故郷のお話

同窓会話の広い意味の続きです。学年同窓会は初めてだったのですが、以前にクラス同窓会は何回かやっています。同窓会をやるとなると最初の大作業は名簿作りです。とりあえず住所がわからないと連絡の取りようがないからです。その時に名簿を作った幹事が驚いた事があります。クラスの8割以上がなんのかんので故郷とその近辺に住んでいる事です。よくよく見たら近所だったなんて笑い話も残っています。たぶんですが他のクラスも五十歩百歩だと思います。

さてこの話を故郷に住んでいる従兄弟に話したら「今は違う」と明快に否定されました。従兄弟はちょうど一回りぐらいの歳の差なんですが、

    あの頃は残れた最後の時代
私の同窓生の子供も成人する時期に入っているのですが、聞くと殆んど故郷に残っていません。どうもなんですが、私の世代ぐらいまでは故郷に大半が残り、さらにその子供は故郷の学校に通っていたようなんですが、次の世代になると故郷には残らずに抜け落ちたがために子供がいなくなったです。親になる世代が残らなければ一挙に少子化は進行するです。

言い換えれば私の世代は故郷に残るだけの何らかの理由があった事になり、従兄弟の世代になると失われた事になります。そうなると、まず思いつくのは就職口がなくなったです。食えないところに居ても仕方が無いので出て行ったぐらいの理解です。では具体的に故郷の具体的な就職口をあげてみると、

えらく大雑把ですが、この二つは大きいと思っています。地場産業は大工道具なんですが、これは私が成人する前から延々と長期低落を続けています。この理由も単純で大工道具の需要が減ったです。得意とした分野は伝統的な大工道具なんですが、これの電動化に乗り切れなかったぐらいで良いと思っています。現在でも高級品分野は健在ですが、中級品や廉価品を大量生産していたところが沈没です。

でもって高級品はそれこそ家内生産の一品作りです。ごく簡単には名人が受注生産を行っている世界です。地場産業として就職口を支えたのは中級品以下の大量生産会社で、これらが小さくなれば直接だけではなく関連分野も含めての就職口が小さくなります。話が少し飛びますが、ここが縮小すれば市内に回るカネも小さくなり、さらなる関連産業(飲食店等)もまた縮小するです。

家業を継ぐも非常に大きなものがあります。家業が続く事によって地域のコミュニティが継続形成されるわけで、なおかつこれは地元出身者でないと非常に難しいと言うのがあります。田舎になるほど地元出身であると言うだけで無条件の信用があり、余所者ではスムーズに行かないと言うのは現実です。ただし故郷も日本中どこにでもあるような田舎町ですから、郊外型大規模店舗の進出による個人商店の衰退は起こっていました。


ではこれですべて説明できるかと言えば、そういう現象は今よりもマシとは言え、私が子供の頃、さらに成人になる頃には確実に起こっていました。それでも同級生の大半が故郷に残っているのですから、就職口以外のエッセンスがあったとした方が良さそうです。

何があるかと考えれば、バブル景気との関連があったんじゃないかです。市内の産業は衰えかけていても、親が持つ家・土地(財産)は魅力であったと。とくに土地は地価が鰻上りの時代に神戸(つうか大都市部)に住むのは大変でした。土地付き一戸建てなんてそんじょそこらの努力で手に入れられるものでなく、それより親の家や土地を貰った方が余程優雅と言うところです。

これは同居と言う意味では必ずしもなく、別宅を建てるもあるでしょうし、親の援助で市内に住居を求めるも含みます。バブルと言っても都市部に較べれば遥かに割安ですから、親の経済力もアテにすれば可能であったです。

今から見れば笑い話になってしまうかもしれませんが、バブル景気の真っ只中にいる時には土地神話は不滅でした。親からの土地に住むのもヨシ、親からの土地を売り払うのもヨシですから、無理に故郷から離れるよりも、そのまま故郷にいてもエエじゃないかです。就職口は故郷では減っていたにしろ、田舎と言っても神戸まで1時間程度で通勤可能です。


歳がばれるのであんまり書きたくないのですが、私が成人式を迎えたのは1980年代の初期。バブル景気が頂点を極めたのが1987年から1990年とされますが、バブル景気前から土地神話の形成が行われていたはずです。同級生の世代はバブル景気のため、無理に都会での貧乏生活を選ぶより優雅な故郷での生活を選んだとしても良さそうです。年齢的に20歳〜30歳の時代ですから、とくに悪い選択とも思えません。

これがバブル景気崩壊後になると状況が一変します。1991年以降はバブル景気の終焉と共に土地神話もまた崩壊します。地価の低下は都会により近い場所での住居の入手が容易になります。一方で莫大な財産に化ける可能性があった故郷の土地の価値は急速に低下します。土地神話の崩壊が進むほど、親の土地を引き継ぐ魅力が急速に低下していったと見る事が可能です。

また家業を継ぐにしても大変です。バブル期には今なら信じられないかもしれませんが、銀行が融資に狂奔した時代でもあります。土地さえあればなんぼで貸してくれただけではなく、取引先を脅迫してでも貸し付けていた時代です。これがバブル崩壊により担保としての土地の価値が急落すれば、親の土地を引き継いだところで残るものは乏しく、下手すると親の負債まで被る事になります。


どうもなんですが、生活設計として親の土地財産を引き継ぐという選択枝が魅力的であったのが1980年代。これが1991年のバブル崩壊後は急速に失われたです。つまり1991年時点で30歳前後ぐらいであった私の世代が故郷に大量に残る最後の世代になり、その後は櫛の歯が欠け落ちるように故郷から離れ、その傾向のまま現在に至るです。

バブル景気は私の世代を故郷に引き留めるのに効果を発揮していたが、その崩壊は故郷に留まる理由であった家・土地・財産を引き継ぐ魅力を失わせ、さらに地場産業の更なる衰退、家業である個人商店の衰退をさらに加速させたと見ています。バブル融資によってそれなりに経済を支えていた資金が消えうせれば、もともと下り坂であった街の活力は拍車をかけて失われ、残る理由が本当に乏しくなったです。

従兄弟は私の一回り下になりますから、成人した時には既にバブルが崩壊していた頃になります。残る魅力がこれだけ少なくなれば、余程の理由がないと残らなくなります。残るのは減ったとは言え故郷で就職口あるとか、継ぐだけの価値がある家業があるとか、地価が低迷しても魅力が残る財産を親が持っているとかです。故郷に残るか出るかはバランスみたいなもので、様々な足し算引き算の末に、

    故郷 > その他(都市部)
これであれば残ります。しかし、
    故郷 < その他(都市部)
こうなれば留まる理由はなくなります。今日考察した理由だけではないかもしれませんが、私の世代以降に急速に故郷に留まる理由が失われ、さらにそれが現在でも続いている事だけは間違いない事実です。かなり皮相的な見方で、必ずしも故郷の衰退のすべてが説明できるわけではありませんが、個人的にはそんな面があったのかもしれないぐらいには考えています。