判決 4243日


亡くなられた男性の御冥福を謹んでお祈りします。リンク先を読んで頂ければそのままなんですが、死亡男性の病名は細菌性髄膜炎です。医師なら聞いただけで震え上がる病名ですが、経過としては診療所に受診した翌日には入院治療が開始されています。もちろん診療所医師が受診時に髄膜炎なり他の重篤な疾患として入院が必要であると判断したわけでなく、受診翌日に意識不明状態になり救急搬送から緊急入院となったためです。入院後の経過については詳細は不明ですが、意識の回復はなかったようで、入院から3年後に多臓器不全で死亡となっています。

司法の因果関係と医学的な見方は相違が多々ありますが、細菌性髄膜炎の治療は終わっている気がします。細菌性髄膜炎は本当に手強い病気で、生命を助ける事がまず大変な上に、重篤な後遺症、つまりこの死亡男性のように意識が戻らない事も多々あります。他にも痙攣とか、運動麻痺が残る事は珍しいとはとても言えない病気です。「治った」の概念は様々に変わりますが、医学的には細菌性髄膜炎重篤な後遺症は残ったが治ったの言い方は出来るかと思います。

たぶん司法的にはそうではなく、死亡したのは細菌性髄膜炎の後遺症だから細菌性髄膜炎の治療が的確に行われていたら、重篤な後遺症も残さず3年後に死亡する事もなかったの見方で訴訟として争われたのではないかと思っています。判決はマスコミ情報しか無いので極めて断片的なんですが、一審では、

診察直後に検査と治療がなされても、何らかの後遺症があった可能性は否定できない

この「なんらかの後遺症」とは命に差し障らない軽度のものを想定している印象があります。でもって一審判決は7440万円の損害賠償請求に対し、5565万円を認めています。この一審判決時に疑問の声として上ったのは主に2点で、

  1. それだけの症状で細菌性髄膜炎を疑えるか
  2. 治療開始が1日遅れただけで治療結果にそれだけの差が出ると言えるか
診断の困難さは症状からの鑑別の難しさもありますが、患者数が少ないもあります。医師が症状から考えていく診断は頻度と重症度の両面からではありますが、あまりにも頻度の少ない疾患はいくら重症でも順序が下がります。細菌性髄膜炎の発症数は事件のあった2001年で全国で272例。さらにこのうち0〜4歳児が6割を占めますから、成人例は全国で100例足らずとも考えられます。さらに鳥取県全体では2001年に6例、境港が含まれる西部地区ではこの1例だけです。

そうですねぇ、内科医なら専門にもよりますが一生のうちに1例とか2例ぐらい、ゼロである可能性もあります。私だって2例ぐらいしか経験ありません。さらに厄介なのは診断の決め手の検査法が髄液穿刺になります。これが結構侵襲度の高い検査でして、そうそう手軽に「念のために」とか「一応」とか「ついでに」レベルでは行えない検査です。ちにみにうち程度の診療所では検査さえ行えません。採血や画像検査だけでは重症感染はわかっても、髄膜炎かどうかはまず診断できないとして良いかもしれません。

1日違いの治療成績の差も相当で、意識不明にもならず、後遺症も軽度のものにしかならない「高度の蓋然性」があると認めた一審判決になっているようです。そりゃ感染症治療ですから早い方が良いに決まってますが、そこまで明瞭に違うと断言できる医師は少ない気がします。なにしろ、

病院での検査を勧めていれば死亡は避けられた

この「死亡」とは上述したように細菌性髄膜炎の治療後の重篤な後遺症が無かったになるからです。たんに治療して救命するだけなら出来ているからです。JBM華やかなりし頃でしたから震え上がった医師は少なくなかったと思います。医師から見るとかなり無理がありそうな一審判決でしたが、判決の決め手になったのは、

岡山大の感染症専門家による鑑定結果を判決は全面的に採用した

たぶん教授ないしそのクラスだと推測されますが、誰だったんだろうの声が3年前にはありました。遺憾ながらこの鑑定医は特定できていません。二審判決は簡明で、

高裁判決は、別の専門家の鑑定結果から「発熱や頭痛だけで髄膜炎の兆候とは認められない。急性気管支炎などと診断したことは当時の医療水準から不適切だったとは認められない」とし、医師に過失はなかったと結論づけた。

これもあえて付け加えれば当時だけでなく「今」も基本的に変わっていないと思っています。でもって訴訟は最高裁まで争うと原告側代理人は申しておられるそうです。7/31で事件発生以来4243日、最高裁が何らかの最終判断を示すまで後何日かかるのだろうと言うところです。それと2010年の記事を読み返しながら気付いた事が一つあります。

  • 市内の診療所(廃止)の理事長だった男性医師
  • 鳥取県境港市の診療所の開業医(現在は閉鎖)
  • 診療所(閉鎖)の50歳代の男性医師

これもいつ診療所を閉鎖されたのだろうです。一審判決時(2010年)に50歳代とすれば事件発生時(2001年)は40歳代と考えられます。こちらもお気の毒な事だと思います。そうそう死亡男性は

判決によると、男性は2001年12月、高熱や嘔吐(おうと)の症状を訴えて初めて同診療所で受診

まったくの初診だったようです。まったくの初診だったからと言って診療内容が変わる物ではありませんが、なんとなくですが、その日にこの男性患者がどこを受診するかで運命は決まっていた気がします。他の診療所だから運命が変わったのではなく、他の診療所であれば、その診療所も同じ運命になったであろうです。最初に病院を受診されていたら病院及びその担当医がそういう運命になったかもしれません。私だってこの運命を避けられたとは到底思えません。

最後にもう一度故人の御冥福を祈らせて頂いて続編は終わりにさせて頂きます。