故郷の電車

ローカルネタも良いところですが、旧友と少しばかり盛り上がった余韻ですので、良ければお付き合い下さい。

故郷に行く時は電車を利用しますが、この電車もかつては座るのも大変な混み様でした。神戸で座りそこなうと故郷まで立ったままもよくありました。そのうえ、よく揺れるし、遅いし、冷房はない(今はあります)し、1時間に2本しかないしとなかなかのローカル線でした。たぶん黒字線であったはずです。高校もこれで通いました。

黒字であったと言うのは、かつては完全な単線であったのが、一部で複線化工事が行われていたからです。複線化の投資までやりかけたぐらいですから黒字じゃないかぐらいの根拠です。そういう時代は私も少し知っており、複線化が完成したら早くて便利になると聞かされた記憶があるからです。しかし複線化工事はとっくの昔に頓挫したようです。頓挫したどころか廃線の話まで現実味を帯びた話題として取り沙汰されているのを聞いて歳月の流れを感じています。


データ

神戸電鉄の資料によりますと、

これを見ると1992年がピークでおそらく、前後10年間ぐらいが乗客数のピークだったんじゃないかと思われます。この頃はよく利用していましたから、「混んでいた」の実感はまんざら間違いでもなかったようです。もう一つグラフを引用しますが、
これは1998年度からしかないのですが、1998年度には既に赤字となっています。ごく素直に神鉄グループの収益を粟生線が1人で食い潰しているようにしか見えません。それどころかこれ以上の赤字になれば神鉄グループ自体が赤字決算を出さざるを得なくなりそうな状況です。経営判断として廃線にして切り捨てたくなる気持ちはわかります。

ここで抱いたもう一つの疑問はそもそも粟生線が黒字の時代なんてあったのだろうかです。1998年度の輸送人員は約1000万人ですが、それでも7億円近い赤字となっています。ピークの1420万人時代でも良くてトントン、下手すりゃ赤字の可能性も考えられます。粟生線は歴史だけは古くて、1936年に広野まで、1937年に現在の上の丸まで、1939年に現在の三木まで延伸され、1952年に全線開通しています。

1980年代後半から1990年代前半に輸送人員がピークを迎えた理由もはっきりしていて、粟生線沿線に次々と新興団地が建設されたためです。故郷の人口もそのため20年ほどで倍増しています。神戸のベッドタウンとして人口が急増し、神戸への通勤客が輸送人員を押し上げたのだろうです。ほいじゃ、新興団地が出来る前はもっと少なかったはずです。それこそ現在の700万人程度であったとしても不思議ない気がします。その頃の収支はどうだったんだろうです。現在の収支から考えると、やはり赤字路線だったんじゃないかとも推測も成立します。


将来展望の暗さ

粟生線沿線も絵に描いた様な少子高齢化地域です。粟生線の輸送人員を押し上げた新興団地も特質として一代限りです。土地を買い、家を建て、神戸に通勤していた親世代が定年を迎えれば利用者は確実に減っていきます。子の世代になっても同居している家庭は少ないと見ます。子世代でも神戸に職を得て通勤する人は多いかもしれませんが、新たに住むのならせめて市営地下鉄沿線を考えると思います。神戸市内に住む選択だって出てきています。

長年の不況は地価の下落をもたらしていますが、安定した収入さえ得れば職場に近いところに住居を持つことが可能にしている側面があります。かつて新興団地が次々と建設され、そこに人が集まったのは「そこなら家が買えて、通勤可能」だった面は小さくありません。これがもっと近いところに家が買えるのなら、今度は遠いところに寄りつかなくなります。ですから新興団地が世代交代で通勤客が減ったから、新たな新興団地を作るという対策は難しそうに思います。

また少子高齢化は新興団地にのみ発生しているだけでなく、いわゆる旧市内でも同様に起こっています。輸送人員はもとより住民人口自体も今後はジリ貧になっていくだろう事はもう避けられない事実して良いでしょう。ピークの1400万人時代は愚か、1000万人回復も夢物語で、今の数を維持するのが目一杯としても「甘い」と言われそうな気さえします。


後出しジャンケンみたいなお話

粟生線の路線としてのネックは、

  1. 遅い
  2. 揺れる
  3. 高い
遅いと揺れるは地形上の問題です。神戸電鉄は別名「西の伊豆箱根鉄道」と言われるぐらいの山岳地帯を走っています。粟生線もそうで、この路線はあの義経鵯越に抜けたルートに近いとも言われるところです。とにかく平坦な直線が乏しい路線です。引っ切り無しに坂を昇り降りし、クネクネとカーブを曲がりながら走ると思ってもらえればと思います。

いかに苦労して敷設されたのかの一つが美嚢川鉄橋ともされています。地元の人間は何も感じませんが、あの鉄橋ってかなりの勾配がある上に、鉄橋上でカーブしています。現在の基準では許可されない代物だそうで、全国でも珍しい部類に入るそうです。そのうえ取って付けたような種々の資材の継ぎ接ぎになっています。


美嚢川鉄橋が珍品なのは鉄道ファンにとっては興味があるでしょうが、路線全体が一部手直しがあるにせよ、殆んどそのままで現在に至っている点がネックになっている気がします。粟生から新開地まで36.7km、故郷までなら26.8kmしかないのに、粟生からなら1時間10分、故郷からでも50分ぐらいかかります。その上高いです。高くて時間がかかれば、競合相手の出現に弱点を曝します。高くて時間がかかるのでバスが時間も料金もペイしてしまうのです。

上記以外にもネックはあって、神鉄神戸高速鉄道に乗り入れていますが、阪急や阪神、山陽とレールの規格が異なります。つまりは相互乗り入れが出来ないのです。山陽が阪神と連携して、姫路から梅田まで直通便を運用するようになりましたが、阪急の事実上の子会社である神鉄は阪急線に乗り入れる事は物理的に不可能な状態となっています。

この辺も神鉄が出来た頃は、中心地・繁華街と言えば湊川であり新開地であったと思っています。神戸に行くと言えば、そこまでで十分だったと思っています。これも歳月の流れで、新開地の繁栄は昔話になり、三宮まで届かないと不便と言うところです。それもこれも、最初に選択したレール規格が今になって響いているような気がしています。バスなら三宮まで直通ですからねぇ。


後はローカルなお話ですが、故郷の旧市内の真ん中あたりを路線は走っています。走ってはいるのですが、駅周辺は閑散としています。駅を中心とした中心街的なものは築かれていません。ま、私が利用した頃は1時間に2本程度でしたから、乗降客相手の商売が成立するほどではなかったと言えばそれまでですが、電車を利用しても市内でも便利と言い難い状態です。市役所だって山の上に移転してしまっています。

廃線の話が出ても、お決まりの反対運動がイマイチ盛り上がらないのは、市民の足として不可欠と言うより、あった方が少しは便利ぐらいの面が多いからだと思っています。そりゃ、出来た頃は他に神戸に出かける手段がなかったので絶対的に優位だったでしょうが、市民はバスなり、クルマなりの他の交通手段を確保してるものが多く、何が何でも粟生線が必要不可欠としている人数はさして多いとは言えないと言うところでしょうか。

私も百回単位で利用はしていますが、運賃はともかくとして、あの長い乗車時間はウンザリしています。あれが半分ぐらいになれば存在価値は違ったものになったかもしれませんが、乗っていくには正直なところ気合が必要です。それぐらい遅くて、長いのが神鉄です。そう考えると複線化計画はポイントだったかもしれませんが、複線化していたら今とは違うかどうかはなんとも言えないのが悲しいところです。


でも残って欲しい

悪口を散々書きましたが、長年の利用者として残って欲しいとは思っています。なくなりゃ、やっぱり不便です。今はそうそう利用する事も減ったとは言え、愛着はあるからです。それだけじゃ、屁のツッパリにもなりませんが、最後の分岐点は神鉄グループが赤字に転落した時になりそうな気がします。これが時間の問題ですから廃線の話になっていると思っていますが、まともに赤字になれば容赦なしみたいなところでしょうか。

寂しくなるなぁ・・・まだ走ってますけど。